第24話 辺境領、擾乱 後編

「全ブリタニア人の安寧、自由、そして膂力の誉れ。

 気高き、寛大なる二人の王子。怯懦を知らぬ勇ましき獅子達。神の祝福を受け、流れるようなその口上に知性在り。

 教会とその主の守護、貧者の庇護、仇敵の討伐、諍いの調停、敵対の仲裁にあたう。頼るものを全て抱擁し、魂と肉体の力にあふれる。彼らをしてブリタニア王国の統一は為されたり」

                    『カムル諸王の年代記(1135-1136)』





 ケレディギオン、あるいはカーディガンと呼ばれる地域は、アイルランドと大ブリテン島を分けるアイリッシュ海の東岸地帯に広がっており、海岸沿いに北へ向かえばグウィネド、南に向かえばデハイバースの国境に到達する交易と通行の要衝である。その北部、ちょうどグウィネドとの国境と目される地域に、アベリストウィスと言う港町がある。

 アベリストウィスとは、「イストウィスの河口」という意味である。イストウィスと言う大きめの川と幾つかの支流が合流する地点であり、ローマ支配の時代から流れの上流で金属を産するので、そこそこの価値がある町であった。かつてアンリ一世はこの地をケレディギオン同様クレア家の先代ジルベール・フィツリシャール・ドゥ・クレアに下賜したので、1136年の現在、ここはクレア家の支配に属する。先代が河口地域の南岸丘陵に巨大な石造城砦を建築したため、広大な海岸の眺めに屹立したアベリストウィス城の姿が、かなり遠くからでも把握できた。

 アベリストウィスからイストウィス川を遡ると、スランバダンという地域に出る。「パダンの地」というカムル語の地名は、古代のキリスト教の聖人パダンに由来する。『アーサー王伝説』に出てくる13の宝具の中にある「パダンの赤外套」もまた、彼の名前が元となっている。かつて大昔にグウィネド王マールグィンがこのパダンに病を治してもらったので土地を寄進した、との逸話があり、グウィネドとの由来は深い。

 この二つの地域はともに今、アングルを治めるフランク人、直接には今は亡きリシャール・ドゥ・クレアの掌中にあり、どちらも旧来のカムルの習慣をフランク様式に矯正される真っ只中にあった。


 山二つほど向こうでアングル王家の家令が暗殺された日からおよそ数週間、おそらくは5月にはいっていたであろういつかの日のこと、場所はグウィネドとアングル領の境界地帯、アベリストウィスの北東数羅馬里に位置するスランドル。明確な記録は残されていないが―かつてワルトゥー・ドゥ・ベックなる名のある騎士が建築したこの地の支城に、急報が入った。武装せる人の波が押し寄せているというのである。物見櫓に昇った守備兵は急報の元となった方角の山間の道に、大挙せる暴徒の姿を見た。

「カムル人だ!数百人は下らんぞ」

 その報告を聞いた城主は、武装の途中であった。鎖帷子を着込みながら嫌な汗を拭う。

「すぐに早馬を。手近なアベリストウィスに救援を依頼する」

 スランドルは支城で規模も小さく、防備も拙い。記録によれば、盛り土、防護柵、内堀、天守というありさまだったという。兵力は収容出来て数十から100が良いところである。城主が蛮勇を誇るよりは助力を請うて粘るのが得策と考えたのは上出来であろう。城下のフランク系入植民を城に呼び込み、それぞれに武装して糧食を整えつつ、アベリストウィスのフランク勢力に伝令を出したのであった。

 伝令からの急報を聞いてアベリストウィス城も色めき立った。即座に騎士と兵士が呼集され、救援軍が用意される。

「近くクレア家ご当主も領地視察に来られる!それまでにワリア人を掃除しておけば覚えもめでたいぞ」

 アベリストウィス城主はそう言って守備隊を勇気づけたが、敵が千を超える兵力という知らせを聞き、心穏やかにはいられなかった。おそらくは昨今喧しいワリア軍のほぼ主力と言ってよいだろう。アベリストウィスでも、更に大規模な守備兵を擁する城に助けを呼ぶべきではないか。

「ケレディギオン一帯を統括するクレア家の城に救援を願うより他あるまい」

 ケレディギオンには堅守を以て勇名を馳せるドゥ・マレという城代がおり、多くの勇将がその周辺に城を構えて屯している。いずれかのものがケレディギオン領を護る為に動いてくれるであろう。それまでは防戦一方で構わぬ。

「まずはスランドルに急行してそこの守備隊を救援しつつ、場合によっては当地を放棄してアベリストウィスに帰還して第二陣を構える。そこでワリア人を迎え撃ちながら救援軍が来るのを待つ」

 アベリストウィスの兵はこうしておよそ200の人馬を整え、守備兵を最小限に絞り、直ちにスランドルへ進発した。数時間もあればスランドルに到着してワリアを迎撃することができる―はずであった。その未来予想は、両地点の中間地帯にある森林に数百の兵を伏せていたワリア軍によって、永遠に未来のものにされてしまった。アベリストウィスの救援軍は森を通り抜ける際に自分たちの倍はあろうワリア人の伏兵に側背を撃たれ、短く激しい激闘の末にほぼ壊滅してしまったのである。そして、アベリストウィス本城がその動きを這う這うの体で逃げてきた騎士から聞いた時には、既に更なるワリア軍別動隊が、城の西、海岸方面から大挙して襲い掛かってきた。こちらの集団の先頭には、衝角などの攻城兵器が用意され、その数はあろうことか1000を有に超えると思われた。

