おわりに(前編)
2019年、大阪府にある百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録された。かの古墳群の代表格である大仙古墳は 5世紀前半から半ばに築造された前方後円墳で 世界最大級の墳墓だが、以前は第16代 仁徳天皇の墓だと目されていた。
仁徳天皇と言えば、人々の家から煮炊きをする煙が上がっていないことに気付き 延べ6年間 税を免除したという「民のかまど」の逸話などで知られる大王だが、それらの事績から かの天皇は"聖帝"と称されていた。
私は この天皇の御代を、正史『日本書紀』の編纂命令者 天武天皇が 理想の時代として 創作したものと探究しているが、かの天皇は 第15代 応神天皇の皇子であり、名に"鳥"を含んでいた(大鷦鷯天皇)。鳥というのは、飛鳥を本拠地とする蘇我氏が象徴とした動物であって、もう1人の暴君 武烈天皇(第25代)も名に鳥を有していた(小泊瀬稚鷦鷯天皇、小長谷若雀命)。
余聞だが、英雄 天武天皇が亡くなるときの元号を"朱鳥"といい、かの天皇の御代を最盛期とする文化を"白鳳文化"と言う。
いわゆる天武系の最後の天皇 称徳女帝(第48代)は、皇位継承について 九州 大分県にある宇佐八幡宮にお伺いを立てている(宇佐八幡神託事件:769年)。
宇佐八幡に祀られているのは 第15代 応神天皇などであるが、かの宮の社伝等によれば、欽明天皇(第29代)の御代に 応神天皇の神霊がかの地に示顕したとされていた。
因みに、欽明天皇というのは 記録上 即位年に不整合があり、何らかの政変があったことが疑われる天皇であるが、かの天皇の御代に蘇我氏が台頭している。
聖武天皇が娘である阿倍内親王(孝謙)に譲位した年(749年)、宇佐八幡宮に祀られる八幡神に"一品"、比売神に"二品"の神位が授けられられているが、これは神位が授けられた最初の例だった。
当時は、天然痘が流行し 旱魃や飢饉などが相次いでいたが、これに対し 時の政権は 大仏を建立するなど 神仏に祈ることによって その厄災から逃れようとしていた。恐らく、この出来事は その一環だったのだろう。その厄災をもたらしたと考えられていたのは、729年 無実の罪で殺された皇親勢力の巨頭 長屋王。かの人物は、高市皇子の子であり 天武天皇の孫。時の政権が、彼の先祖の霊を祀ることによって タタリを鎮めようとしたことが想定された。
大方、長屋王のタタリは、この時代の多くのことに影響を与えている。長屋王が亡くなった翌年には さっそく施薬院や悲田院が創設され、741年には"国分寺建立の詔"が発せられた。
なお、施薬院というのは、古代史の著名人 聖徳太子が最初に始めた施策との伝承がある。
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