第3話 カンブリア秘史 後編
洋の東西を問わず、指導者を血統で選ぶ時代の後継者問題は、古代から人々を悩ませる問題である。後継者争いに端を発する国内の分裂状態にカンブリア領内が荒れる間、規模は違うにせよ、アングル王となったノルマンディー公家にもその苦しみがあった。
武と征服の巨人であった征服王ギヨムは四人の男児を残し、早逝した次男を除き、各々が長じて領土などを分割して相続した。長子ロベールは大陸領ノルマンディーとメーヌ、三男ギヨムはアングル国。四男のアンリには、莫大な金銭のみが与えられ、領地はなかった。一世紀後に同じような状況で「欠地王ジャン」と呼ばれる王族が輩出されるその先を、この王子は歩んでいたことになる。
後世のジャンは明らかに性格的な難があり、それが国家的な破局にまで影響を与えたという評価がある一方で、この時代のアンリは自らの曾孫ほどに愚昧ではなかった。彼には、状況と機会を利用する犀利な頭脳と、大胆な行動力があった。
まず、状況である。
当時アングル国を継承していたギヨム二世は、堂々たる体格の偉丈夫で、「よくできた御仁、お顔立ちは赤く、御髪は黄色、広いお顔に金銀怪しい瞳。煌びやかな特徴を幾つもお持ちでいらっしゃる。膂力驚くべきものあり」と同時代のマームズバリの年代記作家が残しているところ、王侯としての風格はあったようだ。その一方で、「騒々しく向こう見ずな戦士であり、気品や社交力に欠け、宗教上の敬虔さや道徳にも薄い…あらゆる種の悪徳に溺れ、とりわけ
武略に優れ、直情的であり、生涯子を為さなかったと言われるこの王は、国の精神的な支柱となる教会組織と―おそらくは原則として自らの男色を咎められる点から―融和することができず、また、自らの宮内費を賄うためか、相続税や賦役をを加重して、国内で俗界聖界、相互に隙を生じた。聖界とて領土を持ち聖職者組織を抱える一大権力であり、大貴族との結びつきも強い。やがて大貴族に今上アングル王排斥の気運が沸き上がった。ギヨム二世の臣下としてアングル国の政治に参与していたアンリには、その動きが手に取るように掴めていたであろう。おりしも、十字軍の第一回遠征が叫ばれている時勢であり、長兄ことノルマンディー公ロベールはその戦に加わって遠く中東遠征の途上に在った。
ほどなく、1100年8月、ギヨム二世は狩猟中に流れ矢に当たり、その矢傷で他界することになる。背後にはクレア家などの大貴族が関与したことが後世論じられているが、直接的な証拠が残されなかったことから、全容は解明されていない。歴史的風化を味方にした、ある種の完全犯罪であったと言えよう。
機は熟した。兄王に忠誠を誓いながら蠢動していたアンリは行動力をここぞとばかりに発揮し、兄ロベールの相続権などを無視して、ウィンチェスタの国庫を武力で押さえ、ウェストミンスタに入り、ロンドン司教の手でアングル国王戴冠と聖別の儀式を済ませてしまった。貴族が動揺する前に戴冠の為の
私腹を肥やして武断的だった前王に辟易していた国内は、新王の明敏さに賞賛を惜しまなかったようである。こうして、行動力と知性とを備えたアングル王アンリ一世が登極する。アンリ一世は十字軍から帰還した兄ロベールを大陸領内のタンシブレで破り、ノルマンディー公国の領土を継受して、名実ともに亡父たる征服王の遺産すべてを手中に収めたのであった。中世アングル国の建設は、再び次のページを開くことになる。
新しいアングル王アンリ一世は、碩学王としての異名でも呼ばれるが、幼少期に獲得した自由七科とラテン語の教養を駆使し、現状を正確に分析しつつその時に最適の処断を下す力につなげていたようである。彼の政治力は、カンブリア領の統治にも向けられた。
アンリ一世即位の頃、グウィネドの王はアベルフラウ家直系の王、グリュフド・アプ・カナンである。先述のチェスター伯・シュルスバリ伯連合軍の劫略により海外に亡命していたが、程なく祖国に帰還し、チェスター伯を小規模な戦で破ると、国内の諸勢力を糾合し安定化に努めていた。ポウィスの王カドワロンも対ノルマン戦略でグウィネドと盟友関係にあったので、北部から中部のカンブリアは実質強固な防衛線でアングルの魔手を妨げていたと言える。一方、南部はと言えば、フィツ・オスベルン客死の後、ヘレフォード伯位を継いだブルトウィユ伯が政争で敗れて王国直轄の領土に召し上げとなり、その下で大小のノルマン諸侯が入り乱れた王非公認の戦が相次いで、デハイバースの領土は千々に乱れていた。
