第15話 復活祭 前編
「王は四旬節までにスコットの国から戻られ、1136年の3月22日の復活祭に、ロンドンにて御前会議を催された。その規模と格式たるや、金、銀、宝石、豪奢な衣服、更にはあらゆる贅が尽くされ、アングル国では前例のないものとなった」
年代記作家ハンティンダンのアンリはこのように『アングル人の歴史』で記している。ここで言う王とは勿論、継承に
アンリ一世の時代においても同じであったが、アングル国の王位は血統による継承と有力貴族の同意と言う二つの条件を満たす必要がある。即位間もないエティエンヌは、この二つのうち前者をある程度は満たしうるとして、後者の達成に怪しい点が多かった。アンリ一世の生前に何度かマティルダを後継者と認めるという宣誓書に同意してしまっていたため、彼の行動自体に矛盾が生じていたことが一つ。そしてもう一つ、アンリ一世の死後あまりにも早急にロンドン入城と宝物庫掌握を行ってしまったため、貴族らの同意をなし崩しに後付けするしかなかった点である。
この後付けの格好の場所が、ウェストミンスターの御前会議であった。アンリ一世の倹約と敏腕さで潤った国庫はいまだ潤沢にその水を湛え、多少の蕩尽は許されるであろうとの目算を財務官と共に立てると、殊更煌びやかにその場を飾り上げ、自らも華美な出で立ちに身を包んで、臣下たちにその威を知らしめようとしたのである。
臣下の支持を得るために、彼は大層気前よく振舞うつもりであった。まずは、アンリ一世が大幅な規制を敷いたことで知られる御猟林法の見直しである。征服王以来、ノルマンディー公家はアングル領の国王直轄森林を定め、その域内での狩猟や樹木の伐採を禁じた。先代当主アンリ一世はこの拘束を強化して、土地の開墾、樹木の焼却、弓矢の携行、犬の虚勢、勝手な放牧、建築、皮肉の採取など、かなりの細目にまで規制を強化したのであった。この規制の強化で、王家の財産は罰金を含めて潤ったのである。
だが、締め付けが大きければ当然不満が生じる。あまりにも細かい規則の為に、森林に接する教会組織などからは改革を望む声が相次いだ。エティエンヌはこれらの声を掬い上げて支持者層に懐柔しようと、前述の法の拘束を緩めることを約束したのである。また、国内の有力な伯領はそのまま安堵することも約束した。
旗幟を鮮明にすることに二の足を踏んでいた教会の要人らや俗界の有力者らは、徐々にエティエンヌになびいた。エティエンヌは忠誠を権利の付与だけでなく、金品でも贖った。王家の宝物庫の余剰を当てにして、豪奢な衣服や贈答品が与えられた。その品物を扱うロンドン商人らはこぞって王を持ち上げたであろう。
エティエンヌは王として振舞うことにやがて快感を覚えるようになっていった。王になるということはこんなにも権力を欲しいままにし、一国の形をいじることができるのか、と。権利を与えれば臣下は平伏し、自分の思う通りに操ることができる。身に過ぎたおもちゃ箱を与えられた子供のように、彼は王家の財貨を浪費した。かつてクレア家の会合で老貴族ロベールが看破した通り、エティエンヌは王となることには明確な意思と行動力があったが、なった後は王であることに意を砕きすぎ、アンリ一世が築き上げた均衡を維持することには頓着しない嫌いがあった。
復活祭の宮廷には勿論、クレア家筆頭としてリシャールが参内している。彼はこの時を含めて幾度となく国王の憲章に名を遺すことになるが、ひとまずは自分の領地を安堵させ、可能であれば加増を見込めるように動くつもりであった。その上で、ボーモン兄弟らが主要な地位を占める国王の
だが、国王の対応は余り色よいものではなかった。既にエティエンヌのブーローニュ伯と昵懇の家門は幾つもあり、なかんずく、ボーモン家がその首位に居座って動こうとはせぬ。一応王室家令と言う職務は得たが、それもロベール翁より幾分か長じていると言うだけであって、家人の序列ではまだ末席である。
この程度では満足できる彼ではなかった。彼とて血は薄いが偉人征服王の血筋を引く貴人である。王位は望めぬとしても、王の下で権勢を誇ることに無欲でいられようはずはない。富を得たものはより一層の富を求めて貪欲になると言うが、彼は権力を求めてその虜となっていた矢も知れぬ。その欲目を、エティエンヌとて為すがままに端倪していたわけではない。
エティエンヌから見れば、先代以降ワリア領を大幅に獲得したリシャールの家禄は、控えめに言っても大幅な昇進と見なしてよいものであった。地図を広げてみれば、クレア家の領土は大小を合わせて小国を為すほどに広がっており、家産も貯えを残すのに困らぬはずである。自らの王位を支持してくれるのは確かに貴重ではあるが、その見返りを求めること、また言外にそれを示唆するリシャールに、いささか辟易していることは否めない。
「余はこんなにも苦労し、また彼に多くを与えているのに、何故リシャールはより多くを余に求めてくるのか。もう十分報いてやったではないか」
そう思わずにはいられないのである。
エティエンヌの求めるものは自らの王位を「広く」支持する基盤であり、リシャールはその中の一つの礎石ではあるが、全体を支えるだけの力はない。エティエンヌはスコット王を含め、自分にかしづく者には出来るだけいい顔をせねばならぬから、リシャールだけを重用することはできなかった。
リシャールには、グウェントからケレディギオンに広がる彼の所領を可能であれば地続きで連続させ、最終的には圧倒的な軍事力を持ってグウィネド王国をチェスター伯なりと合同して征服するという野望がある。まだ構想段階でしかないが、それにはゴワー近辺のフランク諸侯の上位に立ち、彼らの協力を得て、峻厳な山地を踏破する戦略上の道を開かねばならない。その為には資本と権力が必要であった。エティエンヌの即位に関してローマ法王の認可はまだ下りず、王位の法的安定にはもう少しかかろうが、その間に権力を固めていけば、安定後にその戦略に着手して、やがては辺境領ワリアからワリア本土を併呑し、スコット王に並ぶ一大勢力となって、他の貴族の上に立つことが出来よう。
「ワリア全土を平らげられれば、辺境伯と言う立場から頭一つ抜け、実質上は副王も同然。その後は海を越えてヒベルニアに乗り込み、北海交易の大半を支配することも能うやも知れぬ。そうすればアングル王の下に拝跪せずともよくなる。クレア王朝というのも夢ではない」
宮廷詰めに疲れた身体を癒すワインを口にしながら、リシャールはそうした甘い夢想に浸ることが多くなっていた。その夢を実子に語るときだけが、最近の彼の楽しみであった。
その楽しみは、4月に入ってもたらされた急報で破られることになる。ケレディギオンのワリア人が一斉に蜂起し、現地の城に詰めかけている、と言うのがその内容であった。リシャールは愕然として、王室家令の職務もそこそこに、報の内容を吟味せねばならなくなったのである。
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