第12話

 ぐしゅん。


 くしゃみとともに身体のバランスを崩して、机にあごを打った。

 慌てて辺りを見回す。塾だ。講義中。またか、と塾生が笑っている。

 講義後、逸希がにやにやと笑いながら話しかけてきた。


「またタイムリープ、したのか?」


 いじるテンションで聞いてくる。

 この世界の逸希はなにも知らない。まさか妹が死ぬとは思っていない。通夜の時の会話を思い出す。瞬だけが持っている記憶の中で、逸希はただの薄情者でしかなかった。


「あんなの冗談だよ。誰かが信じたら面白いと思っただけ」


 本当のことを話すのがいやになった。


 結局、信じられるのは自分しかいない。力を持っていると確信できるのも自分だけだ。


 スマホで日付を確認する。5月12日。真耶が原付バイクに乗って事故に巻き込まれるのは明日の夕方だ。

 瞬は放課後、新谷のところへは行かず、生徒玄関で真耶を待ち伏せた。

 本来、健全な状態であれば真耶はここに来ない。女子バスケ部の練習日だからだ。だが真耶はそれをサボって遊びに行く。素性の知れぬ男の原付に乗せてもらって事故にあう。馬鹿な死に方をする。


 予想どおり、真耶は生徒玄関に現れた。短くないかとあれだけ聞いたスカートが、一目で短いとわかる丈に調整されている。たった1か月。中学生が変わるには充分な期間だ。


「真耶」


 瞬が呼ぶと、うつむいていた真耶が顔をあげた。


「うわっ。お兄ちゃん」


 露骨にいやそうな顔をする。


「今日は部活の日じゃないのか?」


「え。そ、そうだっけ。そうかな」


 うろたえている。わかりやすい。嘘がつけない。


「サボる気満々だっただろ。ちゃんと行かなきゃダメだよ」


「う……。結子から、なんか聞いたの?」


 今結子の名前を出すべきじゃない。2人の関係が悪化するとまずい。


「いや。最近、様子変だなと思って」


 この世界では新谷と話してすらいない。そう話すしかなかった。


「ふうん。よく見てるね、私のこと。シスコンだね」


 逸希にも言われた。シスコン。瞬はその言葉に無性に苛立った。事実だからなのか。あるいは。


「いいから、今日はちゃんと部活行きな。終わったら帰りにアイスおごってあげる」


 アメムチ。頑張ったら褒美を与えて、モチベーションを高めなくてはいけない。


「わ、ほんと? やった!」


 ぱぁっと顔が輝く。素直だ。心の内側は未だ屈折していない。無垢な子どもだ。


「結子の分もね!」


 あ。そうか。

 瞬ははっとした。部活がある日は真耶と結子、2人一緒に帰るのだ。少し考えればわかりそうなものなのに見落としていた。真耶にだけおごるというのも変な感じになるから、結子にも同じことをする方がいい。


「いいぞ。今日だけな」


「コンビニ限定のちょっと高いやつでもいい?」


「い、いいぞ! 今日だけな!」


 医師の息子とはいえ小遣い事情は一般的な家庭と変わらない。瞬は今月、本や服を買うのを控えようと思った。


「瞬ちゃんも、今日部活でしょ?」


「うん、これから。先に終わった方が校門で待ってようか」


「うん。あとでね~」


 真耶は一転、笑顔で体育館の方へ歩いていった。

 単純なものである。アイスクリームひとつで2週間近くサボっていた部活にすっと行けるものなのか。きっかけは些細でよかった。サボりはじめた理由も些細なことだったのだろう。


