第7話 クレアの一族 前編

「サフォーク、クレア。伯ギルベルトゥスの子リカルドゥスの土地テッレ・リカルドゥス・フィリー・コミティス・ギルベルティ

 11世紀後半に残された征服王の土地台帳ドゥームズデイ・ブックの中に、このようなラテン語の記録がある。大ブリテン島東部サフォークの地に、ジルベールと言う名の伯の子息、リシャールが土地を所有すること、その範囲と人頭などの仔細を記したものだ。

 ジルベールとは、ノルマンディー公国領内ウー及びブリオンヌの伯であった人物を指す。血筋で言えば、ノルマンディーで初めてドゥクスの称号を受けたと言われる「無怖公」リシャール一世の庶子で、親族封地アパナージュすなわち貴族の分家格領土としてウー伯領を拝領したジョフロワの後継ぎであり、ロベール一世亡き後、動乱期のノルマンディー公国で幼少の頃の征服王ギヨムを庇護したことで名を知られている。最も、このジルベールはギヨム暗殺を防いだ後逆に自らが暗殺者の凶刃に倒れてしまったために、その子息ら、リシャールとボードゥアンが遺志を継ぎ、長じたギヨムの側近となって、ノルマンディー公位継承に活躍し、アングル領征服の帷幕に名を連ねることになる。

 征服王ギヨムは、リシャールら兄弟を厚く遇した。とくにリシャールには、ビアンフェトウ、オルベックと言った大陸側の領土の他に、前述のクレアを加え、その領主権の目録は170を超えたという。クレア領においては築城免状も与えられ、更には、ギヨムがフランク領へ赴いた際は、留守役としてアングル領の司法長官をも仰せつかった。名実ともに、建国の重臣となったわけである。

 彼以降、このサフォーク地方クレア領を本領としてアングルの政治に重要な立ち位置を占める子孫たちが、クレア家と言う門閥を作り上げる。この本領から分岐して、フィツ・ウォルター、グロスター伯、ハートフォード伯らの家系に彼らの血が流れていく。言い換えると、征服王と血を分けた藩屏が、アングル領支配層の一角に数世紀にかけ盤踞していったということでもある。

 ノルマンディー公家に連なり、また大恩があるということで、征服王の家系に忠義篤きこと、諸侯の中でクレア家は群を抜いている。一方で、ノルマンディー公の系譜を分けているというところから、アングル領の内部だけに視野を持たず、大陸との関りが深いことも、この家門の特徴である。征服王の死後アングル領を世襲したギヨム二世の治世にあっては、アングル領の内政紊乱に憤り、本家ノルマンディー公ロベールをアングル王に招聘しようと反旗を翻したほどであった。このときの当主は台帳に名を遺したリシャールである。この動きはギヨム二世の武略によって鎮圧されてしまうが、息子の第二代クレア伯ジルベールが後継した時代に、ギヨム二世は狩猟でしてしまう。その矢を誤って放ってしまったのはクレア家の家中の者であることが歴史には明記されているが、弑逆の謀議が図られたかどうかは、前述のとおり証拠が残されていない。

 ギヨム二世の後―あるいはその事前にからか、クレア家はアンリ一世の重用を受けた。ジルベールの子息のうち、リシャール、ボードゥアン、ワルトゥー、ジルベールらはそれぞれ家業を継いでアングル領とノルマンディー公領で武将として活躍することになるが、先立つ1110年、彼らをワリアと関連付けるアンリ一世の沙汰が行われた。紛争の行きがかりで妻ネスタをワリア人に拉致されたジェラール・フィツ・ワルトゥーなる臣下の訴えに則って、アンリがカムルの王族から懲罰的にケレディギオンという領地を召し上げたのである。


 ネスタと言う女人は、後世、彼女一人の存在だけで一つの歴史的な家門をたどることができるほど、ブリテン中世史上に重要な位置を占めている。先代デハイバース王リース・アプ・テウドルの娘であり、現デハイバース王グリュフドの姉に当たる彼女は、すなわち同王国で親王格の人物であるが、シュルスバリ伯の末子アルヌルフによって王国を攻め落とされ、兄グリュフドがダブリンに逃れる中、18歳で捕縛されて、ワリア遠征の貴重な戦利品としてギヨム二世に差し出された。ところが、ギヨムは男色であるから、この妙齢の亡国の姫君に然したる興味も持たなかった。良くて和平の交渉材料としての人質程度というところであったろう。 

