第8話' 万世一系の構想(後編)

 なら具体的に、まず どこを変えたのかと言えば、私は 持統は自らの父 天智を初代大王に据え直したのではないかと踏んでいる。

 天武が構想した時点で、王統は二王朝であり、天武と天智は 異父兄弟。天武と天智の比定された神々の位相を どちらとも取れるように変えれば事足りる。

 ここで、問題となるのは前後のつながりであるが、その点については後述する。

 ちなみに、参考までに言えば、神話の最終形において 天智・天武兄弟が比定されているのは海幸・山幸兄弟である。彼らはお互いの役割を交換させていた。

 ついでに言うと、このことが 後に という発想につながったのではないかと私は壁越推量している。

 また、この時点での変更点として想像されるのが、最高神の取り扱いだ。大方、天武天皇の存命中においては最高神は男神であったが、持統の代になって変更。その最高神を祀っていた天皇家の巫女(大日孁貴おおひるめのむち)が繰り上げられたと私は心当てをしている。

 ただし これに関しては、カモフラージュの方法が いまいち思いつかないので、時期としては 天武の長子 高市皇子が亡くなった後かもしれない。あるいは、その紛糾中に 高市皇子が亡くなったか…


 持統にとっての目の上の瘤 高市皇子が亡くなった後は、彼女は さぞかし やりやすかったことだろう。持統は 高市皇子の死後、孫への皇位継承を敢行しているが、と私は浅慮している。初代 神武天皇の名は"彦火火出見"と言い、祖父 山幸彦と同名。一説には、二柱は同一人物だったのではないかと囁かれていた。山幸彦・神武 双方の説話には、"塩土老翁しおつちのおじ(塩筒老翁)"という神も共通して登場していた。

 なお、

 ただ、高市皇子薨去後 しばらくは、二王朝の構想は受け継がれていたと私は胸算している。となってくると、やはり気になるのは、系譜の後方とのつながりだ。もともと、初代大王は 天皇家ではなく 蘇我氏とつながっていたのでのではないかと私は勘案していた。

(一応、この時点で 初代の前方は 曲がりなりにも天皇家とつながってる認識があったから持統は初代の位置のスライドを行ったんじゃないかと私は踏んでいる。曖昧な存在…)

 ここにおいて、持統は前後の齟齬そご・捻れを解消するため、元来の初代を複写した新たな初代(初代'ハツクニシラススメラミコト)を創ったのではないかと私は検討している。

 それによって 元来の初代は後方の蘇我氏とともに切り離され、初代'は前方の神々の系譜とともに残り、更に 初代'を 元来の初代より先に立たせた結果、。大方 同時期に、蘇我氏側の系譜にも暴君(武烈)が追加されているが、その際に 新たに創案された暴君と対になる存在(継体)をどこの系譜に差し込むかという問題も相まって、2つの王統を1つにまとめた"万世一系"が創成されたのではないかと私は空想している。

 そして多分、この万世一系の創造が 持統女帝が皇祖神 天照大神に自らを投影するキッカケだったのではないかと私は探究している。

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