第10話 神武と崇神

 初代 神武天皇の"始馭天下之天皇ハツクニシラススメラミコト"という異名は、“初めて国を統治した天皇”という意味だと概して解されている。それは まさに、初代天皇に贈られるに相応しい称号だった。

 だが、これと同じ意の別称を有する天皇がもう1名存在していた。それが、第10代 崇神天皇だ。かの天皇の異称は"御肇國天皇ハツクニシラススメラミコト"といった。

 1つの国に 何故 2人の“初めて国を統治した天皇”が存在するのか疑問に思うところであるが、一般に 初代 神武天皇は天皇家の権威を高めるために創作されたであって、は 第10代 崇神天皇だったのではないかと憶測されている。神武天皇の没年齢は 100歳を優に超えており、また神武から崇神に至る間の天皇の事績は残されておらず かつ 単純な直系相続であり、この第2代〜第9代までの天皇は"欠史八代"と呼ばれていた。

 余聞だが、信憑性のある記録に残る皇族の最高齢は2016年に薨去された三笠宮 崇仁殿下の100歳である(既述)。


 真の初代なる人でも そうでない人でも 父となる男性は存在することから、9代前の先祖がいたことは疑い得ない。いや、天皇は現人神であるのだから そのような常識は当てはまらないのかもしれないが、あえて その常識を適用すれば、神武に該当する人物は存在したことだろう。

 ただ、その人物が 英雄で 初代と並ぶ大事業を成した人物であったかと言うと 疑わしいところだった。

 年齢に関する疑問点について、古代においては 現在の1年間に2歳,年をとっていたとの見解もある。作物のとれる周期に合わせて、年を数えていたとする捉え方だ。そのように考えると、神武の年齢もあながち おかしなものとは言えない。

 しかし、正史の編纂者は 神武の即位した年を意図的に操作した節があった。正史編纂時、60年に一度 "辛酉"の年に革命が起こると見受けられていたが、特に1260年に一度、大革命が起こると信じられていた。神武天皇即位の年は 紀元前660年 辛酉の年と記録されているが、そこには間違いなく 時の権力者の手が加えられていた。

 神武天皇は 本当は崇神天皇と同時代の人物で 時代だけ変更された、との見方も なかには存在している。対抗勢力を念頭に置く点では私も似たようなことを考えたことがあった。すなわち、もともと 天武天皇が初代大王に据えた人物が崇神天皇であり、天武の次代 持統女帝が後から創作したのが初代 神武天皇であって、後から時代をズラしたというわけだ。

 されど、私は 現時点では、この2人の天皇は持統女帝が創り出したもの(初代')で、当初は 同体だったものを分割したのではないかと判じている。初代 神武天皇には即位後の記録がほとんどなく、第10代 崇神天皇には即位前の記録がほぼ存在しなかった。

 その真偽の程は必ずしも定かではないが、では 仮にそれが正しかったとして、何故に、かの存在は2つに分けられなければならなかったのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る