第4話 天武系(前編)

 古代史上最大の内乱 壬申の乱(672年)の結果、天智天皇(第38代)の男系の血統は 一旦 途絶え、その後 約1世紀の間、天智の弟である天武天皇(第40代)の血筋が主流となって受け継がれた。その血統のことを、一般に"天武系"という。

 天武系というのは、後に復活した天智の男系の血筋,いわゆる"天智系"と相対する概念であるが、この時期 天智系は 完全に死に体であり、歴史の表舞台には ほとんど登場しなかった。

 第40代 天武天皇から第48代 称徳天皇までの9代8名が 天武系の天皇に該当するが、その特徴は 何と言っても 女帝が多いことだろう。

  持統(第41代)・元明(第43代)

  元正(第44代)・孝謙(第46代)

  称徳(第48代:孝謙重祚)

と5代4名の女性天皇が誕生していた。

 なお、現在のところ歴代126代の天皇のうち 女性天皇は10代8名のみである。


 この時期 女性天皇が数多く誕生した所以として最も考えられていることは、天武天皇の次代 持統女帝が 自らの血筋に固執したから、というものだ。持統は 並み居る天武と他の女性との間の皇子を差し置き、697年 自らの孫へと譲位を敢行していた(文武:第42代)。この事績は、皇祖神 天照大神の「天孫降臨」神話に投影されたと一部で考察されている。

 持統が 母親としてのエゴから 自らの血縁での継承にこだわり、その執心を持統の周辺が引き継ぎ、結果として、女性天皇が誕生した側面があったことは否定できない。だけども、それだけでは説明できないこともある。というのは、いわゆる天武系は 皇室の菩提寺に祀られていないからだ(位牌がない)。また、神式の祭祀からも除外されていた。

 しかして、持統が あくまで自らの血統にこだわったのは、天武が皇室の血筋とは異なる血を受け継ぐ者だったからであり、自分の血を引く者を即位させることで、皇位が完全に天皇家から離れることを避けようとしたのではないかと一部では憶測されていた。彼女は 第38代 天智天皇の娘であり、壬申の乱の敗者 "正統"大友皇子の姉だった。

 余聞だが、天武の血統が嫌われていたことは、皇祖神 天照大神への対応からも窺える。天照大神には 天智の娘 持統女帝が投影されたと一説には目されているが、後の人物達にとっては 括りは同一であり、天武系に創成された神話も受け入れ難かったのかもしれない。天照大神は 三重県にある伊勢神宮に祀られているが、そこには 持統女帝が参拝されて以降 明治に至るまで、歴代天皇は 誰一人として参拝されていなかった。

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