第12話 キドウェリー哀歌 前編

 王妃グウェンシアン起つ。その報は雷撃の如く南カンブリアの中に轟いた。グリュフド王が先頭に立っても確かにカムルの民は感激したであろうが、今回の旗印はかつての戦乙女にして美貌の女王である。民の喜びは大きかった。まして、囚われたカムルの娘たちを助けるという大義もある。フランクの手の及ばぬ地域の戦士や農民兵たちはこぞって協力を申し出、マウルの麓に集まった。

 キドウェリーの城にはおそらく100から200の騎士や傭兵が詰めているだろう。これは、かつてその地を夫と共に攻め、一時は手中にしたグウェンシアンの記憶からそう導かれた答えであった。

「戦は最後の手段。まずは捕らわれの娘たちを救い出し、村に返す。これを果たさなければわらわの出陣の意味がない。キドウェリーに兵を率いて真っ向から向かい、ドゥ・ロンドルと交渉する。もし戦になればその時は戦ってでも娘たちを奪い返す」

 グウェンシアンの決意は揺るがない。国の母として娘たちを救う義務感が、彼女の内を焼き尽くさんばかりに燃え盛っている。兵力としてどれくらいのカムルの兵士が集まるのか、問われてモルガンが答えた。

「200から300は集まるかと思われます。近隣で春蒔きの仕事を終えた農夫たちの多くが集ってくれました。キドウェリーの城兵を凌ぐ程度には集まりそうかと」

 グウェンシアンの表情は硬い。相手は戦に慣れたフランクの強者どもである。相手の兵力を凌ぐどころか、10倍以上の差をつけてでも足りぬかもしれないこと、彼女には痛いほど身に染みていた。

「農夫たちを戦に駆り出すことは本意ではない。あくまでも殺し合いは避け、交渉で事を運び、それでお互いの気が晴れて兵を引ければ言うことはないのじゃが」

 それが彼女の本音であった。春が終わり、夏が過ぎれば、また冬の作物の為の準備をしなければならぬ。フランクの支配下にある者たちは租税を払って命を繋がねばアングル領から咎めが下り、やがてエティエンヌとかいう新しい王が親征を起こす気持ちになる可能性もあろう。あくまでも地域的な紛争の形にして、痛み分け程度に持ち込めればよい。例えば、娘たちの解放に何かしらの条件がつけられれば、払える程度の代償なら出しても構わないとさえ思っている。

 最悪の事態も考えねばならない。もしグウェンシアンが万が一交渉と戦に敗れて死ぬようなことがあるとすれば、デハイバースの地でフランクに抗する核となるのは、北上したグリュフドと子息のみである。上の二人は戦に加わるとして、敗北した場合のことなどを考え、下の王子と王女らは彼のもとへ送り届け、生き永らえさせねばならぬ。王家の血さえ残れば、人々はいずれまたカムルの復仇を果たそうと、グリュフドと息子らを信じてくれるであろう。

「グワルドゥス、マレデュド、ネスタ、リース。デハイバースの王族として恥じぬように行儀よくなさい。御父上のもとに辿り着いたら、この書物を渡すのです」

 慌ただしく旅装を整える子供たちに、彼女は数巻の羊皮紙の巻物を与えた。彼女がこれまでに集めたマビノギの物語を集成したものである。この荷物を乳母や戦に慣れた従者ら数名が、王子らと共に北へ届けることになっていた。

「カムルの人々が紡いできた物語は、すなわちカムルの魂です。あなたたちが北のカムルにこれを伝え、写させるもよし。そうすれば、カムルの文化は途絶えることなく継承されます」

「わかりました、母上」

 異口同音に答える子たちが微笑ましい。まるで旅に出ることを楽しんでいるかのようである。いたたまれなくなって、彼女は一人一人を抱きしめ、頬に口づけた。

「ああ、可愛い子たちよ。どうか、神があなたたちをお守りくださいますように」

 涙ぐみながら祈りを捧げると、グウェンシアンは自らの髪をひと房握り、小刀でそれを切り落とした。革紐で両端を結ぶと、従者にそれを渡す。

「陛下に渡してたもれ。グウェンシアンは民を守ったとな」

 従者たちも目に涙を浮かべている。

 おそらくこの出頭要請は罠である。グリュフドが出てきたとしてもモーリスは彼を無事に返すとは思わない。人質として捉えてカムルの民に身代金を出させるか、獄に繋いでそのままキドウェリーを拠点に他のカムルの王族に交渉を迫るであろう。グウェンシアンが名代として赴いても、兵に囲まれて扼殺される可能性が高い。戦に慣れぬ人々を従えてどこまで戦えるのか、彼女にも自信がなかった。モルガンやマールグゥインにはそれが予想できた。母はおそらく自分の命と引き換えにしてでも、カムルの民の尊厳と誇りを守ろうとしているのだ、と。そのような母に、二人は改めて敬意と愛情を強めたのであった。


