第16話 復活祭 中編
デハイバース女王グウェンシアン、フランク人との戦に敗れ死す―。
その報が遠く北カンブリアのグウィネド領内に届けられたのは、3月も後半に差し掛かろうかと言う時期であった。
それよりも先んじて、グウィネドの首府アベルフラウに滞在中のデハイバース王グリュフド一行の下へ、旅路を乗り越えた幼き息子たちが到着している。随行する従者が涙ながらに手渡す妻の美髪一束とマビノギ写本を受け取り、更に彼女の出陣へ至る事の顛末を聞いて、鋭敏な王はすべてを悟った。人目も憚らず目に涙を浮かべながら、愛する美后の頭髪を手に、息子たちの頭を掻き抱いた。
「余には過ぎた妻よ。死を厭わずに王の代理を務めるとはな」
できることならもう一度、カムルの至宝をこの手で愛でたいとグリュフドは願ったが、それは叶わなかった。息子たちの到着に続いて、オワイン王子の下に密偵が戻り、グウェンシアンと息子らの敗死が伝えられた。グウィネド王の代理としてオワインがその報をグリュフドに告げると、グリュフドは肩を落とし、与えられた客室に暫し籠ったという。
「グウェンシアンは死んだ…しかし、カムルの名誉は守ったとな」
かつてのお転婆娘の死を聞き、グウィネド王グリュフドもまた、その幼き頃の面影を思い出し、やや意気消沈したが、その顔色はデハイバース王のそれとは幾分異なっていた。絶望と言うよりは、納得の表情、と言っても良い。
「もともとあの娘は家出同然でグウィネドの地を飛び出した、姫と言うよりはまず女人であり、王妃というよりは戦士なのであったな。数奇な巡り合わせであのような人生を歩んでしまったが、相応の生き方で自らを燃やし尽くしたと言うべきやも知れぬ」
父王の言葉に、第二王子カドワラドルが頷く。
「女にしては立派に戦った。我々としては、フランク人を戦で破り、せいぜいその無念を晴らしてやるべきでござろう。デハイバースとの同盟は是非もなし」
カドワラドルの思考は直線的であり、武人としての名誉を重んじる。典型的なカムルの戦士のそれである。兄のオワインが沈着に、ややもすれば感情を吐露せず冷淡に動くのとはかなり対照的である。政治に関しては疎く、王族として父の寛仁大度には及ばぬが、行軍などでオワインの分まで働くほか、会議などの場では脇に逸れぬ常道の意見を言うので、オワインの「負担が軽減される」ところもある。今回も、オワインがわざわざ演技をせずとも、単純な利益衡量に則った至極真っ当な意見を出してきたので、その労力が減るというものだ。
「グウェンシアンの死は惜しまれるものですが、カムルの民に伝われば反フランクの気運高まるは必定。グウィネドとデハイバースの同盟を成立させ、共に対フランクの兵を挙げるは今かと存じます。何卒ご裁可を」
オワインの言上に、グウィネド王グリュフドは暫し口を閉ざし、盲いた目で息子の方を見た。
グウィネド王グリュフドの心中には、様々な思いが去来している。若かりし頃、彼は宿敵チェスター伯の城に捕らえられ、そこから逃れて後は、放浪の一時期を強いられた。ようやく故地に捲土重来を図れたかと思えば、アングル王アンリ一世との屈辱的な臣従関係に追い込まれた。だが、その間、無為に過ごすことなく、アベルフラウにフランク様式の文化を取り入れ、兵馬と民を養ってきた。彼にとって、王としての役割は守勢と蓄積であった。今まで自らが積み上げてきたその国富を投じてしまうことに、いささか躊躇いがあったのである。ましてデハイバースは、各地をフランク人に制圧され、兵力を糾合することすらままならない戦時国家であって、戦力をどこまで供給できるのか不透明であるし、仮に同盟を結んでしまえば、アングル王から彼の国への連座、反意を追求され、望まぬ戦に巻き込まれるかもしれない。
しかし、それにはオワインが既に反論を述べていた。第一に、デハイバース領は確かにフランク勢力が浸透しているが、それは恒久的な状態ではない。カムルの民は税を収めてはいるが完全にフランクに吸収されておらず、かつ敵意を持っている。ましてグウェンシアンがフランクの将に殺された。兵を起こせば必ずその不満と嘆きを吸収し、募兵に組み込むことができる。第二に、今上アングル王エティエンヌは未だ国内の統一に尽力している最中で、カンブリアに兵力を割く余裕がない。クレア家などのアングル王の重臣で辺境領の重鎮がカンブリアから離れ、ロンドン周辺で王に随伴していることがその証左である。