 代わりに彼女の美貌に興をそそられたのは、その弟で精力旺盛な、即位する前の若きアンリ一世である。彼は兄の死後この女性を愛妾として迎え、1103年には庶子となる男児を設けるほどであった。アンリには多くの愛妾がおり、庶子の数は多いが、その多くは男児で、一方嫡出権を持つ男児がたった一人であったのは、歴史の皮肉と言うべきであろう。とまれ、ネスタはこのような「男子を為せるワリアの美しき姫君」であることが判明し、当時の女性としての名誉は保たれた―健康な男子を為すことが、身分の高い貴族の身には重要視されたのだから。

 その後、ワリア地域のノルマンディー貴族はアンリのアングル王継承戦争に介入する。この内紛の結果、敗者となった者は辺境領を召し上げられ、勝者に与した、或いは直接反乱に加わらず忠良に勤めを果たした者たちが城代などに据えられるようになった。後者の中で、後に毀誉褒貶を含めて名を残すのが、ジェラールであった。彼は前述のアルヌルフがペンブロクの地に伯として封じられた後、その麾下で戦働きをしたが、主君が継承戦争で反アンリに立つ一方、ペンブロクからケレディギオンに至る領土の安寧を守ることに専念しており、やがて主君が敗れて海外に逃亡した後、その後継を担うペンブロク城代として推戴されることになった。

 また、この頃にアンリがよく行ったことではあるが、彼は愛妾を配下に財産として分与し、その忠誠を買うことが多かった。ジェラールはまだ独身であったため、支配地域の姫であり、由緒ある血統のネスタ姫を与えることに彼は決めた。アンリは犀利であったから、フランクとワリアの血を混ぜることで、ワリア南部のフランク支配に血統で正統性を与え、ワリアの次代の結束を図ろうという目論見もあったであろう。

 これでネスタの人生が穏やかになればよかったのだが、ポウィスの王家に連なる貴族が会合の場で彼女に懸想してしまい、手勢を率いて強引に彼女を拉致してしまう。既にジェラールと子を為して以降のことであったから、よほどネスタは美しかったのであろう。ジェラールも剣環に呑まれかけたが、厠の穴を通って命からがら抜け出し、主君であるアンリへ、事の顛末を告げるべく奔走したという…。

 ジェラールとネスタが織りなす血統の綴れ織りタペストリは、やがてフィツ・ジェラール家としてもう一つの大きな歴史を作ることになるが、それはまた別の物語である。

 

 こうして、麻の如く乱れるケレディギオン領主権は第二代当主ジルベールに下賜されたのである。これには築城免状が当然のように付帯し、ジルベールは早速、カーディガンという名に改めた出城を築くことに相成った。

 アンリ一世が自らの宋主権で線引きを行ったこのような辺境には呼び名が付けられた。代々ワリア人の土地で、ワリアの人が統治する地域を「ワリア本土ピュラ・ワリ」、11世紀以降ノルマンディー貴族が支配を広げて獲得した領土を「辺境領ワリアマルキア・ワリー」と呼ぶのがそれである。父の世代の辺境伯らが軒並み世代交代してワリア人とこのような形でに及んだアンリ一世ではあったが、後年アングル王権が上位に立てるように布石は惜しまなかった。上記のごとき懲罰沙汰で奪われた領土には、再び公家の譜代重臣を配し、ワリア人の牽制を謀ったようである。その嚆矢に選ばれたのが、クレア家であった。

「辺境伯の一員に加わり、よろしくワリアの西戎を治めてほしい。積年の孝心に報いるにこの程度では不足かもしれぬが…」

 領土付与を認める憲章にジルベール名を連ねる際、アンリの声に濁りがあったのは、果たして、ギヨム二世の死に関する後ろめたさがあったからであろうか。それとも、クレア家に膨大な権力を与えることに些かの懸念を覚えてのことであろうか。

 ケレディギオンはワリア西部低地の穀倉地帯として旨味があり、この地を獲得することはクレア家に一層の富貴を約束させた。ワリア人にしてみればこの地を失うことは死活問題にもなった。当然、各地で諍いが起きることになる。父の後を継ぎ第三代クレア家当主となった長兄リシャールは、強硬的に領地経営を目指した。本領から流民を植民させればよいから、邪魔なワリア人は排除する。ときには傭兵を利用してワリア人の村々を次々に焼き討ちし、焦土を植民地に変えた。非情なやり方に神への冒涜を感じる者も多かったが、公家分家格、いわば王族同等のクレア家の威光にはなかなか逆らえなかった。

