第1話 神武天皇

 初代 神武天皇は高天原たかまがはらから地上に降臨したニニギの孫にあたり、皇祖神 天照大神あまてらすおおみかみから数えると五世の孫にあたる。

 父は、天神と海神の血をひく鸕鶿草葺不合尊うがやふきあえずのみこといみな彦火火出見ひこほほでみといい、

和風諡号は 神日本磐余彦かむやまといわれひこ天皇、別称として 始馭天下之天皇はつくにしらすすめらみことという美称が知られている。

 ちなみに、彦火火出見というのは、神武の祖父にあたる山幸彦と同じ名称であり、ここから 原初の初代天皇は 山幸彦であったとも、元来は同一人物であったものを分化したとも一部で囁かれていた。


 神武の事績として最も著名なものは やはりその征服譚だろう。神武は、塩筒老翁しおつちのおじから東に美しい国があるとの話を聞き、45歳の時に 3人の兄とともに 九州の日向から畿内に向かって東征を開始。数多の困難を乗り越え 大和を平定し、紀元前660年に橿原宮かしはらのみやで即位した。なお、それ以前の段階で 3人の兄達は亡くなっている。

 その後、76年の在位を経て 神武は127歳で崩御するが、登極前の記録と比べ その治世の記述は驚くほど乏しかった。

 明治の世になって、神武天皇が即位した日(辛酉年春正月庚辰朔)を 太陽暦に換算・調整して"紀元節"と命名し、国家の祝日と定めたが、大東亜戦争後 それは廃止された(1948年)。

 昭和41(1966)年、"建国記念の日"として その祝日は復活したが、昭和天皇(第124代)の弟 三笠宮殿下は紀元節の復活に反対されている。三笠宮殿下は 2016年10月、100歳で薨去こうきよされているが、現在のところ、その年齢が信頼できる史料に残る皇族の最高齢だった。

 神武天皇の記録は 多分に伝説的な要素が強いが、その即位の年に関して、『日本書紀』編纂当時の権力者らの作為が疑われている。神武天皇の事績などは 主に8世紀に編纂された正史『日本書紀』や もう一つの歴史書『古事記』の記録によっているが、その時代、革命の起きる干支として"辛酉"の年が考えられていた。

 実際、復活した天智系の実質的な初代 桓武天皇(第50代)は 辛酉の年に即位しており、第45代 聖武天皇も721年に即位しようとした節があった。

 そして、特に1260年に一度 大革命が起こると当時 見受けられていたのではないかと明治の東洋学者 那珂通世なかみちよは探究している。那珂は、神武天皇の即位年は 推古天皇9(601)年を基点として逆算したものと当たりをつけていた。

 このことから、初代天皇の事績に 時の権力者らの手が加わっていることがうかがわれるが、神武天皇の征服譚、所謂いわゆる「神武東征」にも、当時の大乱が投影されているものと憶測されていた。

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