第1章 幻との邂逅

1-1 2人の出会ったその理由

「――これまでに害獣や魔物の討伐経験はなし。扱える『幻素エレメント』は光、得意な術式は『閃光フラッシュ』……っと。はい、これでギルドへの登録は完了です」



 受付嬢のフィーナ・オーデインは書類に書き込む手を一旦止め、鈍く光るアクセサリーを笑顔と共に差し出す。対照的に顔を強張らせているのは、たった今ギルドに『幻導士エレメンター』としての登録を申請してきた少女。


 名をシェラ・グレイブニル。ギルド酒場の前にある武具屋で購入したらしきローブが、初々しく華奢な体を覆っている。淡い金髪を肩甲骨辺りまで伸ばし、白磁のように透き通る肌に大きな群青色の瞳。あと5年もすれば……いや今のままでも好色家に売れば相当の高値がつくだろうが、彼女は幻導士エレメンターで生計を立てることを望んだようだ。


 とはいえ酒場を見渡せば、女性の幻導士も珍しくはない。家柄も血統も関係なく、力量さえあれば多額の報酬を得られるようになるこの業界には、男女問わず多くの若者が飛び込んでくる。



「こちらは階級票、ギルド所属の幻導士である証明です。常に身に着けておいてくださいね。なくしちゃダメですよ?」


「あ、ありがとうございます。がんばります!」



 震える手でカウンターから階級票を受け取ったシェラに、ほんのりと笑顔が咲く。薄い金属製の板に彫られたギルドの紋章を見て、幻導士になった実感が沸いたのだろう。ギルドの受付嬢として、その反応は何となく嬉しくなるものだった。



「最初は1番下の階級『緑青』からのスタートですが、実績を認められると『青銅』、『真鍮』、『錬鉄Ⅰ→Ⅱ→Ⅲ』、『赤銅』、『麗銀』、『黄金』、『白金』……そして最上位の『黒金剛』と階級が上がります。昇格にはクエストのクリア実績だけでなく、地域住民からの評判など、人格面の評価も大きく関わってきます。白金以上となると、歴史に名を刻む勇者ですから、現実的な最高位は黄金までですね」


「は~…」



 呆けた声を出して中空を見つめるシェラを、フィーナは勇気づける。いきなり階級のことなど考えさせても仕方がない。



「大丈夫! 最初は殆どの人が『緑青』から始まるんです。まずは探し物や採集の依頼を受注して、フィールドに慣れることをおすすめしますよ」


「そ、そうします」


「あなたの幸運と、幻導士としての成功を祈っています。分からないことがあれば、聞きに来てくださいね」


「は、はいっ。ありがとうございました!」



 こくんと頷き、シェラはカウンターに背を向ける。酒場の雰囲気に呑まれて、おっかなびっくりクエストボードへと近づくその姿を、これからもカウンターから見られることを祈りつつ。フィーナはギルドに寄せられている依頼に目を落とした。


 幻導士の大原則は「自己責任」。


 なるのも辞めるのも自由だし、受ける依頼も自分の勝手だ。誰も文句を言ってこないから、自分で正しい判断ができない者――特に新人は容易く窮地に陥り、初陣で命を落とすことも多い。


 フィーナはこの実情を何とかできないか、と考えていた。



 「もしシェラさんがあまりにも迷っているようなら、こちらから働きかけないと。……新人に自己責任なんて、ただのギルドの無責任です」



害獣討伐:フォレストベア

『村に大きな熊が出て、家畜も人もなく襲われた。このままじゃ皆喰われちまう』



捜索:採集道具

『山菜を取りに行ったらゴブリンに出くわしてね。逃げた拍子に採集道具を落としてしまったんだが、おっかなくて森へ入れないよ。取りに行ってほしい』



害獣討伐:ジャイアントクロウ

『あのカラスどもに鶏を襲われ続けて、もう商売にならん!何とかしてくれ』



捜索:ペット

『うちで飼っている猫がいなくなってしまったの。きっと森の中で迷子になっているんだわ。探してもらえないかしら』



 などなど。最下級「緑青」の幻導士には、地域住民のよろず屋のような仕事しか来ない。



「今シェラさんに斡旋できるのは……討伐依頼は荷が重いだろうし……」


「ねえ、この依頼を受けても……ちょっと?」



 不意にフィーナは声を掛けられ……いや、相手は先ほどからカウンターの真正面に立っていたようだ。新人のことを考えるあまり、目の前の人物に気が付かなかったとは。



「あ、と。失礼しました。何でしょう?」


「この依頼、受けても大丈夫?」



 そう言って依頼書をカウンターに置いたのは、先ほどのシェラよりやや年上に見える幻導士だった。桃色の艶髪を後ろで束ね、鉢金で前髪を持ち上げている。ぷにっと突けば心地よさそうな頬に、黒地に金色をあしらった小洒落た防具。一瞬、金持ち令嬢の道楽かと思ったが、装備についた細かな古傷が生半可な幻導士ではないと主張していた。


