第18話 奸譎

 グウィネドの首府アベルフラウに、アングル領に潜伏していた獅子隊の一人から急報がもたらされた時、王権を代理するオワイン王子は、過日に発した布告の後で集まるカムルの戦士たちをどのように配属するか、カドワラドルと台帳をもとに合議しているところであった。概ね定まっていた内容で一先ず会話を中断すると、オワインは王城の自室に戻り、帰還した獅子隊員―鷲の報告を聞いた。

「そうか、クレア家が動いたか」

 既定の事実を聞くようなオワインの表情は硬い。鷲がもたらしたのは、クレア家の当主リシャールが僅かな随員と共にケレディギオンに向けて進発するという情報である。

「オワイン殿下の仰せになられた通り事を運びました。偽の情報に踊らされたリシャール・ドゥ・クレアはケレディギオンの現地を自ら確認し、辺境領主の大権を以て同地の鎮撫を図ろうとしております」

 沈着な鷲の報告に、オワインは顔の下半分を右の掌で慰撫しながら、淡々と頷く。

「上出来だ。獅子隊の働きに改めて感謝しよう。後の手はずは獅子に伝えてある通りだ。アングル領派遣組はアベルフラウで少し休むがよい」

「恐悦至極に存じます」

 鷲は静かに一礼すると、音も無くオワインの室を辞去した。

 ふむ、とオワインは静かに吐息しながら、張り付くような、薄い笑いを顔に浮かべた。心から喜ぶのでもなく、あるいは冷笑や失笑の類の、湿度が低い笑みである。

「人は己が信じたいと望むことを自ら信じようとするリベンテル・ホミネース・イド・クォド・ウォルント・クレードゥント、か。まさしく、カエサルの言葉は至言と言うべきだな」

 古のローマの偉人の言葉を呟き、カムル随一の謀主であるオワインは、誰に告げるでもなく独り言ちる。

 グウィネドの王家に限らず、カンブリアの王族は、自らの祖先にブリトン人とローマの執政官を記し、そこからの系譜を重要視する。かつてブリタニアに覇を唱えた民族と、その後に彼らを征したローマ帝国と、覇業を為した二つの勢力を継承するという建前で、自らの権威を飾るのである。オワイン自身も、その系譜を継いでおり、付け加えるなら父方の祖母を通じて、イウェル王家の傍流の血筋すら兼ね備えている―遡ればその血筋はイウェルの大王、ブリアン・ボルーマに行き当たるのだ。

 だが、オワインは自らの血筋に対して、他の王族ほど熱心に語ることも、解釈を加えることもない。それどころか、彼は自らの生まれを軽侮する傾向すらあった。

「カムルの王家がどれほどのものか。団結してサクソン人に抗すること能わず、その後裔たるノルマン人にすら歯が立たぬではないか。覇者ローマの血を引くと自称するなど、僭越も甚だしい」

 オワインは幼少期から明敏であり、王家が代々伝えてきた様々な古典や自国の歴史に親しみながら、舌鋒の鋭い批判者としての自我を形成していった。内輪の権力争いに淫してサクソン人の傭兵を招き入れてブリタニアの主導権を奪われ、北方から押し寄せる海賊、後世ではヴァイキングと呼ばれる人々の来寇に右往左往し、ノルマン人の襲来以降は負け戦一辺倒である。彼が好むカエサルら古代の偉人に比べ、カムルの王たちは、ロードリー大王などの一部の例外を除き、山がちな地形に籠って縄張り争いを続ける野獣の如しであった。

 後年オワインの内に奇胎するものが、ここに醸成された。カムルの王権など、矮小で非力なものであるという卑下と、古代の英雄らに代表される覇業を為したい、自分なら為せるはずだ、と言う自恃である。それはある種の精神的な拘束として、彼の心を歪ませていった。

「俺の為せる覇業は何か?過去の王が殆ど為しえなかった無力なカムルの民を糾合し統一カンブリアを築く、それでもよい。ならばそれを妨げるものは何であれ障害となる」

 彼の権謀術数の動機は何よりもまず「自分は覇業を為せる」と言う確信に根ざしていた。偉大な英雄との自己同一視は、誰もが子供の頃に抱くものであり、自らの限界を知る裡に諦めや挫折と共に消えていく。しかし、オワインは王族であり、権力の至近にいる、「極めて幸運な子供」であった。その上、彼の知性は、そのように大それた望みを抱く人間を危険視する輩―その最たるものは篤実な父グリュフドであろう―も少なからずいることを弁え、その為にこの動機を自ら隠すようにさせる程に優れていた。

 彼の方針は定まった。覇業をカムル人の糾合、カンブリア統一とする。ならば、王位を得て兵馬の権を欲しいままに揮えるようにならねばならない。そこには一つ障害があった。長兄カドワロンの存在である。

 第一王子カドワロンは良くも悪くもカムル王族の特徴を兼ね備えた男であった。領土的な野心に燃え、気位が高く、血族であれ自らの障害になれば自ら手を汚して打倒する。長じるにつれ自ら先陣に立って領土的拡張を父王に熱心に進言し、その許可を半ば無理やりに得て他のカムル王族の領土を捥ぎ取り始めた。1123年には当時23歳であったオワインを副将に据え、ポウィス王国の領土メリオニドを奪い、その壮挙が歴史に語り継がれることになる。

