第13話

 危機が去ったあとはまた緩慢な時間が流れ出す。


 瞬は結子と協力して真耶がきちんと部活に出るように指導した。理由なく、逃避的に部活を休むことは健全ではない。

 あの日聞いた会話の内容は忘れたことにして、日々を過ごした。


 6月。雨季に入った。


 湿気が鬱陶しく、早く目が覚めた朝があった。家の中ですることもなく、早々に登校すると、生徒玄関の近くで千世太に会った。千世太はバレーボール部の朝練があるから毎日早く学校に来ている。


「瞬じゃん。今日早いな」


 長い腕をあげて瞬に笑いかける。


「目が覚めた」


 頭はまだはっきり覚醒していない。朝の気だるい心が判断力を鈍らせる。

 あの話を、瞬は忘れたふりをしながら少しも忘れられなかった。チクチクと心を刺してやまない。結子が自分を好きかもしれない。それも気になった。でもそれ以上に気になった。真耶。真耶が言ったこと。

 迷ったあげく、瞬は千世太に相談してみることにした。


「なぁ、真耶の好きな人って、誰だと思う?」


 千世太は瞬が予想したよりもずっと落ち着いていた。少し目を丸くしたものの、階段下のひと気のない場所で足を止め、話を聞く態勢になる。


「急だな。なんで?」


「ちょっと気になって」


「ふうーん」


 にやにやと意味深に笑った。なにも言われていないのに瞬はドギマギしてしまう。


「あ、兄として、だ」


「へえぇ~」


 にやにやにやにや。

 ひとしきりにやついたあと、千世太はすっと真面目な表情になって考え始めた。


「真耶の好きな人、ねえ」


 顎に手を当てる。


「瞬じゃないの? それか俺」


「それはどういう」


「幼馴染だし」


「だろうなぁ」


 驚きもしない。単純で明快な発想だ。他人事ひとごととして見ていたら瞬もそういう風に考えたのかもしれない。


「千世太、か。千世ちゃんなら、うん。いいんだけど」


 真耶の好きな人が千世太ならばいい。なにも憂うことがない。千世太は騒がしいが真面目で一所懸命で前向きな人間だ。なにより身近な人間をとても大切にしてくれる。千世太ならいい。悪くないのだからいい。いいと思わなければならない。


「へ? おい、馬鹿ばか。俺なわけないじゃん。真耶が好きなのはどう考えてもお前だ。一択だよ一択」


「俺ではないらしい」


「え? 本人が言ったのか?」


 ほかに好きな人いるし、と真耶は言った。瞬のほかに、という意味で言っていた。


「結子と話してるのを聞いてしまった」


「へぇ。それ、ほんとか? その場のノリとかでなく?」


 なんとも答えられない。真耶はわりとノリで発言する。あの時は声だけを聴いていた。表情も見ていない。

 瞬が黙ると千世太も黙った。なにか考えている。

 千世太はなにかひらめいた様子で、ピッと人差し指を立てた。


「あ、そういえば! いや、でもあれは、ちがうかな」


 立てた指を拳にしまいなおして、顎の辺りを撫でる。


「どしたの」


 瞬にはわからない話を考えている。


「いや、思い出したんだ。この前、土曜、駅前でさ、真耶が男と2人で歩いてたんだけど」


 千世太は躊躇ためらいがちに話した。


「男?」


「高校生……大学生くらいだな、アレは。ひょろい茶髪のやつだった」


 千世太は何度も首をひねった。


「一緒に歩いてたし、知り合いなのは間違いないっぽいけど、付き合ってるとか、仲いい感じは全然しなかった。そこは安心しろな」


 そうは言われても心配になる。中学2年の女子が大学生とどう知り合うのだろう。こんな人の少ない田舎の町で。


「聞いた話なんだけどさあ」


 千世太がさらに言いづらそうに話しだす。


「なんか、ガラ悪い先輩とつるんでるみたいだぜ、真耶」


「え?」


「3年の、岩田だか石田とかいう、半グレのヤンキー。バレー部の先輩が同じクラスで、話してたら真耶の名前が出てきたんだってさ。俺と真耶が幼馴染って知ってる先輩だから、教えてくれたんだ」


 岩田だか石田とかいう半グレのヤンキーを瞬は知らなかった。さほど盛大に荒れているわけではないが、クラスに一人は半グレのヤンキーがいる中学だ。誰のことだろう。見たことくらいはあるのかもしれない。

 単純によくない気がした。

 千世太が続ける。


「たぶん、俺が見た茶髪の大学生もそのヤンキーの周辺にいるひとりだと思う。先輩の先輩とか、兄ちゃんかなんかで」


 大学生くらいなら原付の免許も持っているだろう。真耶を後部座席に乗せたのもそいつかもしれない。あげく事故って死なせたのも、そいつかもしれない。


「俺もさ、真耶がそういうやつらとつるむのはなんかちがうと思うんだ。でも、なんて言ったらいいかわかんねえ。俺はいつも馬鹿やって真耶に怒られる側だったから」


 千世太はどことなく寂しそうだった。


「俺、聞いてみるわ」


 瞬が言った。


「お」


 聞いて、答えてくれるかはわからない。だがそのままにしておくわけにはいかない。なんとかしたい。

 決意を固めていると、千世太がぽんと肩を叩いた。


「頑張れ、お兄ちゃん」


 冗談めかして笑う。

 肩の力がふっと抜けた。


「おう。サンキュな」


 瞬も笑った。千世太の笑顔は見る人をも笑顔にする。いい奴だ。真耶の好きな人が本当に千世太でも不思議ではない。もしそうだったら応援しようと瞬は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る