 子供たちを送り出し、すっかり広くなった砦の広場の中心に、鎖帷子を纏い、赤い外套を纏った彼女が立つ。左手にはデハイバース王家の証、赤地に黄緑の縁取りを添えた黄色い獅子の象られた楯を持ち、右手には長剣を構えて。額には夫の代わりに抱いた王冠が載る。子息二人は同じ楯を構え、両脇を固める。広場から塞の出窓に立つと、その下に集っていた数百の人々が彼女たちを見つめた。

 息を深く吸い込んで、グウェンシアンは演説を始める。

「災いなるかな、不義の判決を下す者、暴虐の宣告を書きしるす者。彼らは乏しい者の訴えを引き受けず、わが民のうちの貧しい者の権利をはぎ、寡婦の資産を奪い、みなしごのものをかすめる。」

 旧約聖書の一つ、イザヤ書の言葉を、彼女はカムル語で朗々と謳った。その声の力強さと美しさに、その場のすべての者がしんと静まり返って聞き惚れた。

「カムルの民よ、デハイバースの息子たちよ。捕らわれし憐れな娘たちを救うためにいざ、キドウェリーへ赴かん。我に続け!」

 天空に向け、彼女は剣を突き出した。喚声が上がり、人々が武器を掲げて同じ仕草を取る。グウェンシアン、グウェンシアン、と言う叫びが上がった。出窓の脇から階段状になった土の道を降り、その中央へ彼女と息子らが歩み出ると、人々が歓声を上げ、二手に分かれて彼女たちを通し、その後に続いて行進を始める。これあるかな、我らが王妃。この王妃の為になら命を張っても良い、と戦士たちは高揚した気分で足を踏み鳴らすのであった。

 …その一行の様子を、向こうからは見えない位置で、密かに見守る者たちがある。獅子隊の面々であり、鳶がその様子を遠目で観察しながら、側に控える鷲と雀、そしてもう一人、痩せぎすの細面の隊員に様子を告げているのである。

 この痩身の隊員の名は、ブラーンと言う。特技は言語で、隊員の中では武術よりも諜報や密偵活動、なかでも異国の言葉を用いて敵を撹乱する技術に長じている。北方人、アングル人、イウェル人、フランク人らの言葉は勿論、ラテン語、ギリシャ語も操れる男だった。

「ああ、グウェンシアン王妃は行っちまったな。これでオワイン王子と長の思い通りに事が運ぶことになったが、これでよかったんだろうか」

 鳶は嘆息まじりに言う。

 デハイバース王を同盟のために北上させ、その不在をキドウェリーの城主に矢文で雀が届ける。この時、文の中には、鴉の手で記されたラテン語と、カムルの言葉を添える。ラテン語で不鮮明な情報を与え、カムル語で真実を伝えることで、相手に情報の真贋を判断させる。おそらくキドウェリーの城代はグリュフド王不在を信じ、その勢力の弱体化を狙って、王妃や王子の軍を誘い出そうとするだろう。王妃は誇り高い人だから、それを無視できない。そこで両軍を接触させる。運よくデハイバースの軍が勝てば、フランクはより弱体化する。負ければ、グウィネドの潜在的な競争相手は減り、今回同盟を結ぶデハイバース王グリュフドは弱い立場でグウィネドの主導権を認めねばならない。どちらに転んでもオワイン王子の損にはならないという算段である。

「任務に私情を挟むな、鳶」

 鷲は冷めた声で鳶の嘆きを一喝した。鳶は肩を竦めて両手を広げてみせる。

「グウェンシアン王妃はカムルの宝だ。その王妃が寡兵と弱兵しか集わないにもかかわらず立ち上がったとなれば、やがてカムル全土の民に何かしらの感銘が広がるだろう。グウィネドの陣営に流れて兵となる者が増えるかもしれない。まったく、オワイン殿下の智謀の冴えと言ったら、カムルに並ぶ者がないな」

 鴉が饒舌に論じる。もともと口達者な男であり、その知識故に、オワイン王子の知性と策謀に心から敬意を払って止まない。些かその様を煙たく感じながら、鷲は腰に手を当てた。

「とにかく、この後はキドウェリーで何が起こるかを最後まで見届け、その仔細を長と殿下にお伝えするだけだ。鳶にはつらい仕事かもしれんが、最後まで抜かりなく勤めを果たすぞ」

 全員は頷いた。そして、荷物をまとめ、彼らだけの独自の道をたどり、キドウェリーへと音も無く旅立ったのだった。


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