第28話 潑皮、もしくは貴顕

 1136年6月以降、アングル人の支配するワリア辺境領は、先王アンリの時代に比べ、治安悪化の坂を転げ落ちるかのように不穏であった。フランク系貴族が支配する地域の行政官がワリア地域の租税を集めようとすれば在地ワリア人の厳しい反目を浴び、ひとたびならず納付を断られたり、脅されたりする事態が相次いだ。

「フランク人ども、今に見ていろ。ワリアの正当なるトゥイソク、オワイン殿下が貴様らをこの地からつまみ出してくれるぞ」

 ワリアの民は口々にオワインやカドワラドルの名をあげ、行政官らに楯突いた。困った行政官らは、威力を以て法執行に応じざるを得ない。自然と頼られるのは、腕っぷしの強い大陸渡来系の騎士や傭兵である。数名以上で連れだって官吏の側に彼らが武器を担いでたむろすれば、反発していたワリア人も渋々―もちろん、不服そうに―貢ぎ物を捻出せざるを得なかった。この用心棒役も勿論無給ではない。それなりの駄賃を払わねばならぬ。辺境界隈でこの役をよく果たす騎士の一人に、ラヌルフという者が在った。かつてキドウェリーにてグウェンシアン王妃捕縛の一助を担った武芸達者である。


 モーリス・ドゥ・ロンドルの食客となっていたこの偉丈夫は、もとはフランドル地方の出である。零細身分の騎士を父に持っていたが、仕えた貴族が敗軍の将となって文字通り零落して路頭に迷い、傭兵に身をやつした。もともと武運拙い男だったようで、幾つかの戦いを経て矢傷がもとで命を落としてしまい、その一人息子としてくっついてきたラヌルフは、そのまま傭兵団の一員に加わり、いつしか戦士として成長していった。

「俺は決して父のようにならぬ。生き抜いて富貴を手に入れる」

 少年の彼に最初に与えられた武器は短剣であった。これで敗残兵の死に首でも掻いてみろ、と言いたげな年長の兵士らの、苛めにも等しい行いに、少年兵は短剣の扱いに卓越することで答えた。短剣で死に物狂いに人を殺し、鹿やウサギを狩った。やがて投擲では傭兵団一の技量を誇り、手にする武器を増やして、報酬を稼いだ。食べる量に比例して彼の体躯はより強靭となり、傭兵団の中核として戦働きに勲功を上げるようになった。

 そのまま傭兵団の主となって、大陸の貴族らの寵愛を勝ち取り、城持ちの武将となる未来も、無くはなかった。だが、手柄を立てれば妬まれるのは世の常である。青年になったある時、そこそこの規模の戦で勲功随一、敵将を何人も屠ってたんまりと褒美を持ち帰った彼に、傭兵団長シェフがこう吐き捨てたのであった。

「貧乏騎士の小倅こせがれめ、拾ってやった恩を忘れて一人立ちした気になりやがって。俺の邪魔をするのは親父譲りか」

 酔っていたのであろう、普段口にしないような内容を、主は口にしていた。どういうことだ、とラヌルフは訝しげに問う。

「お前の親父、俺のことを手柄盗みと言いやがった。何のことはない、ちょいと働きの数を馴らして雇い主に報告するだけのことだ。あいつはどこかから記録係の帳簿を盗み見やがったんだろうな。敵将を討ち取ったのに記録されていない、自分にも子供がいる、不公平だとよ!あまりにしつこいからその次の戦では矢じり抜きを後回しにしてやった。案の定、消毒が遅れて腐れ病に罹ってあの世行きよ」

 酒臭い息を不潔な歯の間から漏らしながら、ひっひっひ、と主は笑い出した。

「いいか、この傭兵団のシェフは俺だ!お前もひどい目にあいたくないなら自重して俺に貢げ。悪いようにはしない」

 彼の言葉はそこで途切れた。激発したラヌルフの手から短剣が飛び、彼の喉、気管と頸動脈が通る一点を真っ直ぐに貫いたのである。乾いた音を立てて、糸の切れた操り人形のごとく、数秒前まで足を踏みしめていた場所で膝から崩れ落ちた団長に、ラヌルフの丸太のような足蹴りが飛んだ。随伴していた団長の付き人が悲鳴を上げることもなく恐怖におののき座り込んだ。鈍い音を立てて団長が吹き飛ぶ。喉を搔きむしり呻く彼に、青年の眼光が冷たく注がれた。