 瞬もサッカー部の部室へ向かった。しかし、その日の練習は顧問の都合で思いのほか早く終わってしまった。

 40分。校門で待った。そろそろ終わったころだろうかと何度もスマホで時間を確認する。午後5時半。ちらほらと見覚えのある女子バスケ部の面々が校門へ歩いてきた。

「あ、瞬くんだー」と手を振って去っていく。「真耶ちゃん待ってるの? ヒューヒュー」と古い型の冷やかしも飛ぶ。ともかくバスケ部の練習はもう終わったらしい。

 しかし真耶と結子の二人だけが来ない。


『こっち終わったよー』


 LINEを送ってみる。待っていても既読にならない。

 今のところ平穏だが、前回の世界では真耶が死んだ時間が近づいてくる。ざわざわと心に不安の波が立つ。いてもたってもいられず、瞬は様子を見に行くことにした。


 体育館の脇から部室棟に回るつもりで歩いていくと、聞きなれた声が聞こえた。


「ありがと。今までサボってたの私なのに、手伝ってくれて」


 真耶の声だ。聞き間違えようがない。

 声は体育館裏の用具倉庫から聞こえていた。瞬は咄嗟に体育館の影に隠れた。


「いいよ。一緒にやった方が早いじゃん」


 結子の声も聞こえる。2人だけがその場にいるようだ。

 真耶がしばらく部活をサボったペナルティに用具倉庫の整理を頼まれたとか、そんなところだろう。隠れる必要はない。出ていって声をかけよう。


「結子って、今も瞬ちゃんのこと好きなの?」


 足が止まる。


「うぇっ? きゅ、急だなぁ! な、なんで?」


「急かな? 前々から気になってたの。いつだっけ。結子が好きな人誰って聞かれて、瞬ちゃんって言ってたことあったじゃん。小3くらいの時。あの時からずっと?」


「小3の時って、謎の『好きな人つくるブーム』があった時期? あれは正直みんなノリで言ってたでしょ。とりあえず好きな人いるんだぁって言いたいだけみたいな。私も似たようなノリだったと思う」


 男子の知らないところでそんなブームがあったとは。女子はなにかとススんでいる。


「まぁ、あの頃はそうか。でもさぁ結子ちゃん。最近うちの兄は成長著しいよ~。身長もすーっと高くなっちゃったし。これは意識するでしょ。しない方が無理でしょお」


「うぇう……」


 戸惑う結子の反応に瞬もおおいに戸惑った。全然気がつかなかった。瞬は結子をそういうふうに意識したことがない。陽気で男勝りな姉のように思っていた。結子はスタイルもいいし接しやすい女子だからそれなりに男子から人気がある。なぜ瞬は少しも意識しなかったのだろう。瞬は気づく。そういう意識は別の女の子に全部向いていた。

 とにかく、これは聞いていい会話じゃない。物音を立てないよう静かに立ち去るべきだ。だがそう思えば思うほど動けない。


「私に気つかってる? 大丈夫だよ。私ほかに好きな人いるし」


 新たな情報に瞬の足は決定的に凍り付いた。


「え、真耶、好きな人いるの? 初耳! だれだれ? その話しようよ」


「結子が先!」


「えぇ。じゃあ保留」


「ほりゅう?」


「瞬ちゃんのことは、まだ、よくわかんないの! そりゃあ見た目いいし性格もまぁいいしムカつくくらい肌きれいだし、女子に人気あるけどさ。なんか、そういう人を好きになるのって、悔しい」


「王道をいきたくない感じ?」


「うぅむ。どうだろ。なんか身近すぎる。好きになって当たり前みたいな距離感がいや」


 瞬には結子の感覚がわからない。身近だろうが高嶺の花だろうが好きだと思えば好きなんじゃないかと思う。

 真耶はしばらく考えた後、少し不安そうな声で言った。


「やっぱ私に気つかってない?」


「真耶こそ私に……」


「え? ごめん、なんて?」


「もう、行こ! 瞬ちゃん、きっともう待ってるよ。あーアイス楽しみ~」


 2人は再度体育館へ入っていった。辺りがしんとするのを待って、瞬は校門前に戻った。


 その日、真耶は死ななかった。


 結子と一緒に、コンビニのちょっと高いアイスを心底幸せそうに食べていた。

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