第8章 大狼、闇に謳う

8-1 森の中、遭遇と異変

「目はまだ治らんのか」



 テレザ達が集落でクラレンスの話を聞いていた頃。森の奥深くに潜む魔竜に、ラインが聞いた。口調は相変わらず退屈そうで、欠片も心配などしていない。魔竜が、こちらもダルそうに答える。



『貴様は我と一蓮托生なれば、分かっておるはずだが』


「と呆れているんだよ。貴様、この森でどれだけ喰ったと思っている?」



 1人と1頭の周囲には打ち捨てられた獲物の残骸と、それにかぶりつく森の動物達が異様な臭気と邪気を纏っていた。ある者は魔物へと姿を変え、先ほどまで仲間だった者に襲い掛かる。ある者は魔物になる途中で力尽き、争いの中で踏まれ、蹴られて肉塊へと変わっていく。

 酸鼻を極めるその光景、それすらもラインにとっては刺激たりえない。何の感情も映さぬ双眸に映るはただ1つ、自らの目的だけ。



「森を嗅ぎまわる人間に見つかるのも時間の問題だ。悠長に食べてる暇はないぞ」


『分かった分かった。人間はせっかちでかなわんな……』



 魔竜の口から、人間の可聴域に無い音が吐き出される。魔属性幻素素イビル・エレメントで編まれた魔竜の指令は、実にシンプルなものだった。



『我が愛しき眷属達よ。人の里を襲い、喰らえ』



 伏せっていた巨体の狼が、のそりと立ち上がる。その桁違いの嗅覚は、森に入ってきている人間の位置を正確に割り出す。配下の狼を率い、ジェヴォーダン狼王は敵の目を潜り抜けつつ進軍を開始した。






 同時刻。ジークフリートは、フィーナから受け取った地図を元に森の中を奥へ奥へと進んでいた。魔物に出くわしたりもするが、彼の姿を見た瞬間姿をくらます者がほとんど。挑みかかってきた者は、例外なくジークフリートに一刀の元、斬り捨てられる。

 風に乗って森に広がる血と臓物の臭い。それに混じり、生きて動く者の気配と足音がする。雰囲気からして、これまでの雑魚とは違う。



「……止まれ」


「いかがされました、ジークフリート様?」


「何か来る、構えろ」



 まだ気づいていない様子の取り巻きに短く命じ、ジークフリート自身も背中の大剣・グラムを抜き放つ。これは酒場の喧嘩ではなく、正真正銘戦場での殺し合い。油断した奴から死ぬ。気配の数は……2つ。1つは堂々たる足取り、もう1つはスルスルと地面を滑るように歩いている。



「……を……けろ……いるぞ」



 どうやら向こうもこちらに気が付いたらしく、女と思われる話し声がジークフリートの耳に届く。その声を最後に、足音も消えた。大声で呼びかけようかとも思ったが……やめよう。この薄闇の中、安易に刺激したくない。ジークフリートは向こうを人間だと判断できたが、向こうが何だと思っているかは不明だ。正体不明のまま突然大声を上げて、問答無用で襲い掛かられてはかなわない。



「仕方あるまい……お前たちはここにいろ。俺が話す」



 あえて足音を忍ばせず、ジークフリートは単身で気配のする方へ歩き出す。ピリピリとした緊張感が向こうから伝わってくるが、幸い攻撃は受けなかった。やがて木々の間から、白い鎧とボロボロのローブが見え隠れし始める。



「俺はジークフリート・レイワンス。ギルドから森へ出ていた者達か?」









「……気をつけろ。何かいるぞ」


「……」



 カミラはそう言って、サイラスを制した。2人は魔竜の捜索で森へと入っていたのだが、交代の時刻が近づいたためギルドに帰還しようと森を抜ける最中だった。足を止めた2人の方へ何者かが歩いてくる。足音を忍ばせようともしない辺り、敵意がないことのアピールだろうか。


 やがて、暮れに紛れる黒い鎧が2人の前に姿を見せた。そいつは兜を外し、獅子の鬣のような髪を露わにして名乗る。



「俺は、ジークフリート・レイワンス。ギルドから森へ出ていた者達か?」


「いかにも。私はカミラ・スオードナイト、こちらはサイラス・メイジシャンと申します。頃合いと見て、ギルドに引き返そうと思っておりました」



 いつも通りサイラスは完全な無言、無音を貫き、カミラが2人まとめて自己紹介をする。特にサイラスの無礼を咎めることもなく、ジークフリートは話を進めた。



「それは丁度良い。俺は、国王より魔竜討伐の命を受けて森の奥へと向かっている。ギルドの幻導士エレメンターは、集落の防衛に当たってくれ。それと、最新の森の情報を貰えるか」


「国王陛下から! 分かりました、現在――」


「――ふむ、協力に感謝する」



 カミラと一通り情報の共有を終える。これまでの捜索範囲に2人の情報を加え、魔竜の潜む場所はかなり絞り込めた。ジークフリートは頷いて取り巻きの元へ踵を返す。その背中越し、カミラは声を投げかける。



「……ジークフリート殿、どうかお気をつけて」


「言われるまでもない。既に魔物が活発化する時間帯に入っている、貴様らこそ、注意することだ」



 森の奥へと姿を消していくジークフリート達を見送り、カミラとサイラスが森を抜ける足を速めた、その時。


 アオォォーーン……!!


 森の外から遠吠えが響いた。耳にこびりつくような、人間の本能的な恐怖を煽る音。遠吠えの主は、間違いなく魔物の類だ。捜索の目を掻い潜り、森の外へと抜けていたらしい。


 アォーン……オォーーン……!


 応えるように、複数の遠吠えが方々から上がる。まるで、侵攻を告げる狼煙のように。



「まずいっ、サイラス!」


「……『追風テイルウィンド』」



 戦闘以外に術式を使うのはあまり好ましくないが……今は緊急事態だ。追いついた時に手遅れでした、では何ともならない。


 2人は遠吠えを追い、枝が顔を引っ掻くのも構わず駆けだす。

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