第6話 獅子隊

 …燃え盛る炎が、家々を焼いている。粗末な石と木造の、農民や職工が暮らすような家は燃えやすい。悲鳴を上げながら、人々が逃げまどい、黒煙に燻される。中には火炎に巻き込まれ、翻筋斗もんどりを打って転げまわる人も居る。

 家々に襲い掛かる火は、失火ではない。軍馬に乗って武装した騎士たちが、松明を使って火付けに及んでいるのであった。正式な遠征などではないが、各々に武装した彼らは、安全な場所を求めて逃げる非武装の人々を、狩りでも楽しむかのように火で追い、易々と武器の餌食として供じていく。そのほとんどは、葡萄酒の入った革袋から中身を口にしつつ凶行に及ぶのである。血と酒に酔う彼らは、最早神の名の下に弱者を庇護する騎士などではなかった。

「お兄ちゃん、助けて、お兄ちゃん」

 今までに立ち会ったことのない惨劇に完全に怯え切ってしまい、少女は兄を呼んだ。兄は薪を集めに日が昇り切る前に村の外に出たばかりであった。煙を見て帰ってきてくれるはず、そう願って少女は村はずれに走ろうとした。だが、その姿は、蛮行に及ぶ騎士たちに見つかってしまった。

 騎士たちの蛮行は想像を絶した。赤子は宙に放り上げられては槍の的にされて絶命した。その様を見せられて狂ったように泣き叫ぶ母親に、猛り狂った騎士たちが馬乗りになって衣服をはぎ取り慰み者にしていく。ことが終われば、その姿のままで彼女たちは殺されるのである。男たちは絶望に震えながら農具を手に取り歯向かおうとするが、戦慣れしていない者は次々に騎士らの剣戟に貫かれた。老人は首に縄をかけられ、軍馬に引きずられて絶息する。救世主の教えにある地獄インフェルノとはまさにこのような場所なのであろう。その様子を振り返る少女は、そこで一人の大柄な騎士に補足されてしまった。

 騎士は異国の言葉で甲高い叫びをあげると、少女に槍を突き出した。少女は必死にその切っ先から逃れようとしたが、数瞬遅れてしまった。鈍い痛みが口元に走った。槍の穂先は少女の顔を斜に掠めた。鮮血が散って、あまりの衝撃に、苦い血の味を感じながら、少女は坂道を転げ落ちた。その坂道は村の周りを囲む濠に下るもので、馬で追うには急すぎたのであろうか、騎士は舌打ちをすると、新たな獲物を求めて村に戻っていった…。

 少女は気を失っていた。口元を苛む痛みに目を覚ますと、もう夕方になっていた。強かに体を打ち据えてはいたが、何とか動けるようであった。痛みと出血で腫れあがる顔の半分を抑えながら、身を屈めつつ、恐る恐る坂を上り、斜面に隠れながら村を見ると、そこに騎士たちの姿はなかった。どうやら、彼らのは終わりを告げたようである。

 そこに残されたものは、かつては村だった、小さな社会の、無残にも略奪され切った姿だった。転がる何十もの死体の死因は特定することすら難しい。切り殺されたものは馬蹄に踏みしだかれ、轢死した者には武器が墓標のように貫かれていた。炭と化した亡骸には、神の祝福など訪れないであろう。恐ろしさに少女は泣いた。もう涙は出ないというくらいに泣いて泣き疲れていると、背後から足音がした。びっくりして振り返ると、枯木を束にして背負い、茫然と立ち尽くす兄の姿があった。恐怖から解放されたのか、少女は兄に覚束ない足で兄に駆け寄り、しがみついた。兄は表情を変えず、僅かに震え、妹を抱き寄せた。

「フランク…」

 兄は一言呟くと、ようやく、涙を零した。妹は兄から離れまいと必死に抱き着き、その衣服に返り血を付けてしまった。兄は怒らなかった。鳴き声を堪えながら、幼い妹を抱きしめた。


 自らの唸り声で、「雀」は目を覚ました。やおら体を起こす。体をまさぐり、顔の左半分に触れた。血は流れていなかった。わずかに、皮膚がひきつる感触がある。上唇の左半分から左頬に走る傷痕は、ほぼ癒えてはいるものの、負ったときから数か月以上彼女を悩ませ、その後消えることなく、薔薇色の斜線を彼女の顔に残し、居座っている。今日のように冬の寒い夜などは、時折皮膚が突っ張って、僅かに痛みを生み、彼女の消えぬ過去が、今のように呼び起こされることが多かった。

 雀は枕元に置いてある水差しから水を一口呷ると、寝台から降り、上着を羽織った。夜の帳はまだ上がっておらず、夜明けまではもう少し時間がありそうだった。

 もう8年も前のことになるだろうか。彼女の生まれた村は、確か、山を越えた南にある小さな村だったような記憶がある。親の顔を今ではあまり思い出せない。二人とも、あの騎士の群れに殺されてしまったのだと、兄に聞いた。兄は彼女を連れ、山を越えた。遠く北の国に、住処を追われた人々を守護する王の国があるのだという。狼と野盗に怯えながら、数日草木や虫を食いつないで、ほとんど山中で野垂れ死ぬかのところで、二人は背の高い、日光の束を頭髪に宿したかのような黄金色の髪の男に出会った。男は馬に跨り、闇夜のような衣服に身を包んでいた。その真っ黒な服と黄金色の髪の対比があまりにも美しく、二人は固唾を飲んだ。

