第19話 其処は緑の隘路 前編

 アングロ・ノルマンと後世に伝えられるブリテン諸島の支配者層は、ひとえにノルマンディー地方の北方人の子孫のみで構成されたわけではない。征服王ギヨムの版図は常にフランクの他勢力と互いに浸食を繰り返し、その周縁は常に変動したので、在地のフランク系の貴族でも、ノルマンディー公に臣従し、ヘースティングスの大戦に参与して、ブリテンに領土を獲得した者らは、彼ら―新たな領主層の一翼を構成して権勢を揮った。

 フランク王国の北西領土は、ノルマンディーとブルターニュと言う、峻険な海岸線と丘陵からなる地域で構成される。ブルターニュは古くはアルモリカと呼ばれ、カエサルがこの地域のケルト諸部族について言及を残した。その後、ノミノエなる武勇に秀でた者が9世紀にこの地域を統一し、当時のカロリング朝フランク王に臣従礼を行い、ブリタンニア公ダクス・ブリタンニアとなった。その勢力は一時ノルマンディーの古名であるネウストリアにも及んだという。その後、域内で分裂を来したブリタンニア公国、すなわちブルターニュ公領は、やがて9世紀以降ノルマンディーが台頭すると一地方の勢力維持にすら困難をきたすようになり、やや縮小していった。

 このブルターニュという地域の歴史はいささか複雑である。フランク領のケルト人領土と海峡を跨いだイングランドがともにラテン語でブリタニアと呼ばれるのは、いくつかの理由がある。第一に、カエサルの残した『ガリア戦記』の記録があげられる。彼がブリタンニア族と記したケルト部族の一派とその生息地域が、後代のローマ帝国地域との慣習的なその地域への呼び名に残ってしまった。第二に、この時代の事実。この地域のケルト人は海峡を通じて互いに交流し、厳密に分けて論じることが難しい状態であった。当時と現代を顧みると、ブリテン諸島にコルノワリア(現コーンウォール)と言う地域がある一方、ブルターニュにもコルノアイユ(現コルネイユ)と言う地域があるが、これらはどちらもケルト系のコルノワリア族、および彼らの領域国家が存在したことを証明している。10世紀にヴァイキングが海嘯のごとく欧州沿岸部を浚う以前から、現代の国境線で分けることのできない勢力が盤踞していたことは、型通りの歴史表現から想像するに困難なものと言えよう。

 中世ブリテンに領土を得たブルターニュ系フランク貴族は多数あるが、その中でも特に有名な人物がいた。名をブリトン語で「高貴」を示すブリアンと言い、歴史上は「ブリアン伯嗣フィツクエン」と記されることが多い。父はブルターニュ公アラン四世無双公ファーガンで、彼の愛妾との間に生まれた庶子バタールであった。生年は明らかにされていないが、アラン四世の生年1063年から推測するに、おそらくは1080年代後半から1090年代の生まれであったと思われる。正式には血筋から公嗣フィツダクスと記されるべきであろうが、1112年にアラン四世が公位を剥奪されナントおよびレンヌ伯の地位に留まったが為にこの綽名が付けられたと思われる。

 ブリアンは幼い頃、おそらくアングル王によるノルマンディー騒乱平定が行われた1106年前後に、父公とアングル王アンリ一世との修好の担保として、アングル宮廷へ奉公に出された。奉公と言えば体裁はいいが、その実は人質である。いざアラン四世が不穏な動きを取れば、いつでもその身の安全を脅かされる立場であった。ブリアンにとって幸運なことに、人質の取扱責任者であるアンリ一世は、後世に「碩学王ボー・クレール」と呼ばれるように、無用な流血を望まない、更には人材登用に熱心な叡王であった。アンリ一世はまるで我が子に接するが如き厚さでブリアンを遇し鍛え、騎士に奉じて後、幕臣の列に加えたのである。

 それはおそらくは嫡子に恵まれなかったゆえの代償行為の発露でもあっただろう。アンリはブリアンの他にも、自らの非嫡出子ロベールを宮廷に招き入れ、臣下として育て上げている。血のみならず、若い騎士たちを自らの宮廷で育成し、社会的な紐帯を結ばせ、以てアングル王家の家政を盤石にしようという彼の試みは「ほぼ」成功した。ロベールとブリアンは義兄弟のごとき間柄となり、アンリ一世に忠誠を誓う新時代の騎士となった。「ほぼ」というのは、この騎士たちの中に後の簒奪者となるエティエンヌが含まれているからであるが―。

 非嫡出とはいえ、ロベールはアングル王の落胤である。長じてグロスター伯というアングル領内で枢要な位置を占める領土の権利を与えられた。父代わりに自らをしたい付き従うブリアンに報いるに、アンリは嫁資に基づく栄達を用意した。ちょうど1107年に死去したミル・クリスピンの後家、マティルダが財産と共に独身であったので、二人を引き合わせて夫婦とした。クリスピンの遺産には、オクスフォードシャー南部にあってテムズ川の流域を押さえるウォリングフォード城があった。土地なしの近衛騎士が、ひとっ飛びに城持ちとなったのである。ブリアンの年齢はおそらく40前後、壮齢の域に達していた。

「テムズの流域をまもるということは、余の領内の水運を警護し、その恩恵を臣民に分け与えると言うことでもある。勤めて大任を果たすのだぞ」

 アンリの託宣に、ブリアンはひたすら感謝し、改めて臣従を誓ったのであった。

 その後相続の関係からワリア南東部のアベルガヴェニ辺境領を取得すると、ブリアンは明確な爵位こそ持たないものの、領土持ちの貴族バロンとしてアングル宮廷に存在感を示すようになった。嫡子を失ったアンリ一世が存命のとき、エティエンヌ、ロベールと共にマティルダの補佐を委託されるほど王とは昵懇であって、「貴顕の血を引き素晴らしき役目を負っていた」ことが『エティエンヌ伝ゲスタ・ステファニ』に残されている。宿老と言うべき立場にあったと後世からは推測できるだろう。