「うんざりだ」

 ラヌルフは剣を抜いて団長の太鼓腹に突き刺すと、これ以上ないほどの残酷さでその剣を掻きまわした。血反吐と体液に塗れた団長は散々に苦悶しながら数分で絶命した。さきほどの付き人がようやく思い出したかのようにか細く悲鳴を上げながら逃げていく。血しぶきを浴びながら、だが、青年は何やら爽快と例えんばかりの笑みを湛え、団長の財貨を持てるだけ持つと、武具を集めて馬に跨り、その場を去ったのである。

「この地域で信用されることはもう無いだろう。海を渡って戦のある所で働くのが良いかもしれぬ」

 傭兵団の中でもめ事を起こした、まして上長を殺したとなれば、札付きの悪党として扱われ、雇われなくなってしまう。実力至上主義の世界とはいえ、根本に倫理が全くないわけではないのだ。背中を預ける者に寝首を掻かれるような危険は誰もが厭うべきことであろう。

 フランドルから流れ、フランク領やイタリア各地を転々としながら、ラヌルフはいつしか壮年期に差し掛かった。その時、手ごろな働き場所として、アングル領辺境の話を聞いた。噂によれば、傭兵身分から栄達して城持ちになることもできる場所がいくつかある…イベリアはまだムーア人ムスリムだらけだから駄目だ、聖地十字軍、イタリア辺境、そしてワリア辺境…ワリアならやりやすい…。

「腕に覚えはある。かの地で城持ちにでもなってみるか」

 こうして、ラヌルフは海峡を渡り、アングル領の人となったのであった。以降、主にワリア辺境で名のある傭兵の一人として、ノルマンディー系の貴族の下で働き続けた。冷血な辣腕と豪勇さで、領主層から「ワリアの用心棒と言えばラヌルフ」との声が上がるようにもなっていた。そして今、俊英ドゥ・ロンドルの食客となり、一軍の将に並ぶ地位にまで昇りつめた。

 彼にとって、先代アングル王アンリ一世時代の傭兵稼業は、簡単な仕事ではあっても、心弾むものではなかった。地域の小さなワリア反乱に出向いてはその地域の人々を脅し、時には「狩り」、日銭を稼ぐ程度である。王が名君であればあるほど治安が維持されるわけで、これは世の平和を意味するのだから、万民にとっては有難いことではある。一方で、彼らのような人々にとっては、大きく手柄を上げることもできない。心楽しからぬ日々を悶々と送るしかなかった。或いは、選ぶ道を間違ったか―。ラヌルフの抱える無形の焦慮は、燻された炭火のように彼の心をちりちりと痛めつけていった。

 しかし、潮目は変わった。稀代の名君アンリ一世がこの世を去り、半ば奪い取るようにエティエンヌがアングルの玉座について、対抗馬たるアンリの嫡流が存命である。このままいけばアングルの政争は戦に発展し、傭兵の活躍が見込まれる。更に言えば、ワリア辺境もきな臭くなり、大量の血が流れるようになってきた。稼ぎ放題の時代がやってくる、というわけである。

「どうにかして、数えきれないほどの敵を殺してでも、俺はこの腐った仕事から足を洗い、城持ちの騎士に昇りつめてやる。そして傭兵たちを手足のようにこき使ってやるのだ」

 ラヌルフは時折、少年の頃を夢に見る。薄汚れた身なりで、自分で作った襤褸人形に短剣を投げつけていた日々。矢傷からの壊死に苦しみながら青ざめていく父の顔。自分をあざ笑った傭兵仲間たちの声。背を寝汗に湿らせながら悪い夢に酔って目を覚まし、その度にため息を漏らしながら思うのである。

「俺はもう潑皮ごろつきには戻らない、貴い身分に成り上がってやる」

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