第25話


「おとうさん」


 真耶ははっきりと言って、にっこりと笑ってみせた。

 その場に沈黙が落ちた。


「えっ」


 誰かが声を出すと火が着いたように騒がしくなった。


「なになに!? どういうこと?」


「おとうさんって、荒家くんのお父さんのこと?」


「荒家耳鼻科の先生?」


「え、大丈夫なの? それって」


「言われてみれば確かにちょっとかっこいいかも」


「お医者さんだしね!」


 友人が父を褒めるのを聞いて、真耶はなぜか誇らしい気持ちになった。


「でしょ? 私は昔っから、瞬ちゃんより荒家先生のがタイプだったもン。ま、でも歳の差すごいし。お母さんにとられちゃったからどうにもしないんだけど」


「ええええ。なんかドラマみたい」


「でもなんかわかるかも。真耶は年上の人の方が似合う」


 年上の人、と言われて真耶が真っ先に思い浮かべたのは自分をナイフで脅した茶髪の男だった。ああいうのでも似合うのだろうか。少し悲しくなる。


「ねぇねぇ、嫉妬とかする? お母さんに」


 どんどん質問を飛ばされる。

 真耶は開き直るしかなかった。


「するする。超するよー。今ね、うちのお母さん妊娠しててさ、めっちゃ気まずいの。もうすぐ子ども生まれるんだけど、妹でも弟でも、可愛がれる自信ないなぁ」


 勢いに任せて本当のことも言ってしまう。真耶が母親との関係を気に病んでいるのは事実だった。生まれてくる子どもをどう受け入れたらいいかもわからない。


「あぁ、弟はね、そんなかわいいもんじゃないよね~」


 実際に弟がいる女子の一人が言う。


「ね、結子」


 同じように弟のいる結子に同意を求める。

 真耶は気づいた。結子はずっと黙っていた。


「ん? うん、そうだね。弟はねぇ、小学校低学年くらいになると、チョーうるさいよ」


 アハハハハハ。


 よかった、結子もいつもどおり。これでよかった。上手くごまかせた。


「てかさ、しょうもない嘘つくのやめなよ」


 す、と明るさのない声が結子の口から漏れた。

 真耶の髪はまだほんのり濡れたまま冷えている。ぎこちなく、それでも反応を返さなければいけないと思う。


「なに? なんで?」


「嘘じゃん、そんなの。どうせまた、私がいるから気ィつかってんでしょ」


「嘘じゃないんだけどなー。まぁ、おとうさん好きとかキモいもんね。信じたくないか」


「嘘じゃないなら勘違いだよ、真耶。ちょっと来て。2人で話そう」


 結子は真耶の腕をつかんだ。小ぶりのドライヤーがころんと床に転がる。


「結子!」


 周りの女子が血相を変える。結子はかまわずに真耶の手を引いて立ち上がった。


「ごめん、先行ってて。うちらもすぐ行くから」


 本館の宴会場へ向かう人の流れに逆らうように、2人は廊下を奥へと進んだ。結子は階段の裏、ちょうど陰になる場所で真耶の手を離した。

 ひと気がどんどん遠ざかっていく。もうほとんどの生徒は本館に移動してしまったのだろう。


「なに? 早く行かなきゃ」


 真耶が言う。結子は珍しく真剣な顔をしていた。


「まだ自覚してないの? 真耶は、瞬ちゃんのことが好きでしょ?」


 真耶は自分の顔にかっと血がのぼるのを感じた。


「ちがう! 決めつけないでよ。言ったじゃん。私はおとうさんのことが」


「荒家先生は、亡くなったお父さんと瞬ちゃんの影がちょうど重なる位置にいる人だからでしょ。無条件に自分を愛してくれて、しかも気になる男の子に似てて、ちょうどいいもんね」


「ちがうってば」


「私、謝らなきゃいけない。あの時、用具室で真耶に聞かれた時、私、瞬ちゃんのこと好きだったのに、はぐらかした」


 結子は恥ずかしそうに、そして苦しそうに目をふせた。

 そんなこと知ってる。真耶は思う。


「認められなかった。ウダウダ考えてわざと遠回りした。でも、気づいた。私は瞬ちゃんのこと好きだけど、付き合いたいとか告白しようとか思ったこと1回もない。たぶん、これからも思わない。私は、みんなで一緒にいるのが好きなんだよ。そう思ったら、なんか好きって気持ちも、千世ちゃんに対するのと同じような感じになった」


 真耶が想像する以上に、結子は勇気を出して言っている。目が潤んでいる。鼻声になっている。


「だから、もういいんだって。真耶が自分に嘘をつかなきゃいけない理由は、もう」


「だめだよ」


 本当のことを打ち明けた結子に、もう嘘はつけない。


「駄目だよ、私じゃ……」


 真耶が、結子のことを建前に、本当に目を背けていたかったことは別にあった。


「知ってるでしょ。瞬ちゃんは、すごいんだよ。優しくて頑張り屋さんで、いつも素直でまっすぐでさ。あんなかっこいい子、ほかにいないよ。そんなの、みんな好きになるに決まってるじゃん。みんな、みんな瞬ちゃんが好きじゃん。だからみんな私に瞬ちゃんのこと聞くんでしょ」


 こんな情けない気持ち、誰にも言えなかった。


「私なんか、なんにもないんだよ。なんにも、なぁんにも持ってない。釣り合わないよ。どう考えても」


 だから、義父に望みのない片思いをしているフリをしてみた。おままごとのような気分で。それはとても楽だった。そうしている間は自分の気持ちに悩まずにすんだ。そうしなければ瞬とまともに話せなくなりそうだった。


「ごめん。私、部屋に忘れものした。先、行って。お願い」


 真耶は走り出した。暗い階段を駆け上る。誰もいない別館の奥へ走り去る真耶を、涙をこらえる結子は止められなかった。

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