 1136年からそう遠くない将来、彼は一人の英雄としてその晩年に栄光を残すことになるが、それはまだ先の話となる。


 1136年4月、ブリアンは先のゴワー半島におけるワリア人蜂起とワーウィック伯敗走の報を受け、ワリア辺境領にある自領アヴェルガヴェニの鎮撫に就いていた。アヴェルガヴェニはブレイキニオグ山脈のアングル領側にあり、地理的にはこの巨魁な山峰を挟んだ向こう側にゴワー半島が位置するが、距離的にはそこまで遠くなく、馬さえあれば濃い森林を抜けて数日となく到達してしまう。アヴェルガヴェニの東にはセヴァーン川を跨いで朋友ロベールのグロスター伯領が続く。ブリアンが騒乱を押さえられなければ、ロベールの宸襟を煩わせることになろう。先王の許可を得て引き継いだこの土地は、何としても守らねばならなかった。

 一方で、エティエンヌが台頭して以降のロンドンの様子に落胆しているという事情も、ブリアンをこの辺境領に赴かせた一因ではある。かつて同輩としてアンリ王の禄を食んでいた痩せ騎士が要領よく昇進して後に玉座を手中にしているという現状、それに伴うアングル王譜代の動揺を、この篤実で沈毅な騎士は見るに見かねていたのであった。

「エティエンヌも我ら同様、王のお抱え騎士であったはず。幾ら血統が王の甥であるとはいえ、マティルダ殿の補佐をする忠誠を共に結んだのではなかったか」

 その疑念が何よりもブリアンの心中を蚕食している。彼にとっては無論アングル領、ひいては大ノルマン領を統べるアングル王に従い、その王業を補佐することを自らの使命であった。それこそが、庶子身分で食うに困りかねない自らを騎士として育て上げてくれた先王への報いである。その思いはロベールもエティエンヌも同じだと、彼は信じていた。何となれば、血統としては庶子であれロベールの方がアンリ一世の血を直接分けているのである。世が世なれば、彼の方が―かつてノルマンディー公の庶子であったギヨム征服王と同じく、一国の長に足るのではないか。復活祭に先んじてブリアンはロベールにその旨を問うたところ、笑ってロベールは頭を振った。

「某には父上の真似はできぬ。一介の臣として王を補佐する程度まではできるが、北はスコット領から南はノルマンディー本領まで、全身全霊で統治するなど、気忙しく全領土を動き回れるような人でなければ勤まるまい。不思議なことに先王はそれがお出来であった。その能力があったのだ。不敬ではあるが、常人離れしていたとしか思えぬ」

 ロベールはいわゆる「良い子」であり、常識人であったようだ。彼は自らのできることを理解し、そして守る為人の人物なので、海峡を跨ぐ王業を引き継ぐことがどれだけ大変なのかを理解していたのである。ブリアンにしてみれば、その賢慮と分別こそがノルマンディー家の当主たるにふさわしく思えるし、ロベールが実力不足を感じるのであれば、その補佐を買って出ても良いくらいなのだが。

 当面はエティエンヌの手並みを見守るしかない、と二人は合意した。玉璽と国庫はエティエンヌの弟に把握され、容易には動かせない状態にある。何より、ワリア近辺の不穏が伝わってきたことで、二人のもと「お抱え騎士」はそれぞれの辺境領へ散ったのであった。

 幸い、友であるロベールの領土は近く、連絡も取りやすい。ブリアンはウォリングフォードの守りは信頼する家臣に預け、ひとまずは領内を視察し、治安のほころびが無いかを点検して、ロンドンの状況も逐一使いの者に調べさせていた。何かあればグロスターのロベールに伝え、すぐに会合することもできるだろう。

 ところが、ロンドンに放っていた使いがもたらした知らせは、やや彼の意表を突いたものになった。曰く、「王室家令セネスカルにしてクレア伯のリシャール殿、少数のお供とアヴェルガヴェニにまかり越してケレディギオンに向かわれるとの由」と。

「なんと、リシャール殿も辺境平定にお心を砕かれたか」

 冷笑気味に独り言ちるブリアンである。ロンドンでエティエンヌに諂い地位固めに奔走していた家令のことをブリアンは余り快く思ってはいなかったが、自領内を彼のような王国の大貴族が通過して音沙汰無し、更に何か起ってしまっては領主としての警察権と外交権に係る問題となる。勤めて冷静に彼は幕臣に告げた。

「急ぎ領内の騎士を呼集せよ。伯が到着され次第お供せねばなるまい。某も同行する」

 短い御意の声を残して幕臣が去ったその刹那、ブリアンのもとにもう一人、羊皮紙の書面を携えた侍従が現れた。城の外回りをしていた衛兵が正門に刺さっていた矢を見つけ、その矢にこの羊皮紙がひと巻き、巻き付いていたのだと言う。ブリアンは訝しげに書面を受け取った。彼はお抱え騎士の中でも学業に秀で、自らラテン語で書面を書き起こすことができたという。

 書面を一瞥し、沈着なブルターニュ騎士の暗色の瞳に例えがたい光が揺らめいた。静かに書面を折りたたんで懐にしまい込むと、彼は自らも武装するために小姓を呼びつけたのであった。

 


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