第31話

「まあ名乗るほどのものじゃないからな。本当の名前は知らないままでいてくれ」


 千世太は大げさな手振りを加えて言った。


 逸希の視線がすっと冷たくなる。冗談を言っていると思っている顔だ。瞬もまだ冗談だと思っている節がある。


「おい、お前らは信じてくれなきゃダメだろ。そんな変な力持ってるんだからさぁ」


 そう言われたらなにも言い返せない。逸希も奥歯を噛んで引き下がった。


「この世界に来たのは1年ちょっと前だ。中学1年の秋から中学2年の冬までの1年間に、荒家真耶の死の可能性が急に高まることがわかっていたから。俺が本当に生きているのは、1300年後の未来。色々ピンチなんだ。感染症とか戦争とか宇宙からの侵略とか。問題はひとつじゃない。本当に色々。マジでやばいの。世界終わりそうなの」


 肩をすくめて見せる。


「でも人間だってただボーっと1000年生きてきたわけじゃない。叡智の結晶はたくさんある」


 瞬はふいに、今話しているのが千世太とは別の人間だと確信した。


「世界の可能性を演算できるシステムがあるんだ。それで調べて、人類が滅亡しないルートを見つけた。演算を繰り返して、最終的に絞られた最低必要条件が、この時代にいることだった」


 千世太はおもむろにズボンのポケットに手を入れ、小さな空瓶を取り出した。


「今はカラだけど、前は中に透明な薬液が入ってた。時間遡及、タイムリープの能力を覚醒させる薬だ。瓶の外側には別の薬が塗布してあった。俺がこれを拾った人間に乗り移るための薬。荒家真耶の周りにいる人間にまずこれを拾わせて、意識に忍び込む必要があった。千世太が拾ってくれてラッキーだったな。性格が1番わかりやすかったから。演じやすくて助かった」


 あはは。未来人が千世太の顔で笑う。


「ちょっと待て」


 逸希が止めた。


「薬を拾わせて飲ませるって、なんでそんなまどろっこしいことしてんだ。お前が千世太の身体を使って直接真耶を助ければよかっただろ」


「意識は常に占拠できるわけじゃない。限られた時間だけ表層に俺が現れる仕組みだ。普段はふつうの千世太なんだよ。それだとできることに限りがある。どうしても、この時代の人間に真耶を助けてもらわなくちゃいけなかった」


 瞬は千世太の意識の中にいる未来人に尋ねた。


「いいのか。そんなことを俺たちに話して」


「どのみちやり直すだろ。逸希か瞬の、どっちかが。そしたらこの話はそいつの記憶にしか残らない。こういう事態になったからな。これからのことも考えると話した方がいいと判断した。臨機応変ってやつだ」


 瞬は千世太が手に持っている小さな瓶に目をやった。空っぽの透明な瓶。以前は透明な液体で満たされていたという。


「その瓶の中身、いつ俺たちに飲ませた」


「ドリンクバーだよ。まあ瞬は保険のつもりだった。まさか血のつながった兄貴が妹を見殺しにするとは思わなかったからな。でも、手は打っておいてよかった」


 逸希が悔しそうに下唇を噛む。瞬はそれを見て千世太に腹が立った。


「お前は黙ってみてたのか。全部知ってたくせに、なにもしないで」


「変に首突っ込んで場をややこしくしたくなかったんだよ」


 逸希が瞬の肩をつかんだ。


「見てるだけではなかった」


 小さな、心もとない声で言う。


「千世太は助けてくれてた。いつも。友だちとして」


 言われてから思い出す。瞬に茶髪の男の情報を教えたのは千世太だ。修学旅行の時、停電の話を流すのに協力してくれたのも。時々、未来人が意識の表層にいたこともあったのだろう。それでも彼は千世太として、ふつうの友だちとしてふるまってくれていた。


「瞬、お前は今まで最大どれくらい過去まで飛べた?」


 千世太が話題を変える。


「長い時でも2週間ちょっと。18日間くらいだったかな」


「逸希は?」


「長くて1か月」


「わかった。逸希。今回はお前がやれ」


「え」


「修学旅行から帰って来た日、そこに戻れ。そこで車に乗らなきゃいい」


 瞬は部屋の中心にいる真耶を見た。


「ちょっと待てよ。真耶はまだ生きてる」


「生きてる? これで?」


 千世太はふっと鼻で笑った。

 人工呼吸器は首に穴をあけ、肺に直接酸素を送り込んでいる。食事も排泄も自発的にはできない。それでも。死んではいない。今までとは違う。


「このまま1年後とかに死なれたら最悪だ。詰みだよ。終わり」


 バチン。


 急に声ではない音が響いた。

 結子が千世太の頬を平手で打った音だった。


「なに言ってんの、あんた」


 千世太は打たれた左の頬を抑えながら悠々と結子を見下ろす。


「部外者は黙っててくれませんかね」


「うっさい! 確かになにいってるかほとんどわかんなかったけど! なんなの。今までの千世ちゃんは全部嘘? 真耶のこと、世界を救う道具としか見てなかったの? 友だちじゃなかったの?」


「道具か。そうだな。最初はそのくらいにしか思ってなかったかも」


 最初は、と強調する。千世太は自嘲的な笑みを浮かべた。


「だって、俺はこの時代の人間じゃないんだぜ。世界が変わったら未来に強制送還だ。だから、お前らとどれだけ仲良くしたって意味がない。そう思ってた。思ってたよ。思ってたんだ。だけど」


 頬を抑えたまま、深くうつむく。


「俺も、もっとふつうがよかったなぁ」


 長く沈黙が下りた。

 瞬は考えていた。今までのすべてを。

 ドリンクバーで薬を飲まされたらしい。あの時。


「思い出した」


 瞬の声に、千世太が顔をあげた。


「変だと思ったんだ。俺と逸希の力の差。俺は2週間前が限界だけど、逸希は1か月前まで戻れる。薬の効き方に個人差があるのかと思ったけど、たぶんちがう。思い出した」


 春休み。瞬が千世太の作ったドリンクを飲んですぐに真耶と結子が来た。


「俺はウルトラスペシャルエタニティドリンクを全部飲めなかった。少し残したんだ。その残りを飲んだのは」


 ザザっと呼吸器の音が乱れた。

 慌てて真耶を見る。閉じたままの目蓋が痙攣していた。

 瞬が咄嗟に手を握ると、指先に、微かな力が入った。


「真耶!」


 目を覚まそうとしている。

 逸希がナースコールを押した。


 4人はそろって、何度も少女の名を呼んだ。

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