 戦の強さが知性と共存するカエサルのような人間であれば、戦後処理もまた匠の技の色を帯びる。彼は征服したガリアの族長たちを罰さず、特権やローマ市民権を与えて懐柔した。だが、カドワロンはその業績に学ぶところは少なかったようである。グウィネド北東部のデュフルン・クルイド地方を強引に併合しようとして同地の豪族ら三人と交渉し、その半ばで全員を殺してしまい、高圧的に同地を自領に吸収してしまった。その中には、彼自らの母方のおじに当たるグローヌという貴族も含まれていたのである。グローヌの兄弟エイニオンは、獰悪な甥の所業に怒り、深刻な亀裂が両者の間に刻まれてしまった。グローヌの息子カドガンもまた、表面上は服従を誓いながら、怨嗟の念を内に秘めるようになってしまった。

「兄に王の資格無し」

 オワインは判断した。カンブリア統一を為すに、王族同士の反感を円満に片づけることができずどのような道があろう。或いは兄が今少し鷹揚で父の何分の一かでも寛大であれば、その振りが出来れば、オワインは彼を補佐することで自らの覇業を代行させることができたかも知れぬ。しかし、カドワロンにはその才覚が無いのは最早自明であった。

 1133年、更に領土を東に伸ばそうとしたカドワロンは、スランゴセンと言う地域に兵馬を進めた。服属するカドガンは部将として、オワインもまた副将として従ったが、この時、ポウィス王国の方角からポウィス軍がカドワロンの軍に奇襲をかけた。その奇襲は、まるで見計らったかのように、カドワロンと他の部隊が林で隔てられたときにかけられたのである。応じようとしたカドワロンは、側に常に随行するオワインがいないことに気づき、不審に思った。とにかく反撃を命じるべく周囲の将に呼びかけようとしたが、信頼する将軍らもまた自らの側に控えていない様子を見て、愕然とした。その代わりに彼に肉薄してきたのは、刃を抜いたカドガンである。

「父の仇!」

 叫ぶ従兄弟カドガンの刃は真っ直ぐにカドワロンの腹部を貫いた。鞍下から突き刺され、カドワロンは吐血しながら揺らめいた。間髪を入れず、他の武装せるカムル戦士らがカドワロンに切りつけた。皆、グローヌの血筋を引く者たちであった。無数の斬撃に体を刻まれ、カドワロンはカエサルよりも無残な状態で落命したのであった…。

 オワインの策であった。カドワロンの暴虐に長年敵意を抱いてきたエイニオン、従兄弟らにカドワロン暗殺を提案する。交換条件はグウィネド王家への服属とカドワロンが課したものより締め付けのゆるやかな自治である。また、ポウィスの軍勢を誘引させるのに、エイニオンの協力を得た。ポウィス軍はエイニオンが設けたグウィネド軍の国境監視の網を抜けて仇敵カドワロンに肉薄して暗殺に一役買った。引き換えに、今後数年の和平を約束したのは、オワインの寛恕というものであろう。

 年頭、父王グリュフドがオワインに対して昔語りをした時の内幕が、これであった。カドワロンは自らの傲慢さによって最も危険な競争相手である弟に隙を見せ、出し抜かれたのである。オワインのポウィスへの「見せかけ」の反撃と戦後処理の収め方が鮮やかだったので、父王は瞠目したのだが、その裏側にはオワインの遠大な謀略が存在していたのであった。

 血族、それも血の近い兄弟を殺めると言う事実に、通常の人間ならば神の裁きを恐れるところであろうが、オワインは動じなかった。それどころか、むしろ「やはり覇業を為すは我にあり」との思いを強めたのである。父王から賞賛を受けて第一位の王位継承権繰り上げを受けても、ふむ、と心の中で熱量少なく冷笑してみせた。

「この程度では、俺はカエサルに遠く及ばぬ。ノルマンディー公ギヨム、あの征服王にもだ。俺はこの程度では全く自分に満足できぬ。俺の才能は、この程度では…」

 半ば渇望と化した彼の自尊心は、獅子のように猛り狂い、軽々と人倫の境界線を飛び越えた。邪魔になる者は排除する。それが家族であろうと、何のためらいがあろう―。

 …こうして彼は、ゴワーの戦いを裏から操り、南方に嫁いだ実妹グウェンシアンを利用して、着々とカンブリア統一の覇業へ自らと周囲を変容させてきた。その実力は、敵手であるクレア家の面々が見れば、驚嘆して賛辞を贈るであろう。同時に、その倍の敵意を巻き起こすには相違ないが。特にリシャールなどは、その権謀の冴えに、あるいは自らの帷幕に彼を招きたくなるやもしれぬ。当然、歴史が示す通り、それは他愛のない妄想に過ぎないのだが。

 もし神の御業を用いてオワインの所業を透視するものができるとしたら、彼の奸譎マリティオーススを誹り、正道の王ではない、邪道の極みと弾劾を加えるのかもしれない。だが、そのような言葉を彼は痛痒とすら思わぬ。そうした倫理的な言葉の内のどれほどが大業を為すに資したと言うのか。カエサルや征服王は全く倫理的ではなかった。何故なら、倫理エティカは人の行いの当否を論じこそはすれ、実際に救いはしないからだ。彼らはそれを知り、敢えて非倫理的な覇道の道を突き進んだのである。オワインはそれをよく理解していた。故に、もし何者かが彼に誹毀の言葉を投げかけようというのならば。

「それは誉め言葉というものだ」

 オワインは言葉を誰となくぶつけた。次の舞台が、彼を待ち受けている。いや、彼がそれを作る。リシャール・フィツジルベール・ドゥ・クレアの暗殺という歴史の一頁を―。

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