アングル王位を得たばかりのアンリ一世はカンブリア―ワリア一帯の騒擾につき、ひとまずは状況の整理をつけようと考えたらしい。即位後彼はすぐにカンブリアの諸王を呼び寄せ、当事者の辺境伯らをも参加させて、王侯会議を招聘した。征服王の頃からの重臣であったダヴランシュ、モンゴメリー、オスベルンらは既に泉下に没しており、新世代での調整がつけやすい時期に来ていたのも一因であろう。
「これまでのワリア辺境伯の暴虐には目に余るものがある。グウィネド王には先祖代々の土地としてアングルシー他の領土を復し、現在彼が既に良政を敷くアセクウェドの地を新たに領土として認める。また、第二代シュルスバリ伯ロベール・ドゥ・ベレームが持つケレディギオンの地はポウィス王の手に復す。」
先代伯らの暴挙について、ひとまずはアングル王が譲歩し、諸王の領土を回復させるという狙いが、この時の沙汰には表れていた。戦乱に疲弊しきった国土と民を抱えるカンブリアの首長らに否やはなかった。特に、グウィネド王グリュフドは虐殺の巷となった本領アングルシーを再興させねばならず、なんとしても時間を稼ぎたかった。他に途は無かった。
無論、彼とて、数十年にわたる不法な侵入者らを旧来のカンブリアの地よりも退かせることを声高に主張したくないわけではない。グリュフド自信、チェスター伯の奸計を受けて長きにわたり牢獄に繋がれた過去もある。彼らがいる限り、カンブリアに安寧は訪れない。しかし誇示できる軍事力も弱い今、それは過剰な要求であろうし、何よりも、再びフランク人が攻め込むまでに兵と民を養う責務があったのだ。それは即位したばかりのアンリとて同じことだろうと、彼は考えた。
盟約は成り、以後の平和は約された―かのように思われた。
この当時のカンブリア人の目線に欠けている物事の一つに、アングル国、およびノルマンディー公国の経済力が挙げられる。カンブリア領の数倍に上る領土と、更にその何倍もの商業と農業とからもたらされる地力が、アングル国にはあった。グリュフドが赤心から「作物を植え、それらが実り、きちんと刈り取られる」程度の回復を目指す10年近くの間に、アンリ一世は内憂となる政敵を排除してしまい、アングル国を再びまとめ上げてしまっていた。アングル王・ノルマンディー公にとっての時間稼ぎは既に終わり、余裕が生じていたのである。
ここで、第二代チェスター伯リシャール・ダヴランシュと言う梟雄が歴史に現れる。1101年、餓狼の異名を取った父ユーグを幼年期に継承した彼は、忠良な臣下の補佐を経て長じるにつれ、亡き父の偉業を継ごうと決心したようである。成人した後は手勢を引き連れて陣頭に立ち、再びグウィネド領の東部を攻め取るようになった。戦火に焼け出された流民が生じ、グウィネド領のある西部に流入した。グリュフドは嫌がることなくそれを受け入れたが、そこに付け入る口実が生じた。ある日、グウィネド王はアングル国王からの親書を受け、驚愕した。
「アングル国に対し叛意ある者どもがグウィネドに匿われているとの報有り。グウィネド王は事の仔細を調べ、かかる咎人在らばアングル王に差し出すべし」
根も葉もない噂と言うよりは、完全なでっち上げと言うべきであろう。おそらくアングル国の統治が安定し、カンブリア領に割く余力が生まれた為に、アンリとチェスター伯が結託し、本格的なカンブリアへの圧迫を強める方策が固まったのである。グリュフドは歯軋りして震えた。
「図られた。最初からアングル王はそのつもりだったのだ。わしは浅はかであった」
篤実さで知られるグリュフドの嘆きは、だが、何ら生産的な答えを導けはしなかった。謀反人などを流入する民の中から見つけることは至難の業であり、かといって、彼には無実の罪の民を犠牲にして―つまり適当な罪人をこちらからも「でっち上げ」て差し出すような卑怯な真似は出来なかった。答えは勉めて簡潔に、「本国にそのような疑いのあるものなし」でしかなかったが、それこそ、アングル陣営の待ちわびていた答えであった。
「時間をかけて調べるでもなく、またアングル本国からの調べを要請するでもなく、一方的な謝絶は承服できず。ワリアの王の行いに叛意あり。アングル王は戦を以てこれに応じる」
