第18話

 2人は瞬の部屋にいた。グラスに注いだコーラがすっかり温くなっている。

 逸希が話し終えた時、瞬は絶句していた。


「その未来は、必ず訪れるのか」


 べたつくだけの液体を喉に流し込んで言った。


「知らん。そういう世界があったのは確かだ。世界は毎回完全に同じじゃない。少しずつちがう」


 瞬は新学期が始まる日のバイクのことを思い出す。2回目は交差点を通らなかった。


「これは俺の勝手な予想だけど」


 逸希は話を続ける。


「真耶が死んだら災害は起きないかもしれない」


「え」


「あれは、世界の強制執行みたいなものだったんじゃないかと俺は思うんだ」


 死ぬべき人間は必ず死ななければならないことわり

 運命に抗ったことによる世界の歪み。

 それらが収束して、嵐や地震が起きている。摂理に背き続けたことへの罰として。

 瞬にとっても全くわからない感覚ではなかった。そういう映画を見たこともある。そういうふうに考えることもできる。だけど。


「試してみたらどうだ」


 逸希が言った。


「試す?」


「真耶が死んだら土砂崩れは起きないのか。逆に、死んでも起きるのか」


 言葉の真意を理解するのに時間がかかる。

 真耶が瞬と逸希の力によって世界の歪みの中心にいるのだとしたら、真耶が死にさえすれば歪みは解消される。土砂崩れという強制執行も起こらないかもしれない。

 それはつまり真耶を犠牲にして、ほかの多くの人間を救おうという提案だった。それを試したらどうだと逸希は言っている。


「そんな仮説のために真耶を見殺しにしろっていうのか」


「仮説だから、確かめてみたらどうだって言ってんだよ」


「真耶が死んでから長い時間が経ったら、もうやり直せないかもしれないんだぞ」


「それならそれで、いいじゃん」


「いいわけない!」


 カッと頭に血が上る。


「なにもできないなら仕方ないと思ったんだろう。死が絶対に抗えないものなら諦めたよ。でも俺には力があるんだ。真耶を助けられる力が」


「助けられる力ぁ?」


 逸希が鼻で笑った。


「お前が今まで、いつ、どの世界で真耶を助けたんだよ。なぁ。結局死んだんだろ。だからやり直してここまで来たんだろ。この力は人を助ける力なんかじゃない」


 それは瞬への罵倒以前に、逸希の自責だった。

 瞬は怯まなかった。自分がしてきたことを少しでも疑ったら前に進めなくなる。間違っていない。この力は真耶を助けるための力だ。


「よく考えろよ、逸希。お前だけじゃなくて、俺にまで、なんでこんな力あるんだ? 世界をやり直せる力があって、それを使えとばかりに真耶が何回も死んでいくんだぞ。まるで力を使う状況が整えられてるみたいだ」


「誰かが仕組んだ状況だっていうのか? 一体だれが? 神様か? なんのために?」


「わからないよ、なにも。ただ俺は、真耶を助けろって、誰かに言われてる気がする。俺か、お前か、誰かが、真耶を助けなきゃいけないんじゃないのか。そのために与えられた力なんじゃないか」


「推測だ。なんの根拠もない」


 そのとおりだった。なにも反論できない。

 再度沈黙が訪れた。

 考えても仕方がないことが多すぎる。だからずっと考えずにやってきた。真耶を守る。その思いだけがすべてを支えていた。

 瞬の胸の内でなにかが燻る。逸希は妹を救わないという選択肢を選んだ。すべてを支えていたはずの信念を自分で無いものにした。全部捨ててふつうの人間に戻って、瞬がタイムリープの話を打ち明けた時も馬鹿みたいに腹を抱えて笑っていた。瞬は逸希に対して、怒っているのだと気づいた。


「諦めただけじゃないのか」


 静かに言葉を落とす。


「あ?」


 逸希は切れ長の瞳で鋭く瞬を睨んだ。


「繰り返すことに疲れて、目の前で真耶が、友だちが死ぬのを見て、傷ついて、もうこんな思いしたくないって、思ったんだろ」


 逸希がふっと鼻で笑う。


「お前だって思ってるだろ。もういやだって」


「思うよ。だから俺はもう2度とやり直さなくていい世界をつくるんだ。そのためにやり直す」


「矛盾してる」


「そうだ。でも俺は力があるのに使わないなんてできない。そんなの逃げてるだけだ」


「俺は逃げてなんかない」


「じゃあなんで学校行かないんだよ」


 逸希が目を見開いた。言葉を返してこない。瞬は続ける。


「前の世界では行ってたんだろ。真耶が死ぬことと、なんの関係もない。お前はお前の意志で学校に行かなくなった」


 逸希は大きくうつむいた。そうすると前髪で表情が隠れる。隠している。


「だりいんだよ。疲れるし。行かなきゃいけないもんでもないし。めんどくさい」


 大げさにため息をついてみせる。逸希が強がる時のくせだ。幼馴染みとしての付き合いは長い。考えていることも、全部ではないが少しわかる。


「近い将来死ぬかもしれない友だちと一緒にいるのが、つらいんだろ。だから目を背けたんだろ。真耶から。結子や千世太や、俺から。世界から。逃げたんだお前は。逸希」


「黙れ」


 逸希の声は震えていた。


「なにもしなきゃ世界は変わらない。俺は絶対にあきらめない。可能性があるなら最後まで抗う。たとえその先になにもなくても。俺は、最後まで最善を尽くす」


 それは医師である父が昔、瞬に聞かせた座右の銘だった。

 たとえよくない結果が予想できたとしても、最初から諦めてはいけない。最後まで最善を尽くす。そうすれば時々、予想外のことが起きる。予想外の奇跡が。


「お前がどうしようと勝手だけど、俺はもう力を使わない」


 逸希は捨て台詞のように言った。目を伏せて、叱られた子どものように小さくしょげている。瞬は逸希を初めて弟として認識した。友だちであり、兄弟でもある。衝突して、対立して、それでも支え合って生きていかなければならない、家族だ。


「いいよ。力は俺が使う。俺がやる。ただ、力なんてなくてもお前にできることはたくさんあるだろ。逸希。お前にとって、これが最後の人生なら、もっとちゃんと生きろよ。後悔しないように」


 空になったグラスを2つ持って、瞬は部屋を出た。

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