第7話

 瞬がこの町に来たのは小学2年生の秋の頃である。

 生まれは東京だ。以前より不仲だった両親の離婚がきっかけだった。母は東京に残り、父は故郷に戻って自分のクリニックを開業することになった。瞬は父も母も好きだった。ただ、当時患っていた喘息のために、1度空気のきれいな場所に住んでみたいという思いがあった。その希望が尊重され、瞬の親権は父のものになった。


 東京から片道3時間以上離れた、温泉の湧く山際の町で、瞬は暮らし始めた。転校先のクラスメイトは自分たちの住む土地を「なにもない」と言うばかりだったが、決してそんなことはなかった。

 公衆浴場。温泉卵。甘味処。土産屋。神社と寺。禁止事項が書かれた看板のない公園。大縄跳び。裏山の探検。蛍。

 新鮮なものがたくさんあった。空気も都会のそれとは比にならないほど澄んでいた。まもなく喘息の症状は出なくなった。瞬はこの町を気に入った。


 その当時、千世太は瞬のクラスの委員長で、あれこれと世話を焼いてくれた。放課後や休みの日になると瞬を町中連れまわして遊んだ。おかげですぐに土地勘がついた。はしゃぎすぎて喘息の発作が出ると、千世太は瞬を抱えて家まで送ってくれた。千世太は友だちが多く、とくに隣のクラスの逸希という男子と仲がよかった。


 ある日、瞬は千世太と2人で逸希の家に遊びに行くことになった。

 逸希の家は町はずれの丘の、ゆるやかな坂道を上っていった先にあった。古いがきちんと手入れされた、木造の大きな平屋。

 チャイムを押して戸を横に引いて、千世太が「こんにちはぁ」と声を張る。つるつるした床を滑るように歩いて、逸希が現れた。細長いバニラアイスをくわえている。


「よう。入れよ」


 曲がり角の多い廊下を、逸希はすいすいと進んでいった。


「逸希は古いゲーム色々持ってんだぜ」


 千世太が自分のことのように自慢する。


「父さんがゲーム好きだったからなぁ。DS《ディーエス》欲しいって言ったのに、『それならイチから歴史を学ばねばならん』とか言って初代のマリオやらされたんだぜ。結局DS買ってもらえなかったし」


 南側の奥が逸希の部屋だった。ふすまを開く。畳の上に重そうな勉強机が置かれていた。たたまず放ったらかしになっている洗濯物。部屋の壁面には天井まで高さがあるスチールラック。

 棚には歴代の家庭用ゲーム機が並べられていた。配線はまとめて奥の方にしまわれ、きれいにディスプレイされている。


「ファミコンだ! 実物!」


 雑誌やテレビでしか見たことのないゲーム機を見つけて、瞬のテンションはあがった。


「古いソフトはダウンロードで買いなおしたから、使うことはないんだけどな。思い出の品ってやつ?」


 逸希はバニラアイスを落とさないように慎重に食べながら何気なく言った。


「思い出? なんの?」


「去年、脳梗塞で死んだんだよ。思い出の品っていうか、形見だな」


 食べ終わったアイスの棒を見て、逸希は「お、当たり!」とはしゃいだ。

 なにか言ったほうがいいのか迷っている間に、逸希は部屋から出ていった。戻ってきた逸希は瞬と千世太にもバニラアイスをくれた。それを舐めている間に変な気づかいは消えた。


 文字の書かれていない木の棒の先が見え始めた時、開けっ放しになっていた縁側の襖からひょこっと小さな頭が出ているのが見えた。女の子がいる。

 じいっとこちらを見ている。黒い髪の房がぱさっと肩から落ちた。

 瞬はその子を見たことがあった。同じクラスにいる女子だ。名前は確か。西田。西田さん。あれ、西田って逸希と同じ苗字だ。


「あの」


 目線を少女に向けたまま声をかけると、逸希も少女に気づいた。


「ああ。妹」


 逸希はぞんざいに言った。


「妹? 俺、同じクラスだよ」


「双子だから、学年一緒」


「へえ」


 なんだかすごいなぁと思う。

 双子の妹はその会話の間もじいっと瞬を見ていた。いい加減無視できなくなって、逸希が睨む。


「なんだよ」


「ユイちゃんうち来る」


「なんだと!」


 逸希が急に立ち上がった。

 瞬は驚く。


「どしたの?」


 真剣な様子の逸希には聞けず、千世太を頼る。千世太は瞬に説明した。


「逸希と結子は戦争してんだ」


「戦争?」


「公園のブランコ先に乗れる権を争ってる」


 戦争にしては規模が小さいと思う。


「まだ続いてるの?」


 千世太は深刻そうにうなずいた。

 結子という名前からして逸希の相手は女子だ。いくら規模が小さかろうと戦争というとただ事ではない。

 逸希はパシンと右の拳を左の手のひらに打った。


「よし、今日こそ決着つけよう」


「あたしはユイちゃんの味方だからね!」


 ふすまの陰から、妹が精いっぱいの声を出す。


「上等だばーか」


「荒家くんもこっち側にもらうからね!」


 突然名前を呼ばれてギクッとする。双子の妹は紅潮した顔で瞬を見ていた。

 戸惑う瞬の代わりに逸希が反発した。


「はぁ? なんでだよ」


「同じクラスだもん!」


「俺も同じクラスだぞ!」


 千世太も会話に入ってきた。確かにそのとおりだ。


「千世ちゃんは班がちがうでしょ。私と荒家君は班も同じだもん。だからこっち側、ね!」


「え。うん」


 返事をもとめられて、思わずうなずいてしまった。この「うん」は「班も同じだもん」に対する同意のつもりだった。だがこれでは「こっち側」だと認めたように聞こえる。


「やった! ほらね」


 案の定真耶が両手をあげて喜ぶ。


「えー。ずるいぞ」


 話がトントン拍子で進んでいく。千世太が委員長らしく提案した。


「よし、まず瞬をどっちの味方にするかの戦争しよう」


「えぇえ」


 瞬をどっちの味方にするかの戦争をした結果、瞬は逸希の側につくことになった。その時、瞬は「逸希側につく代わりにブランコ戦争は結子の勝ちにしよう」と提案した。


 戦争は終わった。5人はそれからよく一緒に遊ぶようになった。


 同じように小さなきっかけから、瞬の父も双子の母と親しくなっていった。

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