第5話 アベルフラウの親子 後編
オワインが城門にたどり着くと、そこでは届けられた鉄鉱石の検分が行われていた。検分に立ち会っている男は、やや丸顔だがよく灼けた赤ら顔の壮丁で、無精髭が粗野な印象を与えるが、商人と朗らかに話す言葉には、発音の良いフランク語が使われている。フランク語を話せるものはそれほどグウィネドに多くはない。
「ジルか、石の品質はどうだ」
オワインは男に訛りの少ないフランク語で呼びかける。ジルと呼ばれた男は彼に気づいたようで、笑顔を返した。
「これはオワイン殿下、こいつはそこそこ上物でございますぞ。混じりっ気も少なく、砕けば良く溶けそうな石ばかりにございます」
「そうか。結構なことだ。私が頼んだものは作れそうか?」
オワインは近寄って鉄鉱石を見た。確かに、カムルの地では取れなさそうな鈍色の石がある。
「そうですな、北方人の使う高窯を模して作らせて頂いたわたくしの鍛冶場であれば、必ずや秋までにはご要望に沿えましょうぞ。そのためには人手がもう少々、要りようとなりましょうが」
高窯とは、後に高炉として知られるようになる製鉄技法のひとつである。この時代の高窯は、東欧や北欧から伝播したもので、フランク領内でもまだ広く伝播していない。このジルと言う男は、その製法を北方人の国で学んだのであった。
「手伝う人間はできるだけ用意しよう。後で私に要求してよい。報酬も可能な限りは用意する。何としても秋辺りまでには数をそろえておきたいのだ。」
「かしこまりましてございます。命を救っていただいて尚このような仕事まで頂けるのであれば、鍛冶屋冥利につきるというもの」
ジルがオワインのもとで仕えているのには、やや複雑な経緯があった。ジルがかつて住んでいた地域は商業の地、フランク領シャンパーニュであった。数年前領主の命で東欧の鍛冶技術を学ぶために鍛冶屋の徒弟からなる使節団が組織され、彼もその一因となり、陸路で東欧に向かったのである。ところが旅路の途中で傭兵崩れの野盗に襲撃を受け、命からがら逃げだしたところ、流れ着いたのがフランドル伯領の港町、ブリュージュであった。故郷に帰りたくともその日を生き延びる金が必要であり、港で仕事を探したところ、北海交易の荷役があった。北海の先には北方人の国がある。北方人が鍛冶に高い技術を持っていることを知った彼は彼の地に渡り、高窯の鍛冶場で片言の北方語で仕事をしながら、目と記憶に頼って技術を学ぶと、フランドルに帰還したのである。そこで遠くカンブリアに交易をする商人から、グウィネドに腕のいい鍛冶職人を求める王がいると聞き、再びはるばる旅をしてきたのであった。
「どうせ故郷に帰っても鍛冶場の親方になれる保証も無し、死んだと思われているやも知れぬし、ならば王族の庇護を受けた方がましというものだ」
自分にそう言い聞かせながらグウィネドに渡ったジルであったが、この地での待遇は予想するよりも遥かに「まし」であった。依頼者の第一王子はフランク語を操り、自分に鍛冶場をひとつ任せてくれるという。しかも材料を国費で取り寄せてくれるとまで言うのだ。否やはなかった。巡りあわせに感謝して、彼はオワイン王子の客となり、北方人の高窯を模した炉を作り上げたのである。
オワインが従者に商人、ジル双方へ謝礼を渡すように命じ、商人の馬車が去った。と、城門へ駆ける騎馬の一団が遠くから現れた。先頭には、オワインとそこまで歳の変わらない、しかしやや体格の優れた騎士の姿がある。瞳の色は、オワインと同じ薄い緑色である。騎士はオワインの側にまで馬を寄せると、手綱を引いて制動した。
「只今戻った、兄上。馬上より失礼いたす」
騎士の名はカドワラドルと言う。この年35歳、オワインの弟で、勇猛なカムルの戦士としての誉れが高い。自ら陣頭に立ち刀槍を振るうことを好む型の男で、気性が荒く、どちらかと言えば亡き長兄のカドワロンに似たところがある。
オワインは、兄同様、この弟をあまり好いてはいなかった。作り笑顔を浮かべると、幾分声を和らげ、弟に労いの言葉をかける。
「カドワラドル、ご苦労だった。騎兵の練兵はどうか」
「兄上の言われた通りにフランク式の集団突撃などをやっているが、形になるまではもう少しだな。この鐙というものに慣れるまであと数か月はかかりそうだ」