 リシャールの叔父、ワルトゥーも、1119年にアンリから直接南ワリアの領土を与えられ、その植民統治の過程で同地に存在していたワリア人のグウェント王国は滅亡の坂を転げ落ちる。辺境領ワリアの南部と西部には大きくクレア家の支配が及ぶことになり、サフォークの本領を合わせれば、アングル領内ではそうそう比肩する者はない。強大なアングル王・ノルマンディー公の権力を幹に喩えるのならば、クレア家は太い枝であり、広げた領土はその枝に茂る青葉であった。

 1136年二月に入り、そのクレア家の主だった者たちが、サフォークの本領、クレア城に集合する。辺境領から急報がもたらされてゆえのことであった。曰く、「ワーウィック伯、ゴワーにてワリア人に大敗、将兵の被害著しくスウォンジー城に籠りて王の援軍を待つ」と。

 円形の石造りの天守ドンジョン内一角に設けられた広場で、クレア家の男たちが酒杯を手に、出された料理を摘まみながら、もたらされた急報の吟味を始めた。

「ゴワー半島は某の領土のすぐ西に在り、ご当主のケレディギオン領とを結ぶ中継地にござる。ここがワリアの者どもに扼されるのは、物流と兵馬の運用で厄介。王に嘆願し、ワーウィック伯に救援を送り、この地域を鎮撫すべきであろう」

 ワインもそこそこに口を開いたのは、グウェント地方の領主として二十年間に喃々とする統治を続けた重鎮、老将ワルトゥーである。先代当主の弟にあたり、家門の重鎮として数十年にわたって一家のご意見番を務めてきた人物で、巌のような頑健な体つきは、老いてもなお膂力を失っていないことを周囲に知らしめるほどであった。

「叔父上の言い分に理あり。兵馬の権さえ与えられれば、某が先陣切ってゴワーに攻め入り、ワリアの一族郎党、ぐうの音も出ぬほどに痛めつけてくれましょう。ご当主、何卒アングル王にご推挙くださりませぬか」

 勢いよく、ワルトゥーの意を汲んだのは、当主リシャールの弟ジルベールである。先代の正嫡ではあるが次男のために領土を継承できなかったので、今は領土なしの騎士としてクレア家の遊軍とも言うべき立場にある。時には王の遠征に参戦し、またある時は叔父の領土の鎮定に参加して、そこそこ武名のある男であった。もちろん、ゴワー鎮定に参加して自らの領土や城を貰えればよい、との欲があり、その血気を家門の面々は幾分鼻白んで受け止めている。

「大叔父殿のご意見もご尤もでありますし、伯父君の勇敢さも称うべきもの。ですが、今回の失敗はワーウィック伯ご個人の問題にございましょう。当家がしゃしゃり出て悪戯に戦を仕掛けて、どのような益がございましょうか。」

 集まりの中でもひときわ若い青年が声を発する。当主リシャールの子息のほうのジルベールである。今年まだ20そこそこではあるが、次期当主として既に家門の経営に加わり、王にも目通りがかなっている。一家の利を守るのが彼の将来そのものであるから、慎重論を唱えるのは当然と言うべきであろう。

「若君の仰りようはクレア家の存続には資するが、ワリア全域の安定のためには、ゴワーの失陥を早めに回復せねばなりませぬ。先代チェスター伯の二の舞になりかねませんぞ」

 ワルトゥーは言い放ち、腕を組んで憮然とした。先代の弟として、中央に在るよりは辺境での戦働きを得意とし、またその環境に馴染んできた彼は、迂遠な方法を嫌ったし、同時代の先達が驕りと侮りに毒されて滅亡していくのをその目で見てきた経験から、ゴワー奪還の必要性を強く感じていたのである。謀略によって王に取り入り、ワリア北部の領域で覇を唱えた二代目餓狼は、事故で敢え無く海の藻屑と消えたではないか。いつ何時、今の体制が揺らぐとも知れぬのであれば―。

 と、ここに来て上座に座す当主リシャールが、盃から緋色の流れを口に注ぎ込むと、卓上に音高くそれを置き、皆が瞠目する中、家門の成員に口を開いた。

「まずは王権の安定化だ、これに尽きる」

 クレア家の一同は静まり返った。




 

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