「南の村から来たのか」

 兄妹はうなずいた。男の声は静かな、獣の唸り声のような響きを持っていたが、表情は柔らかかった。

 その夜、男は二人に干し肉入りの燕麦の粥を作ってくれた。久しぶりのまともな食事にかぶりつく子供たちに水を与えながら、男は語りだした。

「我が主はお前たちのような子供に住む場所と仕事を与える。その為には厳しい訓練が必要だが、来るか」

「仕事とは、何ですか」

 兄が問いかけると、男は焚火の日を瞳に映しながら答えた。

「簡単に言うのであれば、戦士だ。王の命であらゆる所に赴き、王の敵を排するため、様々なことをする。戦の技術を身に着けて、時には戦う」

「フランク人と戦えるのですか」

 兄の声に熱が籠った。男は揺れる火の照り返しを受けながら、無言で頷いた。

「行きます。父さんと、母さんと、村の人たちの仇を取りたいです。連れて行ってください」

「そちらの妹はどうする。一緒に来るのか。カムルの民は女子でも戦うことはある」

 少女は首を縦に振った。頬の傷は、男の付けてくれた薬でだいぶ痛まなくなっていた。ついでに男は、傷を針で縫ってもくれた。縫合の痛みは激しかったが、死ぬことに比べれば、どうと言うことはなかった。何よりも、兄と離れることが恐ろしかったのではあるが。

「いいだろう。今日から俺がお前たちの親代わりだ。俺のことは、獅子シウーとでも呼んでくれればいい。」

「獅子…」

 二人は異口同音に呟きながら、男を見た。よく見てみれば、本当に男は伝承の獣、獅子の姿をその身に宿しているかのようだった。村長から聞いた獅子と戦士の物語を、彼らは思い出した。名高い戦士は蛇と戦う獅子を助け、獅子は戦士を助ける従者となったという―。

「お前は良い声と目をしている。山野を翔け、誇り高く叫ぶエリルのようだから、今度からそのように呼ぼう。妹の方は雀斑がゴルファンのようだから、そう呼ぶ。これからはそのように呼び合うがいい」

 獅子はそういって、二人の粥をもう一つぎ注いでやった。二人は顔を見合わせ、お互い納得するように頷いたのであった。


 オワインの獅子隊シウード

 それは、グウィネド王国王子オワインが、青年期に入って兵馬の権利を握るようになってから育成を始めた非公式、少数精鋭の密偵集団である。その成員は、フランク人に蹂躙された地域で焼け出された孤児たちを基幹に構成される。

 戦災孤児たちは当然親を失っており、庇護されることがない。うまくいっても僧院に逃げ込むか、盗賊かぶれになって国に害を為すかである。オワインはそのような状況を解決するため、少年たちを戦士に育て上げる方針を思いついた。何よりも、その少年たちが強くフランクを憎み、報復の感情を募らせているところに目を付けたのである。復讐の機会を与える代わりに、密偵活動を行える戦士として育て上げ、自身の謀略の手足として役立てる。この考えを発案した彼は、ある意味で先進的であっただろう。千年以上後の国家や侠客らが少年兵を利用した仕組みと同じような構図を、彼は利用したのである。

 獅子隊の育成には、王子に影のように付き従う密偵頭、「獅子」が担当した。獅子の素性は、オワイン以外、父王にもあまり知らされていない。東方に流浪し、十字軍に参戦して、様々な戦の技を習得した人物だという噂だけが、グウィネドの王宮界隈で囁かれた。オワイン王子の側以外に姿を現すことがないので、噂だけが立ち上ったのである。その真相は、王と獅子の間でだけ共有され、配下の密偵達にも謎のままである。

 ただ、獅子が確かに武芸の達人であり、少年たちの育成に卓越していることは、教わる側にはすぐわかった。彼は少年たちの特徴をよく分析し、その長所に合う役目と技術を授けた。少年たちには野鳥の名前が付けられた。密偵になる前の名前は捨てさせられた。と言うより、かつての名前を思い出せば、その名で彼らを呼んだ亡き親たちを思い出すことになるので、少年たち自身も進んで自らの名を捨てたのである。

 オワインがこのような密偵集団を組織したのには、それなりの理由がある。少年期に父親のアングル王への屈従を見た彼は、何故この事態が訪れたのかを考えた。一つには、父王が非道を許せず、また年老いたということもあるだろう。だが、最も重要なことはそこにはない。それは、第二代チェスター伯の謀略とアンリ一世との協働とを見抜けなかった点にある。

