第14話" 宇佐八幡宮神託事件(後編)

 この話で問題となってくるのが、何故このとき宇佐八幡宮から神託を賜ったのかということだ。大方、この託宣は であったろうから、"法王"道鏡の弟が 同じ九州の太宰府にいたゆえとも考えられなくもない。

 だが、称徳女帝の父 聖武天皇(第45代)の時代あたりから、"八幡神"が特別視されているのは間違いない。このことと宇佐八幡から神託を賜ったことは無関係だと思われなかった。

 皇位継承などの重要事項のルール変更は、に尋ねるのが この時代のあり方である。恐らくは "八幡神=応神天皇(第15代)"が、彼ら(天武系)にとって 直接の祖先であったから、このとき 宇佐八幡が利用されたのだろう。八幡神と武神 応神天皇は 正確には 別の存在だが、奈良時代には習合が進んでいた。

 されども、それは果たして、父方と母方,どちらの先祖に尋ねたのか? いや、違う。 天武系のはしりである天武天皇(第40代)とその后 持統女帝(第41代),どっちの祖先に聞いたのか? 

 天武と持統は 正史上は同じ天皇家だとされているが、前者の血統については 多くの研究者から疑義が示されており、歴とした天皇家の血を引く天智の娘である後者には"血った"との諡が贈られていた。私は、天武天皇は蘇我氏の人物だったと愚慮している。

 宇佐八幡神託事件の当事者 称徳女帝(第48代)が"持統の血脈"+"藤原氏の血脈"の流れを受け継ぐ人物であることを鑑みると、称徳 あるいは その周辺が 持統の血脈,すなわち天皇家の祖先に皇位継承のルールを尋ねるていを取ったことが考えられるかもしれない。

 なれども、称徳女帝が弓削氏の道鏡に位を譲ろうとしていたこと、また、藤原仲麻呂の専横に憤慨していたことなどを斟酌すると、彼女は 天皇家とか藤原氏との兼ね合いを気にしなかったのではないかと想像される。

 そうなってくると こういった場合、男系の祖先に尋ねるのが普通であることから、称徳は基本に立ち返り、天武の血脈の先祖にお伺いを立てたことが推測される。実際、私は この考察で 称徳が母方である藤原氏の祖に問い合わせた可能性を完全に除外していた。

 初代 神武天皇や第10代 崇神天皇に皇位継承のルールを尋ねなかったのは、現実に 王朝の交代が起こったからであり、当時の天皇家の直接の祖が 第15代 応神天皇だったとする捉え方もあるかもしれない。

 だけども、天武が構想していた歴史書を、次代 持統が 改変したであろうことを勘案すると、後者が前者をマウントするため、天武が企図していた初代に先立つ存在を 持統が創成した線は濃い。

 宇佐八幡神託事件は 皇室の祖先神に皇位継承のルールの変更を問い合わせたものであるが、私は、かの事件は 天武がもともと掲げていた真の初代が 何者であったかを如実に示すものだったのではないかと探究している。

・・私が 天武天皇の本当の出身氏族と目する蘇我氏は出雲とつながっていたと一部で憶説されているが、そこにある出雲大社の参拝方法と宇佐八幡宮のそれは 異例の2礼4拍手1拝で共通していた。


 そして大方、第15代 応神天皇は 架空の存在ではなく、実体のある存在だったのではないかと私は胸算している。

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