第2話

 2回目の春休みだ。

 瞬は記憶の中の世界に迷い込んだような気分だった。テレビや新聞、両親の会話、太陽の傾きや風の匂いまで同じだった。同じだと思える感覚が不思議だった。

 3月の最終土曜日。幼馴染の友だち同士、5人で集まってボウリングをする予定も同じだった。

 山と川に囲われた田舎町に住む少年たちは、バスで15分、あるいは自転車で30分かけて駅前まで出なければ遊びらしい遊びができない。駅前には本屋、ネットカフェ、カラオケ、ボウリング場、ゲームセンターが一緒くたになった複合型レジャー施設がある。広い駐車場を共用に、ファミレスやドーナツ屋が少し離れた位置に建っている。

 午前11時25分。瞬はそこのファミレスに入った。ボウリング前に軽く食事しようという約束だ。店員に待ち合わせだと告げて店内を見渡す。窓際、奥の席で手を挙げた少年がいた。長身の体躯がよく目立つ。


「お待たせ」


 歩み寄って、対面の座席に腰を下ろす。


「待ってないよ。まだ5分前じゃん」


 短髪と三白眼。最近になって整え始めて失敗した細い眉。はにっと笑った。


「千世ちゃんはいつ来たの?」


「一時間くらい前についたかな。本屋でふらふらしてた」


「早すぎ」


「1番乗りってのはお前らが思ってる以上に価値のあるものなんだぜ。なんつったって1番だからな1番。みんなこの栄光が欲しくないのかね」


「待ち合わせで栄光を手にしてもな」


 まだあと3人来ていなかったが、千世太は喉が渇いたと言う。先にドリンクバーだけを2つ注文した。あとでランチを頼めばセット料金にできますよと気のよさそうな店員が笑って言った。


「なにがいい? とってくる」


 席を立とうとする瞬を千世太が止める。


「いやいや。俺が行こう。とびきりのやつを持ってきてやる」


 瞬は顔をしかめた。ドリンクバーと千世太の組み合わせはよくない。


「また作るの? あの、ウルトラスペシャルなんとかドリンク」


「ウルトラスペシャルエタニティドリンクな」


「長い」


 千世太は昔からドリンクバーの飲み物を自己流でいろいろと混ぜてオリジナル飲料を作るのが好きだった。しかもそれを他人に飲ませるのが好きだった。たちが悪い。


「今日は俺の次に来た人が飲む~」


 自分ルールまで強引に適用する。たちが悪い。


「最後に来た奴じゃないの?」


「1番に来た俺がお前だと言えばお前になるのだ。見たか、これが権力というものだぞ」


「ちがうと思う」


「1番最後の奴にすると、また逸希になりそうだからな。あいつふつうにいけるつって飲んじゃうし、そろそろ新しいリアクションが欲しいんだよ。瞬も1回飲んでみてくれ」


「なに混ぜてんの、あれ。全部?」


「全部ではないんだなぁこれが。そこは機密事項なわけよ。ま、1回飲んでみよう。な」


「いや、待って。いい」


「いいから」


「いいって」


 止めきれなかった。千世太は颯爽とドリンクサーバーへ歩いていく。

 起源は確か待ち合わせに逸希が遅刻した時の罰ゲームだった。それからファミレスで集まる時の恒例になってしまった。いつも逸希が遅れてくるから逸希が飲むものだと思い込んでいた。1回目の春休みには本当に困った。

 千世太は右手にメロンソーダ、左手に茶色い濁った液体を持って戻ってきた。


「じゃじゃーん。ウルトラスペシャルエタニティドリンク。フォーユー」


「ドブみたいな色してる」


「まあまあ」


 まあまあではない。自分がなにを飲ませようとしているかわかっているのだろうか。瞬はおそるおそるストローを咥えた。2回目でもかなり勇気がいる。ちゅう。ごく少量口に入れる。二口。三口。無言で飲み進める。3分の2ほど減らしたところで、口を離した。