今一つ、ロードリー大王以降のカンブリア宗主をめぐるアベルフラウ家とディネヴル家の争いにも懸念が残ったが、これにもオワインは持論を展開した。両家が今この時に主導権の有無について語るを要せず。同格の王として対フランク陣営の頂点に座し、勝利を得て後その後の沙汰を決めればよい。目的をフランク打倒に絞るには、それしかない。鋭い息子の提案に、父王の言葉は、別の逃げ道を探す暇を奪われてしまった。
「…余が為してきた全てのことは、今この時の為であったと言うことかな」
太く吐息して、グウィネド王グリュフドは呟いた。それは自分を納得させる為の一句であった。
「よろしい。ロードリー大王、ハイウェル善王以来の大業を為すときが来たと言うべきであろう。我らはデハイバース王と盟約を結び、カンブリア全土に義兵の詔勅を下す。大王以来の家督と跡目争いは一時措き、フランク人の悪行に報いを加えるのだ」
二人の息子は同時に頷いた。
「南北の雄グウィネドとデハイバースの同盟成る」との報は、部族間に分かれて同士討ちを繰り返してきたカンブリア全土を震撼させた。デハイバース王はかつて駆け落ち同然に姫グウェンシアンを娶ったことを謝罪し、その赦免と共に同格の王としてグウィネドの二人の王子と軍事同盟を結び、今後の作戦行動を共にする。オワイン王子はグウィネドの玉座より、抗フランクの兵を募るために各地で布告を発した。
「グウィネドの王グリュフドと、デハイバースの王グリュフドが、カンブリアのすべての人々に挨拶する。今やフランクの横暴激しく、我らカムルの民が虐げられること甚だしい。グウィネドとデハイバースはここに旧来の恩讐を超え和を以て団結し、フランクに抗する為の義兵を募るものとする。フランクに受けた仇を返さんとする勇士らは我らの旗の下に集うべし。我が妹グウェンシアンの仇を討たんとするものもまた、快く受け入れよう」
このとき、デハイバース王グリュフドの方も、妻を失った悲しみからようやく立ち直り、自らの領土へ戻り、募兵活動を行う準備を整えている。
布告はカンブリアの隅々に伝えられた。僅か半世紀に満たないうちにフランク人らに故国を奪われ、雌伏の時を過ごしていたグウェントの王族の末裔や関係者らは、諸手を挙げてこの言葉を受け入れた。
「とうとう雪辱の期が訪れた。この好機を逃してなるものか」
そのように気を吐いたのは、グウェント王国王家の末裔、イォルワート・アプ・オワインとモルガン・アプ・オワインである。彼らはグウェント地方がフランクの手に落ちてからは流浪の身に近く、ブレイキニオグ王ハイウェル・アプ・マレデュドの食客として無聊を囲っていたが、先のゴワーの戦いに加わって奮戦し、次の報復の機会を狙っていたのであった。ハイウェルもグウィネドとの連携を望んでいたので、彼らは先陣を切ってグウィネドのオワインの下へ駆けつけた。ハイウェルの方は、ブレイキニオグに隣接するラファーとグラモルガンのフランク勢力牽制のため、与力の意を二人に併せて伝えるよう依頼せねばならなかった。
「グウェントの王家の末裔、イォルワートにござる。グウィネド、デハイバース両王の呼びかけに応じるために参上仕った。ブレイキニオグ王ハイウェル殿下も盟約に加わることも望まれている由、何卒お仲間にお加えくださいませ」
緊張の面持ちでアベルフラウの宮殿に参内した彼らをオワインは笑顔で迎え、旅装のままでの謁見を許可した。ここしばらく、彼は同盟に加わる有力者らとの会見に出すっぱりでやや疲労を隠せなかったが、まだ若く血の気の多そうな彼らと固い握手を交わすと、作り笑顔で場の雰囲気を解す。
「よくぞ来てくれた、グウェントの戦士たちよ。そなた達の武勇はハイウェル殿からよく聞いている」
「いますぐにでも戦働きができまする」
意気軒昂にイォルワートが答える。オワインは謝意を示すと、二人の肩を軽く抱いて声を潜めた。
「武勇に優れるお二人に頼みたいことが一つあるのだが」
怪訝そうな表情になる二人に、オワインは小さな声で何か伝えた。兄弟の表情が驚きと興奮に色づき、互いに視線をぶつけ合って、オワインをもう一度見つめ直す。
「いかがかな。大命であるが、抗フランクの嚆矢となり、果たしてくれるだろうか」
二人は大きく頷いた。オワインは目を細め、二人に満足げな笑みを見せる。
「では、策をお伝えいたそう。私の密偵頭を紹介する」
オワインが指を鳴らした。謁見の間の陰から、豪奢な金髪を翻した男が一歩歩み出る。その周囲には、まだ年端もいかぬ少年らしき覆面の若者たちが数名佇んでいた。グウェントの兄弟達はその気配のなさに一瞬慄然としつつ、また互いに顔を見合わせたのであった。
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