そう言ってカドワラドルは鞍上で足元を踏ん張ってみせる。鐙の使用がケルト文化に行き渡ったのは中世もかなり後になってからのことで、この時代、カンブリアを含めたケルト文化圏において、フランク騎兵の技術を導入していない地域では、鐙を使わずに騎乗していた。その形であると、馬の上で姿勢の均衡をとることが難しく、行動の統一も取りにくい。オワインは、フランク騎馬の導入に合わせ、鐙の技術も戦士たちに浸透させようとしていた。
「フランクとの戦いには必要なことだ。そのまま私が求める水準にまで戦士たちを鍛えてほしい」
「心得た。早くフランクの者どもを血祭りにあげたいのう」
揚々とカドワラドルは笑い、連れの者どもを率いて、城内に入っていった。厩に馬を預け、酒蔵に貯蔵してある
「我が妹グウェンシアンへの使いは出したか」
「昨日早馬にて出発してございます。おそらくは遠からずデハイバース領に入り、お目通りがかないましょうかと」
「よろしい」
オワインは外套を翻して振り返ると、城内へと戻っていく。彼にはまだ為すべきことがカンブリアの山々よりも多く積み上がっているのであった。
グウィネド王グリュフドには妃アンハラドとの間に8人の子供がいる。男児3人の他女児が5人であるが、その末娘に、美貌で知られるグウェンシアンと言う名の娘があった。
グリュフドはイウェル人の国アイルランド、ラテン語ではヒベルニアと呼ばれる地に亡命した父カナンと、その地の北方人都市国家ダブリンの生まれであるラグネルトとの間に生まれたが、このラグネルトと言う女性は、11世紀に名を馳せたダブリンの
長じるにつれ、グウェンシアンはカンブリアにその姫ありという美しさで知られることになる。おそらく、北方人、イウェル人、カムル人の血が絶妙な混ざり方で発現したのであろう。抜けるように透き通る肌と、早熟した豊麗な肢体、燃え盛るような赤毛と勁く大きな空色の瞳は、10代も前半でカムルの人々を虜にする程であった。
グウェンシアンはその美麗さに加え、侠気にも恵まれた。幼いころから兄に混じって武芸を習い、少女の頃から馬を嗜んで山野を駆けた。馬に乗る彼女を見て、カムルの民は顔を綻ばせた。誰かに守らせたい、同時に守りたいと思わせる、天性の魅力が彼女には備わっていた。
そんな彼女が僅か13歳前後の時、事件は起こる。南方のカムル人国家デハイバースの王、グリュフドが親善の為にアベルフラウを訪れたのである。彼はグリュフド王と同名であるが、父親はリース・アプ・テウドルであり、本名は父称でグリュフド・アプ・リースという。この時彼は32歳頃であったと伝えられるが、グウィネド王と同じく、フランク人の災禍から逃れ、亡命していたアイルランドから帰国したばかりであった。アンリ一世との和約以降著しく勢力を巻き返したグウィネドの王と誼を交わし、荒れ果てた祖国で自らの立場を強化する狙いがあったと考えられる。
彼はアベルフラウの城にて、王の一家と謁見した。そこには王の子らも同席したであろう。礼服を纏ったグウェンシアンを見て、南方の王は完全に心を奪われてしまった。そして、若き頃の父と離れて過ごす期間が長かったグウェンシアンもまた、この壮年の若き王に何か感じ取るものがあったようである。二人は互いに懸想し合い、密会を重ね、僅か数日で相思相愛の仲になってしまった。
本国帰還の日が近づき、デハイバース王はグウィネド王にグウェンシアンとの婚礼を申し出たが、まだ年若い末娘の行く末のことと南方の戦乱の状況を憂い、後者は俄かに態度を決めかねた。もう少し時間をおいて判断すべきである―温かいが真摯な謝絶により、前者は仕方なく引き下がり、後日の交渉を約してアベルフラウを発ったのである。
父王が求婚を断ったと聞いて、グウェンシアンは自室に籠り、ひとしきり枕を湿らせると、意を決したように起ち上って身なりを旅装に整え、剣まで佩いて侍女に告げた。
「
慌てる侍女を尻目に、彼女は厩に直行し、厩番の制止の声も聞かず、愛馬に跨って城を出てしまった。馬を走らせること小一時間で彼女は辞去の途にある思い人に追い付き、驚く相手に馬を並べた。
「あなたの妻になります、王よ」
感激した王は改めて馬を降り、彼女にもう一度求婚したという。