「どう? どう?」


 千世太が満面の笑みで聞いてくる。


「飲めないレベルではない」


「お!」


「でもまずい」


「えぇえ」


 瞬は千世太のメロンソーダを勝手にもらって口直しした。


「なんだろう。ウーロン茶が多すぎたかなぁ」


 それともコーヒーフレッシュかなあ、と千世太がぶつぶつ分析している。

 2回目だと意外と飲めるものだなと瞬は思った。

 ぷつりと話題が途切れる時間が訪れる。

 瞬は逸希に言ったのと同じことを千世太に言ったらどうなるだろうかと考えた。


「ねえ、千世ちゃん。俺がタイムリープしてるって言ったら信じる?」


「タイムリープ?」


「声おっきい」


「タイムリープって、あの、過去に戻るやつ?」


「うん。実は俺、4月7日から戻ってきたんだ」


「マジで? すげえ」


「すげえって。信じてないだろ」


「え? 嘘なの?」


「いや、嘘じゃないけど」


「よくわかんないけど瞬ならいけそうじゃん。頭いいし。信じるよ」


「そんな単純な」


 冗談ではなく本当に千世太は信じてくれたのか。追求しようとした時、にぎやかな声が近づいてきた。


「ぴったり!」


「セーフ!」


 紺のパーカーにショートパンツを合わせた真耶がまず目に入る。すぐ隣にすらりと背の高い、ストライプシャツを着た女子。中山なかやま結子ゆいこ。結子と真耶は幼稚園からの付き合いだ。瞬や千世太とも仲がいい。


「いっちゃん、まだ来てないの? 先にご飯頼んじゃおうよ。お腹すいた」


 真耶は奔放に言った。カジュアルな服装も相まってやんちゃな子どものように見える。

 コールボタンをぽちっと押して、一瞬の間の後、はっと手を引っ込める。


「まだ決めてなかった!」


 時すでに遅し。ポーンと音が鳴る。

 真耶を除く全員が同時に笑った。

 結子がすみやかにメニューを開く。


「サクッと決めちゃおっか」


 2冊あるメニューの内、1冊を千世太と瞬に渡した。


「俺は日替わりにするから、千世ちゃん見ていいよ」


「は? なんだお前イケメンか」


 千世太が謎の怒りを瞬にぶつける間に、結子は言葉どおりサクッと注文を決めた。


「私、サラダうどんにしよーっと」


 真耶が本格的に慌て始める。


「ええ、みんな早い。どうしよどうしよ」


 結局真耶は瞬と同じ日替わりランチ、千世太はたらこスパゲティを頼んだ。

 注文を終え、ようやく一息つく。真耶はテーブルを見渡した。瞬が端っこに追いやっていたグラスに気づく。メニューを片付けたそのままの手で、グラスを手に取った。


「これなに? 一口ちょーだい」


「あ、それ」


 1回目の世界では止める間さえなかった。今回は止めようと思った。だがグラスには瞬が口をつけたストローが刺さっている。


「なんだこれ。不思議な色だね」


 真耶は躊躇いなくストローを口に咥えた。瞬はなにも言えなかった。言えない自分に愕然とした。赤面しまいと努力するだけで精一杯だった。

 結子は不安そうな顔でそれを眺めながら千世太に向けて言った。


「またあれでしょ? ハイパーウルトラなんとか」


「ハイパーウルトラスペシャルエタニティドリンクな」


「長くなってる」


 真耶の喉がごくんと一度動くのを瞬は見ていた。ぱっと桃色の唇がストローから離れる。


「意外といける。おいしーかも」


「えぇ」


「ここにもいたか。味音痴」


「でも二口目は無理」


「わかる」


「なんだよぉ」


 一瞬喜びかけた千世太ががっくりと肩を落とす。

 ほぼ同時に、4人のスマホが振動した。


「お、逸希、着いたって」


 店の入り口の戸が開く音が聞こえた。

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