第26話  ケレディギオン攻防 中編

 ミロ・フィツ・ワルトゥー。この人物のことを語らずして、オワインとケレディギオンの攻防戦を進めることはできない。1136年の半ばにおいてアングル国軍事統括の職たる大司馬コンスタブルを務める彼の出自は、遠く征服王の時代にまでその由緒を辿ることができる。

 征服王のアングル来寇の時代、彼に随伴した重臣フィツ・オスベルンの事は先に述べたとおりであるが、そのオスベルンの右腕として働いたと目されるのが、ミロの祖父であるロジェ・ドゥ・ピトルであった。オスベルンの腹心として築城技術などを具に学んだ若き騎士は、この築城の名手にして征服王の懐刀たる男に重用された。その後オスベルンが数奇な経緯の末に大陸で横死した際、留守役としてオスベルンの領土を警護していた彼は、未だ存命であった征服王と昵懇となり、オスベルン亡き後のグロスターの継承と太守職とを任されるようになる。オスベルンの技術を継いで築き上げたグロスター城はそのまま彼の手に収まり、その後の聖ペテロ寺院の建立も成功の裡に終わると、彼の実直な功績は王家の認めるところとなり、グロスター城守及び州長官の職がピトル家の世襲となった。ロジェの死後は弟のデュランが代理のような形でその職を継ぎ、デュラン亡き後はロジェの子息ワルトゥーがその後を襲った。

 正式には三代目グロスター太守となるワルトゥーは、父譲りの(おそらくは職工などの人的資源をも含んだ)築城技術と富裕な資産を持ち、現代で言うところの有能な「一家の二代目」であった。王家の覚えも良い彼はドゥームズデイ台帳にも「ワルトゥー・ドゥ・グロスター」として名を連ね、王家お墨付きでハンプシャー、ウィルトシャー、ハートフォードシャーなどに渡る領地加増を勝ち取り、更にブリストル、ロチェスターなどの発展が見込まれる商業港湾都市の城砦建築や、アングル領征服事業の象徴でもあるロンドン塔の建築名簿にも参与する。早逝した弟エルベールと父の御霊を天に届けようと、グロスター大聖堂を建立したのは後世に残る大きな事績であった。彼はしばしば「アングル国大司馬」として憲章に名を刻んでいる。征服王死後の僅かな王位継承戦争期にあって、如才なく地位を維持したとみてよいであろう。その時代において十分な業績を残した「二代目」は、その後地位と財産を嫡子に譲って隠居し、自らが寄進したスラントニ修道院にて一介の僧として生涯を閉じたという。

 このワルトゥーの嫡子こそ、ミロ・フィツ・ワルトゥーである。ノルマン戦闘貴族も世襲三代目となればもはや御曹司ともいうべき立場であり、充実した家産とその上に広がる将来を嘱望される身でもある。アンリ一世の期待も強く、後にアングル王家藩屏の一門を担うことを期待され、妙味の深い婚儀の差配を受けた。

 ミロの栄達に先立つこと数十年、ベルナール・ヌフマルシェなるワリアの辺境領主が在った。ピトル同様に征服王と赫顔王に仕えた、ノルマンディー零細領主の出自のこの人物もまた、オスベルンの女婿となり、没した別の領主の領土を王から下賜されるなど、余程要領が良かったようである。ブレイキニオグ領をワリアの手から捥ぎ取りフランク化の先鞭をつけたのもまた、この騎士であった。征服事業の中での一英雄たる彼の事績はいささか閑話となる。惜しむらくは、ヌフマルシェの遺児に正嫡の男児後継者が無かったことであった。この小英雄が築いた領国を、時のアンリ一世はいずれか差配に大過ない、有能な騎士に収めさせようと思案し、そこで往時のミロにその白羽の矢が立ったのである。既にグロスター守護ハイ・シェリフとして実務上のグロスター地方の行政を監督していた彼は、「セヴァーン川から沿岸まで」に至る、クレア家領にも並ぶ広さのワリア辺境領を治めることになった。