グウィネド王グリュフドはこの事を知るや、一応は乱世の王らしく逡巡したらしい。アングル王アンリ一世と共謀し、デハイバースを攻め、娘を奪還することも模索した。しかし、フランク人の家中の人となっていたデハイバース王の妹ネストがこのことを知り、使いを走らせてデハイバース王グリュフドに知らせたため、新郎新婦はそのまま馬を全速で南に走らせてデハイバースに入ってしまった。デハイバースの領内深くに入ってしまえば、追うことも難しくなる。グウィネド王は大度を以て娘をあきらめ、為すがままに任せることにしたのであった。
グウェンシアンはデハイバースの首府ディネヴルへ夫と共に移り、フランク人との抗争の中で四人の子を設けていくことになるが、その人生は彼女の望むものであったろう。デハイバース王国は常にフランク人の植民活動に晒され、日々が戦いと流浪の連続であった。強力なフランク兵の進撃に、彼女は夫共々剣を手にして戦い、時には山塞や森の中の拠点を軸に、頑強に抵抗を続けた。雷光の如きゲリラ戦術に、フランク軍の進撃は少なくない損害を受け、物資を奪われた。奪われた物資は、カムルの民に分け与えられ、苦難を生きる彼らを大いに助けた。
戦果も見逃せなかった。神出鬼没な彼女らはスウォンジー城の外郭を破壊し、カマーゼン城とキドウェリー城を一度は攻め落とすなど、カムルの民の心を勇気づけるには十分な勝利を収めていった。自慢の城と城を繋ぐ網を蚕食され、フランク勢力は相互に助け合うことすら難しくなったという。
当時存命であったアングル王アンリ一世は、むざむざ事態を座視していたわけではない。剛柔の策を用いてデハイバース王国を落ち着かせようとした。父祖代々のマウル地方を同王国の領土として安堵するなどの策を講じたが、西カンブリアの穀倉地帯となるケレディギオンへの侵略をデハイバース軍が繰り返したために、諸侯に檄を発して、クレア家を中心にしたデハイバース領遠征軍が進発して反乱を鎮撫したので、グウェンシアンらは一時的にアイルランドへの離脱を余儀なくさせられた。このときは程なくして封建軍の解散が行われたため、警戒の薄れた領地に戻ることができた。その後もずっと、彼女たちはカンブリア南部の民を糾合する象徴であり続けている。
「造物主とは存外無能なものだ。グウェンシアンが男に生まれれば、俺の手駒としてうまく使えたものを。あれは女のくせに侠気が強すぎる」
オワインは不敬にもそのように造物主に愚痴ることがあった。あの獰猛な女豹のような妹がもしも男児に生まれていたら、早々に手なづけて、カドワラドル等よりも動かしやすい王統の一人として、対フランクの布陣に好い展開が生まれたかもしれぬ。現実、彼女は意図せずか意図してか南部でフランク人に抵抗しているが、それはグウィネド王家の利益に直接は与しない。領土と王家が異なれば兵権も異となる。自らの動かしたいようにデハイバースを使嗾するには、ひと手間もふた手間もかかりそうであった。
フランクに対する、グウィネド王国を盟主とした、カンブリア全土の蜂起。オワインが父に語った戦略構想は、常にカンブリアの王族の理想として描かれる統一カンブリアを終点に置いた一大事業である。しかし、今まで有力な王が何度となく企てられたそのほとんどが徒労に終わっている。カムルの部族的な分裂は根深く、各王国は自己の生存を念頭に、時にはフランク側と手を組み、他のカムルに対する利敵行為を行う。中にはフランクの貴族と通婚して両者の血を混ぜてしまう王族もある。そのような状況では大同団結など夢のまた夢である。まして、カムルの戦士は自己の誇りと名誉に傾倒し、部族間同士の復讐合戦に堕してしまうことしばしばで、戦略的な連繋が難しくすらあった。グウェンシアンらがその好例であろう。
それならばその誇りすら逆用するしかない、とオワインは考える。カムルの人々の心の正負を利用して、心の去就を操り、カンブリア全土の戦士が一つの方向に向かうように仕向ける。その為には手段を選ばない。正道を歩んできた父王とはまた別の形の王者としての思考が、彼にはあった。
たとえそれが人の情を裏切るものだとしても―。
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