第21話
その日の夜。
逸希はなかなか眠れなかった。手のひらの傷が痛む。結局4針縫った。漫画を読もうにもゲームをしようにも不自由で、ただぼんやりしていると、部屋の戸をノックする音が聞こえた。
立ち上がって扉を開けると、真耶がいた。
「
目元が赤い。泣いた跡だ。怖い思いをしただろうし、父と母にも日頃の行動について散々叱られていた。
「入っていい?」
「いいよ」
真耶は逸希の部屋に入り、カーペットの真ん中にぺたんと座った。
「ごめんね、怪我させちゃって」
逸希の手に巻かれた包帯。真耶はそれをじっと見ている。
「ちょっとは反省したか?」
「すごくした」
「瞬にも謝っとけ」
「謝ったよ。たくさん謝った」
「そうか」
逸希が力を使うのをやめ、学校に行かなくなって以来、真耶とこんなふうに話すのは久しぶりだった。逸希は真耶を守ることをやめた。死んでも仕方がないと見捨てた。もう兄である資格がない。そう思っていた。
「あのね、逸っちゃん。私」
真耶は目を細めた。遠くにあるなにかを探すように宙を見る。
「前にもこんなふうに、逸っちゃんに助けてもらった気がするの。何回も、何回も。今日みたいに」
逸希は息を呑んだ。
覚えているわけがない。
「なんでそう思った?」
「わかんない。そういう夢を見たのかもしれない。覚えてないけど」
タイムリープを繰り返している間、逸希はひとりだった。瞬のように誰かに話そうという気もなかった。信じてもらえなかったら、もっとひとりになるだろうと思ったからだ。ずっとひとりで生きていた。報われない努力を続ける自分に酔ってさえいた。
でも。
「前世」
「え?」
「前世の記憶とかじゃないか。たぶん」
考える前にそんな言葉が口から零れた。
真耶は一瞬
「ふふっ。そっか。前世か。そうかも。んふふ」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「前世でも私、逸っちゃんと双子だったのかなぁって。そうだったらいいなぁって」
今日は瞬も真耶も照れ臭いことを平気で言う。どう返せばいいのかわからない。
「ブラコン」
こういう時はいつも真耶を突き放してしまう。てっきり言い返してくると思ったのに、真耶は静かに笑うばかりだった。
「ね。お礼させてよ。なにがいい? ちゅーとか?」
真耶は突拍子もない冗談をよく言う。
「いや、いい」
「ちいさい頃はよくしたじゃん。ほっぺにちゅーって。照れんな照れんな」
「いや、照れるとかじゃなくてふつうに無理」
確かによくしたし、されたけど。
「えー。なんで?」
「キモいから」
「ひど! どこがキモいの?」
「顔」
「うっそだぁ。私そこそこいい線だもん。知ってるもん」
「どっから
「逸っちゃんがそこそこいい線だから。双子だから」
「俺のことそういうふうに見てんの? うわぁ、引くわ。繊細な年ごろだからショックだわ」
「ばか。調子のらないでよ。洗濯物干すときも瞬ちゃんとお父さんのはきれいにしなきゃって気になるけど、逸っちゃんのは超適当だから。最近柄パン増えたけど中学生なりに色気づいてるのかな?」
「お前は相変わらず色気のない下着ばっかだな。チェックとか水玉とか」
「うぇっ? 見てんの?」
「干すだけ干して取り込むのはいつも俺だろが。そりゃ目につくわ」
「ほかに相手がいないからって妹を性欲のはけ口にするのはよくないと思うよ」
「お前の顔が浮かぶと14歳の性欲も灰になる」
ひとしきり次元の低い喧嘩をした。昔はよく取っ組み合いになって、どちらかが泣くまで仲直りできなかった。今はちがう。気づくと言葉は途切れていた。穏やかな時間が流れ出す。
手の痛みはいつの間にか引いていた。
「お前、瞬のことはあんまりからかってやるなよ」
久々に活動らしい活動をして疲れた。逸希は重くなってきたまぶたを持ち上げて真耶を見る。
「わかってる。瞬ちゃんは私がいじめると泣いちゃいそうなんだもん」
「つうか、お前はもっとふつうでいいんだよ」
「え?」
「お前はそのままで充分、充分……おもしろいんだから、わざわざはみ出した奴らとつるまなくても」
なにげなく言ったつもりだったのに、真耶は大きく目を見開いた。泣きはらして充血した瞳がキラキラと光をはじく。
「おまけじゃない? 私」
「おまけ? なんの? キャラメル?」
真耶はとびきり嬉しそうに笑った。
「ううん。いいや。もういい。逸っちゃん、好き」
「馬鹿。言う相手がちがう」
逸希はそっと包帯が巻かれていない方の手を真耶の頭に伸ばし、ゆっくりと一度だけ撫でた。
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