第32話

 真耶は意識を取り戻そうとしていた。

 処置室の前の長いベンチに、左から結子、逸希、千世太、瞬の順で座っている。


「千世ちゃん」


 瞬が千世太に話しかける。別のことが気になり始めたおかげで、千世太の話を冷静に考えられるようになった。


「タイムリープの能力は、なんのきっかけで覚醒するんだ?」


 千世太は辺りに誰もいないのを確認してから答えた。


「あの薬を飲んだ人間が、強い精神的ショックを受けた時だ。人が死ぬとか、事故に巻き込まれるとか」


 瞬は考えた。修学旅行の帰り、事故にあった時のことを思い出す。


「事故の時、真耶はボールが転がってくるのを見てすぐにハンドルを引いたんだ。自分の側に。子どもが飛び出してくるより早かったかもしれない。咄嗟の判断でなんであそこまでできたのか、ずっと不思議だった」


 逸希が千世太の肩越しに瞬に言った。


「真耶が、事故が起きることを知ってたっていうのか?」


「かもしれない。一度、俺か逸希か有加里さんの、誰かが死んだとしたら、その時に真耶の能力は覚醒してる」


「そんな様子なかった」


「薬の量の差だ」


 千世太が言う。


「あの薬は250㎖の飲み物に数滴落として1か月程度過去に戻れるよう調合されていた。真耶が飲んだのはごく少量、ひと口だけだ。氷で薄まっていることも考えると、1時間、数十分くらいしか過去に飛べなかったとしても変じゃない」


 数十分。

 事故が起きた直後、混乱した真耶は現実から目を背けようと強く目を閉じる。次に気がつくと学校の駐車場。あるいはすでに車に乗ったあとかもしれない。直後に事故が起きることを真耶だけが知っている。逸希や瞬に話を打ち明ける暇もない。とにかくなんとかしようと、強引な行動に出る。ハンドルを自分側に引く。

 瞬は全く気がつかなかった。車に乗り込んでから事故にあうまでのあの間に、真耶はそんなことを考えていたのか。言ってくれれば信じた。そういえば瞬は真耶にだけはタイムリープの話をしていなかった。


「まあ、実際のところは本人に聞いてみるといいさ」


 千世太は長い足を組んで壁に背をもたれかけ、ゆっくりと目を閉じた。


「目、覚ますんだな」


 逸希がうわ言のように零した。


「俺は、事故にあった時点でもう駄目だと思ってたんだ。土砂崩れの時もそうだ。何度も真耶が死ぬうちに、なにか起こるとすぐにもう終わりだって思うようになった」


 両手で顔を覆う。伸びた前髪がざわりと手の甲にかかっていた。


「もしかしたらこんな風に、希望が残ってる世界があったのかもしれない」


 足を組んでいた千世太が、くしゅんと大きなくしゃみをした。


「なんの話?」


 逸希にそう尋ねる。


 千世太、お前。


 瞬が呼ぼうとした時。


 処置室の扉が開いた。

 全員が一斉に立ち上がる。

 ストレッチャーに乗せられた真耶の瞳は、開いていた。


「真耶」


 瞬が呼ぶと、真耶は無言でゆっくりうなずいた。

 逸希はそっとその場を離れた。

 どうしたのだろうと思って結子が後を追うと、逸希は足を速めて振り切ろうとした。


「逸っちゃん。どこいくの?」


「トイレ」


 嘘だ。声が震えている。泣いている。

 あの逸っちゃんが泣いている。

 結子は驚いた。

 結局男子トイレの手前で逸希は立ち止まった。ぐすぐすと喉を鳴らして、本格的に泣いている。


「全部、無駄だと思ってたんだ」


 逸希と瞬と千世太はずっと結子にはわからない話をしていた。


「全部、間違ってたと思った」


 なにかとても大変なことがあったのだろうなと思う。小さな頃から転んでも喧嘩しても決して涙を見せなかった逸希が崩れるくらいに大変ななにかが。


「俺は、なんにもできないって、思ってた」


 よくわからなかったが、結子は躊躇ためらわずに言った。


「でもちがったんでしょ? 逸っちゃんは、転んでも最後まで走るヤツだったもん」


 うん、と小さな子どものように逸希がうなずいた。

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