第10話

 真耶には結子以外に特別親しい女子がいなかった。


 今年は結子だけでなく、そこそこ親しいバスケ部の友だちもクラスにいない。

 それでも顔見知りや、同じ小学校出身の子と話をしてみた。いまいちお互いに打ち解け合えない、線を引いた上辺の付き合いだったが、それでも最初の1週間弱、真耶は人の群れの中にいた。


 新谷が最初に真耶に注目することになったのは、授業中の出来事がきっかけだった。


 席替え前。名簿順に並んだ座席。真耶は窓際、1番前の席にいた。最前列は教壇から見ると意外と目立たないものだ。それをわかって居眠りする人間が多い。スマホをいじる人間も多い。

 真耶は左手を引き出しの中に入れてもぞもぞしていた。スマホを触っているのは間違いない。

 新谷はひとまず真耶を当てて問いに答えさせた。すぐにやめれば1度目は注意しない。だが真耶は回答を終えてしばらく経つとまた引き出しの中でもぞもぞし始めた。他の生徒に教科書を音読させておいて、そっと真耶の席に近づく。隠す仕草がない。もうアウトだ。


「荒家さん」


 机をコツコツとノックする。音読の声が止む。真耶は顔をあげた。


「没収です」


 思いのほか素直に引き出しから手を出した。スマホを新谷の手の上にのせる。画面が暗くなる直前、見えた。手のひらサイズの画面に映っていたのは明らかに18禁の、アダルトな画像だった。

 ティーバックのパンティだけを身に着けた女性がシーツに横たわっている写真。

 画面はすぐにスッと暗くなった。見間違い。いや、そんなはずはない。慌てて真耶を見る。真耶はにやりと笑った。


 新谷は真耶にからかわれたのだった。


 放課後、散々注意したが真耶はなぜか楽しそうに笑うばかりだった。少しも反省していなかった。その証拠に、以降遅刻が頻発するようになる。部活も休みがちになり、女子バスケ部の顧問から新谷に忠告があった。


 そんな態度でいたせいか、あるいは別に理由があるのか、真耶はクラスの中で浮いた存在になりつつあった。

 火曜日の4時限目は新谷の国語の時間だ。真耶は例のごとく欠席していた。昼休みになってから、新谷は保健室を訪ねた。

 真耶は幅の広いベンチに腰掛け、足をぷらぷらさせていた。養護教諭は席をはずしている。ベッドも全て空いている。真耶ひとりだけだ。


「あ、センセー」


 真耶はとても元気そうだった。


「僕の授業の時を狙ってサボるのやめてください」


「はい、先生は担任だから許してくれると思っています!」


「許してません。そろそろ生徒指導の山本先生に呼ばれるよ」


「山本って今年結婚するんでしょ。男子が噂してた」


「山本


「ね、新谷先生って彼女いる? いたら別れて」


「はい? なんで」


「先生は私のことを好きになるの。そんで理性と欲望の狭間で苦しめばよい」


「なんの意味があるの、それ」


「おもしろそう。ふふ」


「部活とか、授業とか、他のことは面白くなさそうですか?」


「……」


 上機嫌で話していた真耶が急に黙る。やはりそこが彼女の悩みなのか。


「先生、私ね、クラス変わってから今まであんまり話したことない子とも頑張って話してみたよ」


 ぽつぽつと話し始める。真耶は新谷を信頼して話してくれている。


「荒家くんって家ではどんな感じ? とか、超聞かれるの。8割くらいはお兄ちゃんの話だったかなぁ」


 両親の再婚で兄妹になった同級生。最近ではそう珍しいことではない。目立つのはその関係性ではなく個人の素質だった。荒家瞬は小学2年の時に東京から転校してきた少年で、転校当時からなにかと人の目を引いたという。必死に努力して完璧にやるのタイプではなく、なにもかも適度に手を抜いてこなす順応力の高さが、協調性の高い田舎町では魅力として評価された。


「それから、同じ小学校だった子は、っちゃんどうしてるの、とか。そういう話も多い」


「いっちゃん?」


「血が繋がってる方のお兄ちゃん。3組の、不登校の」


「ああ、逸希くん」


 旧姓西田逸希。彼もまたよく目立つ生徒だった。明るく自由奔放。やや強引で、走るのが早い。成績もそれなり。人気のある子どもの必要条件をかねそなえていた。だからこそ彼が不登校になった時は誰もが驚いた。逸希は不登校になりそうもない少年だった。だから未だに心配してくれる知人もいるのだろう。


「みんなお兄ちゃんと逸っちゃんのことばっかり聞くから、私もいつの間にか進んでそういう話するようになってた。それで自分のこと全然話さなくなってること気づいたんだ」


 新谷は思った。真耶は自分の話を聞いてほしいのだろう。誰かに。こんなふうに。


「なんか自分がお兄ちゃんといっちゃんのおまけみたいに思われてる気がして、ムカついてきて、やめてみたの。お兄ちゃんと逸っちゃんのことは聞かれても話さないことにした」


 ふふふ、と突然真耶は笑い出した。


「したらね、ウケるの。私、話すことほとんどなくなっちゃって。みんなに聞いてほしいことも、みんなから聞きたい話もなぁんにもない。そんなのもう、一緒にいる意味ないじゃん」


 真耶が群れから外れた理由だった。


「先生。私ね、部活も授業もクラスの子も嫌いじゃないよ別に。ふつう。ふつうだよ。でも、つまんない。私の心の中に入ると全部つまんなくなっちゃう」


 真耶は長椅子にぺたんと体を横たえた。ふてくされたように長い髪の先を指先でいじる。


「ずーっと親友だと思ってた子も、結局お兄ちゃんのことが好きなんだもん。そうじゃなかったら全部信じられたのに。なんかわかんなくなってきた」


 眩しい兄の陰で、妹の繊細な心にモヤモヤと霧がかかっていた。


「私本当にお兄ちゃんと逸っちゃんのおまけだったのかも」


 聞き取れないほど小さな声で、真耶は言った。

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