「人は自分の信じたい物事に気を取られる。救援という目的ができてしまうと、その目的遂行に目線が凝り固まり、他の物事への注意が疎かになる」

 西側からのワリア―カムル軍の陣頭に立ってそう呟いたのは、誰あろうグウィネドの王子オワイン本人である。

 オワインの用いた作戦は、単純な各個撃破の応用であった。まずはスランドルの城兵を刺激し、アベリストウィスの守備隊を揺さぶる。このとき、スランドルの守備隊が守備の意思を挫き、かつアベリストウィスの守備隊が何とか伍しえる程度の兵力をちらつかせる。アベリストウィスはオワインらがカムル全土から数千に及ぶ人員を集結させたことを―慢心から調べもしないであろうから―知りえない。アベリストウィス守備兵が現状のほぼ全力で移動したのであれば、それが戦意と陣構えを整える前に撃破する。勿論、十分な戦力をその待ち伏せに用意しながら。

 アベリストウィス城には十分な守備兵力は無く、城門が破壊されれば間違いなく敗北の憂き目を見るであろう。オワインは形だけ火矢を射かけ、煙と火炎に悶える城壁を茫然と見据える敵城主に降伏勧告の使者を送るのであった…。

「壊してしまえば城門も修復せねばならんからな。は頂いて、持ち主にはご交代いただこう」

 

 1136年のケレディギオン奪還について、「手始めにワルトゥー・ドゥ・ビーの城を襲い、翼を広げるようにアベリストウィスを攻め落とした」と『カムル諸王の年代記(1135-1136)』は語る。弟カドワラドルにスランドルを接収させた後、オワインはアベリストウィスの側に位置するスランバダンに兵馬を進め、財貨と建物には傷をつけず、フランク系の聖職者を「旅費を与えて」追放し、放逐されていた側のカムル人聖職者を復位させ、カムル人キリスト教徒の復権を行った。聖職者の任免権は基本教会、ローマ法王の差配するところであるから、本来であればこれは叙任権の問題になりうるのだが、

「カムル人僧侶には頑張って我らの行いを法王に正当化してもらおう。誰よりも聖職者としてきちんとした地位を求めているのは彼らであるのだから。何より、エティエンヌ王とやらですらローマ法王に正式な王位継承を認められていないのではないか」

と一笑に付すオワインであった。付言すれば、この地域に派遣されていた僧はグロスター大聖堂経由の経歴の僧侶であったから、狼藉を働いてグロスター伯の不興を買うが如きは避けねばならなかった。

 オワインの側から見て、そして獅子隊から集めた情報から考えて、この戦が終わって後、カンブリアとアングルの中間に位置して何らかの防波堤を提供してくれるのは間違いなくグロスター伯ロベールに他ならない。篤実かつ高貴な生まれの彼は人望厚く、そしてその人望に答えるだけの地力がある。聡察なウォリングフォード卿ブリアンが盟友を買って出ているのであれば猶のことだ。恩を売って損は無し、との判断は容易であった。

 程なくその教会荘園よりさらに南のスランビハネルの教会領を同じように解放したオワインは、この三点を結んだ地域の解放でケレディギオン奪還の第一段階が完了したことを認めた。すなわち、北部グウィネド領から直接ケレディギオンに侵入する橋頭保が築かれ、この中継点を基軸に、ケレディギオン各地に兵力を送り込むことができるようになり、かつ、ポウィス・ブレイキニオグ方面のカムル人たちとの合流も難しくなくなったのである。

「ここからが本番だ」

 緒戦の勝利を確認しながらも、オワインの表情は緩まない。クレア家の指導者を害し、南北大同盟を為し、ケレディギオン領を手に入れるところまでは規定の通りである。だが、フランク人とて蒙昧ではあるまい。あの手を弄せばこの手で返してくるのは間違いない。最終的にはどこかでその牙を抜き取らねばならぬ。

「俺たちは勝ち続けてきているが、簡単には喜ばぬのだな、兄者は」

 闘士らしく勝利の美酒に酔うカドワラドル―年代記に記されるもう一人の王子の朴訥とした笑顔に、オワインは冷めた笑いを返す。

「負け続けてきたものがたまさか意趣返しをできただけだ。本当の勝利はやつらに相当の対価を払わせるまでお預けだな」

 負け続けてきた、まさにそれは事実であった。カムル人はこの年まであらゆることで負け続けてきた。誇りと先祖への自負は人一倍ありながら、お互いの足を引っ張り合いながら、歴史的敗者としてここまで来てしまった。この程度の勝利でそれらの負債すべてが消えるはずはないのである。現に、オワインの策謀はまだ底を見せていない。勝った後に為すべきことを常に考える求道的な姿勢は、死ぬまで手放すことがないであろう。故にオワインはいつもこうまとめるのだ。

「まぁ、だからといって、一矢報いもせず消えていくには、人生は長すぎる」




 

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