第17話
あらゆる危機を回避し、
中学2年生の秋。修学旅行の日の夜。それが逸希のハイスコアだ。
ちょうど大型の台風が接近していたが、修学旅行は学校側の判断で強行された。
当日は朝から本格的な荒天だった。バスの窓を叩く雨粒はどんどん大きくなっていった。
宿泊地となる旅館は小高い丘に位置し、天気がよければ古都の町並みを眺望できたはずだ。到着した時、町は重い雲と雨に白むばかりだった。
教師陣は予定を見直さなければならなかった。結局翌日の外出は禁止となり、生徒たちは意気消沈した。部屋に集まって内緒の話をするくらいしか、楽しみがなくなった。
消灯時間の午後9時を過ぎた頃、吠えるようなサイレンが鳴り響いた。避難勧告。洪水警報。河川の氾濫、浸水と土砂崩れのおそれ。誰もが本能的に口をつぐみ、スピーカーから流れるノイズだらけの声を聴いた。
しかし遅かったのである。全て。
アナウンスが切れた直後、宿泊地を含む一帯が停電した。動揺する生徒を、動揺する教師がなんとか統制しようとした。
ゴゴゴゴゴ。
低い地鳴りが聞こえた。音はどんどんせまってくる。悲鳴さえかき消すほどに大きくなる。そして。
逸希は衝撃と同時に意識を失った。
気がつくと音は止んでいた。聞こえるのは滝のように降り注ぐ雨音と、声。人の呻き声。大きな雨粒が頬を打つ。いつの間にか野外にいることに気づく。なぜ? 目を開けているはずなのに
真耶。
どうせ死んでるんだろうな。逸希は思った。
「しゅ、瞬ちゃ」
すぐ近くで声が聞こえた。生きてる。
「真耶?」
「
声の主は真耶ではなかった。結子だ。暗くてどこから聞こえているのかわからない。
「結子」
身体を動かそうとすると、下半身が動かないことに気づいた。動かないというより感覚がない。本能的に恐怖を覚えた。
ふいに一筋の白い光が差す。懐中電灯の光。随分遠くから照らされている。細長い光が浮かび上がらせた光景は地獄絵図でしかなかった。瓦礫の山とそこに埋もれた同級生。
「逸っちゃん。うごけない」
細い光のおかげで、結子の姿が見えた。黄色い髪留めが目印になる。
「待って、結子、今」
動かない下肢を引きずって、逸希は結子に近づいた。
結子はうつぶせの状態で胸から上を瓦礫の隙間から出していた。腰より下は見えない。見ない方がいい気がした。想像すらしたくなかった。
大丈夫か、と聞くことができる状況じゃない。
「逸っちゃん、だいじょうぶ?」
結子が聞いた。髪が雨に濡れて重く顔を隠している。逸希は両手で結子の髪をかきわけ、彼女の顔を探した。
「うまくしゃべれない」
結子の顔は血で真っ赤に染まっていた。雨に薄まり凝固する能力をなくした液体が目の中にまで入り込んでいる。黒髪に覆われて見えなかったが、後頭部が割れていた。
「ゆい、結子。大丈夫。大丈夫だ。助けがくる。すぐだ」
パッと100メートルほど先の場所に明かりがついた。土砂崩れにまきこまれなかった建物が見えた。電気が復旧したのかもしれない。人がいる。助けにきてくれる。きっと。
「みんな、だいじょうぶかな」
結子の声が弱弱しくなっていく。
逸希は焦った。妹以外の人間の死には少しも慣れていない。
「きっと無事だ。真耶も、瞬も、千世太も」
「逸っちゃん、わたし、しんじゃうのかなぁ」
「大丈夫大丈夫大丈夫。喋るな。ほら。手、握って」
逸希は右手を差し出し、無理やり結子に握らせた。
「声、出さなくていいから。返事の代わりに力入れて」
結子は黙ったまま、きゅ、と冷たい指先で逸希の手を握った。
「結子」
きゅ。
「結子」
きゅ。
「結子」
何度も呼んだ。何度も。握り返す力はどんどん弱くなっていた。反応がなくなるまでに、そう長い時間はかからなかった。
「結子?」
手は冷たいだけで、もうぴくりとも動かない。
誰か、助けを。
辺りを見渡す。
瓦礫の隙間から千世太がこの日のために買ったと自慢していた派手なスニーカーが見えた。動かない。
別の方向に手を伸ばすとざわりと不気味な感触がした。髪だ。真耶がいつも念入りに寝癖を直している、長い髪。動かない。
すぐ近くに細い腕が、真耶を庇うように伸びていた。腕しか見えない。あとは瓦礫の下。動かない。
最悪だった。
幾度真耶が死んでも、
その結果辿り着いた未来がここだ。
もう駄目だ。もう無理だ。
こんな力あったって誰も守れない。死んだのをやり直せるだけ。死ぬのを防ぐことはできない。次の世界なら、防げるかもしれないけど。でも次だ。今、目の前で死んでしまった大切な人は救えない。真耶。瞬。千世太。結子。結子。結子。
結子。
「ごめん」
言わなきゃいけないと思ってたのに、真耶のことを言い訳にして後回しにした。本当に気にしていたのは別のことだった。俺じゃどうしてもあいつに敵わない。
これが世界の運命なのかもしれない。一人の人間のために世界を捻じ曲げてはいけないという、
もういい。わかった。やめる。やめるから。ふつうに、みんな、生きていてくれたらいい。少しでも多くの人がふつうに暮らしてくれたらいい。
ただ、最後に。
もう一回だけやり直させて。
これが最後。最後だから。
最後にもう一度、ふつうの人間みたいに、生きてみたい。な。
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