 それにしても大司馬ともなれば、通常はアングル王の全軍総指揮を担う立場の重責であり、大将軍格である。そのような人物を殊更「わが友モナミ」と喧伝して地方の反乱に派遣しようというのか、とブリアンあたりは思わずにはいられない。エティエンヌの持って生まれた風格というのは、すなわちその程度なのであろう。他人に自分の威勢を見せつけるために、借り物の豪奢な毛皮の外套を殊更ひけらかして見せるような。親分風を吹かせて、有能な子分をけしかけるような。

「王命、謹んで拝命仕る。能う限りのはやさでケレディギオンカーディガンに向け進発し、同地を安んじて見せましょう」

 命じられたアングル国の重臣は、エティエンヌに目礼すると、足早に従卒を伴い踵を返した。果断に富む彼のことであるから、おそらくは早晩出兵の備えを始めるのであろう。国王の代理として兵権を授けられたのであれば猶の事である。

「ブリアン、礼を言う。お主の気持ちは俺には伝わった」

 抑えた声音でグロスター伯ロベールがブリアンに囁いた。彼もまた王に目礼し、礼服の裾を翻して大司馬の後を追った。こうなれば彼の領土から―彼の出馬は叶わぬとしても!―それなりの兵力を捻出してミロを補佐せねばならぬ。戦の功は彼に帰属しないが、それでも、妹が救われるのならば、この際已むを得まい。その為にやれることをやる必要があった。彼らは貴族、「伯」としては領地も権能もほぼ同格であるが、官職においてはミロの方が一歩先んじているのである。軍議にも関わらずぼやぼやしていては、望まぬ形で領内の臣民を戦に取られてしまうのだ。

 足早に歩み去るワリア辺境の大貴族たちを横目に、ブリアンはエティエンヌを振り返った。玉座のエティエンヌは、「どうだ、思い知ったか」とばかりに胸を反らし、至高の冠を被って顎を上げている。その傲然に大して畏怖もせず、形だけ口を噤んだ彼は、心の奥に揺らめく何かの熱を感じ、瘴気を発する火山の如く、静かに長く吐息したのであった…。


 アングル国大司馬出陣の報は、今まさにケレディギオン領を欲しいままに蹂躙し手中に収めつつあるグウィネドの王子のもとに、獅子隊の諜報網によって、その数日後に届いた。オワインは頬をひと撫でしながら、短く頷くと、すぐに策を定めた。

「大司馬ミロとその軍勢がケレディギオンに到達するまで、何人もその行軍を妨げるべからず。ただケレディギオン城を包囲し続け、敵の焦慮を誘え」

 カムル人得意の伏兵・散兵戦術を駆使してフランク騎馬軍団の虚を衝く。それがこれまでのカムル軍にとっての戦術的定石であった。軍議でオワインの方針を聞かされたカムルの王侯らは色めき立った。特に副将格のカドワラドルなどは兄に食ってかかる勢いであった。

「なぜ行軍の途上で奴らを襲わぬのだ?何度も襲えば奴らは疲弊してあるいは引き返すやもしれぬ。そうすればケレディギオンの守備兵たちも折れて降伏するのではないか。臆病風に吹かれたのか」

「俺は攻めるなと言ってはいない。逃げろとも言っていない。時期を見ろということだ」

 平静さを失わずにオワインは弟に諭す。

「彼我の戦力を考えろ。大司馬の率いる軍勢はおそらく一時的にかなりの大軍となる可能性がある。今回のフランク人の目的はクレア家の後家を救出することだ。ならば敢えて救わせて目的を達成させればよいのだ」

「それは敗北ではござらぬか」

 訝しげに尋ねたのは、先ごろオワインに合流したブレイキニオグ王ハイウェル・アプ・マレデュドである。彼にしてみれば、ミロは父祖の代からの仇敵であり、雪辱とばかりに意気軒昂であった。

「勿論それなりの対価を払ってもらう。ただし、それはこの局面で正面から決戦を挑むものではない。暫くカムルの争いにアングル王が口を挟まぬように事を運ぶつもりだ」

 声音を変えず、オワインは諸将を説得する。カムル随一の俊英たるこの王子には、その知恵で打破できぬものはない、とでも言いたげな自信が満ちていた。そしてその策を聞くにつれ、いつぞやの戦の時と同様、幕下の猛者たちは、納得して従うことになったのである。カドワラドルなどは、兄の算段に空恐ろしさを覚えたのであった…。



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