「小国が大国を出し抜くには、大国の動きや弱点を事前に知ることが肝要だ。その力を使えば、カムル人同士の争いにも先んじることができる」

 10代の若さで、オワインは情報戦の重要さに気が付いた。それは環境のせいもあろうが、何よりオワインの鋭敏さと圭角が招いた結論でもあっただろう。何かと言えば剣に訴えようとする長兄を彼は侮蔑していたし、父王の生真面目さにもある種の嫌気がさしていた。兄のように無鉄砲に武力に訴えれば武力に劣る故に負け、父のように正道を歩もうとすれば富の力で締め上げられる。どちらの道もカムルの苦境を打開する正解とは言い難い落第点ではないか。直截的に言えば、才気があふれる故のことではあるが、彼は家族の男たちを本気で馬鹿にしていたのである。

「力があるものは、それをどう行使するのかを考えねばならぬ。兄は武に頼りすぎて反感を買うだろうし、父は善政を敷くことができるが、それ以上のことはできそうにもない。善政は大前提である。武に頼る前に武を集中して無駄なく発揮する。その為には集中する場所を限定すればよい」

 そうオワインは獅子に語ったことがあった。獅子は否定せず、オワインが長じて兵権を握ったのち、その力を集中する状況を作るために、自らを鍛え、やがて戦火や略奪の劫火が燃えた所に赴いては獅子隊の候補者を集め、鍛え上げていった。


 獅子隊の根城は、アングルシーよりも南、グウィネド領内でも最高峰の山、アー・ウィズヴァの中腹にある湖、「青湖グラスラン」の側にひっそりと存在する。周囲を山地に囲まれた湖の姿は神秘的で、古の伝説では、王の剣が沈められたとか、アヴァンクという水獣が住み、コンウィの谷の住民を襲ったという逸話が残される地である。余人は容易に近づかぬため、また神話の威光を利用するため、オワインが選出した場所であった。厳しい山肌の地域なれば、フランクの騎兵も容易には近づきにくい。木造の広めの建物が、20人ばかりの密偵達を収容している。雀はこの中で目覚めたのであった。

 まだ夜は明けぬが、暗闇に慣れた密偵達の目であれば、月光に照らして幾らかの物は見える。雀は愛用の弓と矢筒を持ち、舎の外へ出た。雀の弓は、小柄な彼女の身の丈半分くらいはありそうな大型のものであった。利き腕である左手で矢を番えると、呼吸を整えて構える。月光を頼りに見据えるのは、隊舎の側に並べた木製の的である。弦を引き絞ると、限界のところで弾いた。矢は的の中心に刺さり、ひとしきり身を震わせて、命中したことを射撃者に伝える。

「眠れないのか」

 背後から声がした。良く通る声である。鷲の姿が音もなく闇の中から現れた。

「またあのときの夢を見た」

 感情の籠っていない―わざとそうしようとした声音に、鷲は答えようとせず、雀を見つめた。2月のひんやりとした夜気に、時折風の音が混じる。

「いつまでも消えない。不思議だと思う」

 雀は自嘲気味に呟くと、二本目の矢を取り出して構える。

「消す必要はない。それが俺たちの士気の源泉そのものなのだからな」

 鷲は腕を組みながら雀の弓勢を見つめる。彼は、雀の弓矢の腕が獅子隊の中でも随一であることを知っていた。過日、ゴワーの戦いで、大樹の上に身を潜めてフランク人を迎え撃った際、彼女は60数える間に6人の敵を射抜いたのである。練達の引き絞る力と正確な狙いがなければ、そのような技術は生まれない。雀自身が、険しい岩肌を素手で登り、何万回と弓を引いて身に着けた、執念の結晶であった。

「いつか見なくなるだろうか」

 二本目の矢が、音高く放たれた。驚いたことに、その矢は一本目の矢羽根に直進し、そのまま矢そのものに突き刺さった。雀の妙技と素朴な問いの両方に嘆息して、鷲は微笑んだ。黒い布で隠されないその顔は、まだ少年の仇気なさを残しているように、雀には思われた。

「わからんな。グウィネドのみならず、カンブリア全土からフランクが駆逐されれば見なくなるのではないか」

 雀は弓を収め、鷲に向き直った。

「できるだけ、見なくなるようにしたい。頑張ってフランクをもっと殺そうと思う」

 その瞳に、ゴワーの時と同じ光が揺らめくのを見て、鷲は少しだけ眉を潜めたが、軽く息を吐いて雀に背を向けた。

「早く寝ろ。明日からまた仕事になる」

 兄としての優しさなのか、隊を纏める年長としての指導なのか―その言葉の真意を雀は測りかねたが、最もなことだと思い、自らの室に戻るのだった。


 夜が明けて、獅子がオワイン王子の下から湖に戻ってきた。ロバの荷駄を複数引き連れ、様々な道具などを運んできたようである。隊の者を全て建物の外に集めると、獅子が口を開いた。

「皆の者、命令が下った。これより数か月はここに戻ることはないと思ってくれ。我々はアングル領と南部に深く侵入する。各々の役割と仕事の内容を伝えるから、心して聞くように」

 密偵達の顔に、戦士の醸し出す闘気が漲った。


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