第14話 宇佐八幡神託事件(前編)

 明治から戦前にかけて、一般にとされる人物達がいた。

 "法王"弓削道鏡

 "新皇"平将門

 "室町初代将軍"足利尊氏

の3名だ。

 このうち、足利尊氏は 後醍醐天皇(第96代)が行った"建武の新政"を崩壊に追いやった武将であり、平将門は 京都の朱雀天皇(第61代)に対抗し 関東で即位の儀式を行った桓武天皇5世の孫。そして、弓削道鏡は 神託を受け 天皇の位に就こうとした僧侶だった。


 8世紀半ば、皇統断絶の危機が迫っていた。当時、男帝のとして 女帝の擁立が立て続けに行われていたが、第45代 聖武天皇には後継として 相応しい男子がおらず、 聖武の娘 阿倍内親王が立太子し(738年)、そのまま女帝として即位したのだ(749年)。

 いわゆる天武朝は "持統の血"+"藤原氏の血"に固執して 近親婚を繰り返していたが、その結果、体の弱い男子にしか恵まれず、聖武天皇とその叔母 藤原光明子との間の男子(基王)は誕生して1年余りで亡くなっていた(728年)。

 因みに、基王の死に関して、これを呪ったとのかどで、皇親勢力の巨頭 長屋王(高市皇子の子・天武の孫)は謀殺されている(729年:長屋王の変)。

 聖武天皇には 基王以外にも男子がないわけではなかったが(安積親王)、藤原氏の血を引いていなかったために、安積は 恐らく かの一族によって謀殺(744年)。結局、聖武天皇と藤原不比等の娘 光明子の血を引く日本史上唯一の女性皇太子が即位する運びとなった(孝謙:第46代)。

 その後、孝謙女帝も一度は皇統に連なる男子に位を譲ったものの(758年)、藤原光明子の甥 仲麻呂(恵美押勝)の専横に憤り、母后の薨去後(760年)、彼女は 後ろ盾を失った仲麻呂と対立し、これを武力討伐(恵美押勝の乱:764年)。孝謙上皇は 爾後 仲麻呂の傀儡であった時の天皇を廃位した(淡路廃帝)。

 なお、かの天皇の"淳仁"(第47代)という諡は、明治になってから追贈されたものである。

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