最後通牒であった。どのような答えでも最終的に結論は同じであっただろうが、グリュフドに策士としての才能があれば、適当な人間を選んでアングル本国に送り付け、時間を稼ぐ間に他の手も打てたであろう。しかし前述のとおり彼はそのような酷薄さとは無縁であったので、時期は失われた。盟友のスコット王アレクサンダー一世を陣頭に、チェスター伯が参陣し、アングル軍は大軍となってカンブリア領に侵入した。1116年のことである。
カンブリアの地を埋め尽くした大軍が近づくにつれ、まずポウィスの王が降伏し、城下の盟を誓った。今までに見る規模の軍とは明らかに違う大軍であって、小国の軍勢では立ち向かえるものではなかったのである。ケレディギオンの王も北の山脈に逃げ、グリュフドはいよいよ対応に迫られた。
「無名の戦を為して民を虐げることを余は望まぬ。ここは膝を屈するしかあるまい」
グリュフドはこの時既に齢60を超え、視力をも失っていたことから、体力的な難しさも感じていたのであろう。戦を主張する臣下らの声を制し、名より実を取ることで、次代の巻き返しを願ったのである。
こうして、アンリ一世のカンブリア征服は、戦略的な勝利を確たるものにした。もともと兵力が大量に動員できる状況を整えた時点で、アンリの勝利は約束されたも同然であったが、ワリアの諸王、とりわけグリュフドの人柄を把握していたことも彼の勝利には影響したであろう。グリュフドが篤実な人柄であったがために、早く彼の権力基盤を制限しておく必要があることを見抜いていたのは、なるほど、アンリの慧眼としか言いようがない。どのような形式でもよいので、服属させる。そうすれば君臣の関係と言う建前が生まれる。建前が生まれれば、それを破る理由が必要になる。今後のワリア人の蠢動に手綱をつけることができれば、まずは上出来であったのだ。
グリュフドには、アングル王に
「チェスター伯の顔を見ろ。俺は奴のあの顔を絶対に忘れないぞ」
憎々し気に小さく呟いたのは、好戦的な性格で知られる長兄、第一王子カドワロンである。その場に並ぶもう一人の王子、オワインは、冷めた瞳で両者を見ながら、何やら深い思案の泉に潜り込んでいるようであった。やがて、アンリ一世が余裕綽々の素振りでグリュフドの両手を握り、「アングル王万歳!グウィネド王万歳!」の歓呼が上がるのであった―フランクの言葉で。
…大ブリテン島と北部フランク領の覇者となったアンリ一世、その寵愛を得てカンブリアでの地歩を固めた第二代チェスター伯ではあったが、得意の絶頂にある1120年11月、両者を悲劇が襲うことになる。王子ギヨムを乗せノルマンディーを発した船「
アンリ一世には継承権のない庶子の男児はそれなりにあったが、嫡出の男児はギヨム一人であり、残るは女児マティルダのみ、しかも彼女は神聖ローマ皇帝の妃として嫁いでしまった状態であった。征服王の直系血族、すなわち女系を通じるアンリの甥らは幾らか存命で壮年ではあるが、王族とするには嫡流男系と少し遠すぎる。アンリの非嫡出男児で有能な幕臣となっているグロスタ伯ロベールは、アングル人の伝統に従えば妾腹の為に国王として即位できない。女性がアングル王の座に就いたこともなく、マティルダをそのまま即位させることには異論が出る。アングル人の伝統を尊重する憲章が重荷になった。
アンリ一世はこの後、継承問題を軸に行動を開始してしまい、しばしば政治的に迷走を重ねていった。もう子を為せぬであろう自らと王妃の老化にも焦りを感じていたであろうが、何より、せっかく実力で手中にした父の遺産ともいうべき彼自身の業績、アングル・ノルマンディー連合領が崩壊しかねない現状に一番焚きつけられたのであろう。それでも、最初の妻マティルダが亡くなった後に迎えた二人目の王妃アデリザを―当時は系図を偽装して近親婚に仕立て直すことで可能であったが―離婚させず、1125年に娘のマティルダの夫が急死するまで辛抱強く事態の打開を求め続けた胆力と執念は驚嘆に値する。神聖ローマ皇帝である夫を亡くした娘をアングル領に呼び戻すと、彼は彼女に娶らせる次の夫を選んだ。その人物こそ、ノルマンディー公とはかねてから大陸で争う次期アンジュー伯当主ジョフロワであった。ジョフロワはまだ10代で、マティルダは20代も後半である。当惑する家臣団の反対を説き伏せて、アンリは二人の結婚を1128年に強行させた。
「一度健康に子を為した女は男さえ若ければ子を為せる。我が娘にも何とかもう一度男児を産ませ、その子が一通り成長するまで余が王位を守ればよいのだ。ジョフロワは美形で健康だし、可能性は高い」
