第11話 大国主と大物主(前編)
この国の古代史を語る上で考慮に入れないといけないものとして "怨霊信仰"がある。怨霊信仰は 別名"御霊信仰"とも呼ばれるが、その内容を簡単に述べれば、天災や疫病などの災難を、恨みを抱いて亡くなった人物のタタリとみなし、その鎮魂をはかって平和を享受しようとするものだ。
京都祇園祭は 平安時代から続く伝統的な夏の風物詩としてして知られているが、明治までは祇園御霊会と呼ばれており、その起源は 当時(9世紀半ば)続発していた疫病や自然災害等を何とか鎮めようとして、タタリをなしていると思われる人々を祀ったことにあった。
余聞だが、祇園祭の胴元として知られる
記録に残る最古のタタリとして、
これを受けて、崇神天皇は大物主の要求を容れ、大物主の子孫にあたる
なお、この祭祀には、蘇我氏と並ぶ古代の有力豪族 物部氏の祖が深く関わっている。
大物主と同体の神 大国主は スサノオの子であり 出雲大社に祀られているが、一部では、かの
大国主は 大物主と同体であるのだから、鎮魂の措置がとられるのは当然のことであるかのように思われるかもしれない。そもそも、大国主自身が皇祖神 天照大神に豊葦原中国を奪われており、タタリをなすに相応しい境遇に置かれていた。
しかし、それならば何故、大国主は 皇祖神 天照大神その人に直接タタらず、遠く第10代 崇神天皇の時代になってからタタったのか? そこに正史編纂者の何らかの造作があったのではないかと私は壁越推量していた。
要は、時の権力者(持統女帝)が自らを投影した神(天照大神)の治世にタタリがあることを
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