この時アンリは既に60歳にさしかかり、当時としては老齢もいいところであったが、耄碌と言うよりは凄絶な生存への意志がそう思わせたのであろう。事実、彼はこの後も1135年まで壮健であり、老いてなお陣頭に立って各地の領土紛争に立ったのである。そして彼の計算に神は味方した。1133年に男児アンリが二人の間に誕生したのである。
これでもう後継者争いは片付いた、と彼は安堵したかもしれぬ。しかし、彼の安心とは裏腹に、娘夫婦の仲は平穏とは言い難く、また娘は気位ばかりが先行して、幼少期から嫁いだ先のゲルマンの言葉しか自在には操れず、人心が得られない。父王にはやく大陸貴族の忠誠を自らに誓わせるように催促する。ついには彼女の夫ジョフロワまで魔が差したか、ノルマンディーの実権掌握に乗り出し、アンジュー伯領と近いポンティウ伯をそそのかして反乱などを起こさせるようになった。
70も間近の王は娘を叱責しながら自らその反乱の鎮圧に乗り出し、そして実際にほぼ成功した。老いたりとも威は衰えず、ノルマンディー領の貴族らはこぞって主の精力ぶりに平伏したのである。揚々と辺境を慰撫する王の一団は、ある日、ウール川という川に差し掛かり、そこで捕れる特産のヤツメウナギ料理を食した。あまりにも舌に合ったのか、何食も食そうとする王に、侍医があわてて注進した。
「ヤツメウナギは確かに鳥目などに効能があると聞きますが、食べ過ぎて体の皮膚がただれ落ちることもあると聞きます。どうぞ適量に、食べ過ぎをお控えくださいませ」
「なるほど、余は確かにもう
赤ワインの煮込み汁に唇を湿らせながら、そうアンリ一世は笑って見せたのであった。
最後の最後でアンリは時間の経過、それも自らの体におきる老化を侮ったというべきであろうか。その晩から健康であったアンリは俄かに体調を崩して病臥した。「ヤツメウナギの毒に当たった」とはハンティンダンの年代記作家の言葉である。急速に衰える肉体と、病魔に抗しえない現実に、死期を悟ったのであろうか。彼は生涯における神への懺悔をアミアン司教の手を借りて行い、死の床で朦朧となりながら、側近に問うたという。
「マティルダを輔弼するように臣下たちに伝え、誓約書を起草せよ。余の生きているうちに」
そう言って暫く目を閉じた。やがてユーグ・ビゴなる王家の執事が一枚の羊皮紙を用意し、王の意識が戻るのを待った。目を僅かに覚ました王に、ビゴがそれを差し出す。
「陛下、お気を確かに。甥御様のブロワ伯エティエンヌ殿が今後の差配をお引き受けくださり、マティルダ様をお引き立て下さるとの由。どうぞこちらにその承認のご記名をお願い申し上げます。」
絶え絶えの呼吸で震える手を抑えながら、従者に支えられ、アンリ一世は署名をした。そこで力尽き、がっくりと項垂れる。混濁していく意識の中で彼は思い出していただろうか。はて、ブロワ伯、あやつは自らが王になりたいと申し出てはいなかったか―と。
アンリ一世崩御す。この知らせを受けるや否や、生前の彼の手法を模倣してロンドンに兵馬を伴って入場し、国庫の掌握と戴冠とを済ませた人間がいる。ブロワ伯エティエンヌがその人で、その側には執事ビゴが、王からの勅書を手に付き従った。曰く、「国王はアンジュー伯妃にして元皇妃マティルダとその子の継承を良しとせず。王統の一員であり男性であるエティエンヌを後継者と選び、ここに署名なされり。」行く先々で彼らはこの書状をひけらかし、瞬く間に王位を得たのである。
気位の高いマティルダはそれ見たことか、と臍を噛んだ。これあることを予想して彼女は彼女なりに夫と事を急いでいたのであるが、すべては振り出しに戻ってしまった。夫と息子と共に、彼女の陣営はこれより十年余のアングル王位継承戦争に巻き込まれていくことになる。
アングル領とノルマンディー領は無形の地震に震撼するようであった。エティエンヌを王統の後継者として支えるものも少なくはなく、特に、協力の代償に辺境における自らの権利を無条件で認めさせる可能性が出てきたことで、ワリア辺境の有力者たちも多くがロンドン入りを果たし、ワリア経営を城代らに委ねざるを得なかった。これこそが、ワーウィック伯の独り言ちた「アングル領内の政情不安」であった。そして、かつて屈辱を忍んでアンリ一世に従属せねばならなかったワリアの人々―カムルの民こそ、この報せを最も待ち望んでいたのであった。
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