 そんな彼女の受けようとしている依頼は、



「……集落付近に住み着いた、フォレストウルフの群れの討伐ですね。失礼ですが、階級票の提示をお願いします」


「ここのじゃないけど、はい。名前は、テレザ・ナハトイェン」



 そう言ってフィーナに見せられたのは、ここより王都に近い位置にあるギルドの紋章が彫られた階級票だった。


 明確にルールとして定められてはいないが、基本的に幻導士は所属するギルドで依頼を受けるものだ。わざわざ田舎に来て依頼を受ける理由は何だ?


 というフィーナの素朴な疑問は、次の衝撃で決定的に深まることになる。



「扱える幻素は炎。得意な術式は『熱杭ヒートパイク』、階級……麗銀!?」


「まだ昇格したてよ。麗銀としては何もしてないわ」



 麗銀級。ギルドが授与できる最高位(黄金級以上は国王から授与される)であり、一握りの猛者だけが名乗ることを許される階級である。



「いえ、上がったばかりとかそういう話ではなく……赤銅級以上への昇格は、錬鉄級までとはわけが違うんです」


「もちろん知ってるわ。錬鉄Ⅲ級までスイスイ上がって、そのまま赤銅級に上がれず現役を終える幻導士エレメンターも多いってね」



 そりゃそうでしょ、と語るテレザの年齢はどう高く見積もっても20代の半ばに届くまい。この若さで麗銀級に昇格するとは、一体何をしてきたのか。



「過去の討伐歴を伺っても……?」


「麗銀に上がる前、最後に狩ったのはハイオークね。その前はウォーグリズリー」



 ハイオークは、屈強なオークの中でも他の生物と交雑していない純血のオークを指す。その剛力に加え、知能も人語を解するほど高く、オークの群れを統率して略奪行為を働く個体も存在する。


 ウォーグリズリーも通常の野生動物であるフォレストベアとは異なる、魔物の一種だ。雑食で慎重な性質のフォレストベアに対し、完全な肉食で獰猛そのもの。さらに1度人間の肉を食べると、執拗に人間ばかりを狙う危険な性質も持つ。



「どちらも大物と言って差し支えないですね。人里に出現したら甚大な被害が出ることも多い……少し、お待ちくださいね」



 フカシにしては、テレザの答えは変に格好つけたりもせず、あまりに自然体だ。裏を取ろうとフィーナは、ギルドに溜め込まれている資料を漁った。



「……あった! 集落をウォーグリズリーが襲撃。集落の住民6名が死亡、8名が重傷。赤銅1名、麗銀2名がこれを討伐。ハイオークは……これですか? 山村にハイオーク率いるオーク、総勢8体が出現。赤銅1名が重傷を負うも、ハイオークの討伐に成功。群れも撤退し、人的被害なし」


「そうそう、その重傷を負った赤銅が私よ。単独での討伐が評価されて昇格したの。まあ、ギルドに登録する前から幻導士の真似事みたいなことをしてて、錬鉄Ⅱ級からスタートできたのが1番大きいけど」


「なるほど。ギルド登録前であっても、実績を証明するものがあれば、相応に昇格した幻導士としてスタートできますからね……それでも異常な昇格ペースですが」



 早すぎる昇格にも、これで一応説明がついた。しかし、フィーナは資料にあった負傷という言葉が気にかかる。



「ハイオークを単独で……戦闘力は申し分ないと思います。負傷してから2週間ほどしか経っていないですが……具合は?」


「バッチリとはいかないけど、もう傷は塞がってる。動いて大丈夫ってギルドの医者には言われたわ。リハビリがてら軽い依頼を受けようと思ったんだけど、麗銀に簡単な依頼を取られるのは困るって向こうでは言われちゃってね」


「それでこのギルドまで来た、と」



 そこは完治まで大人しく休んでおけばよかったのでは。と思わずにはいられないが、そういうことなら……フィーナに1つの考えが浮かぶ。



「えーっと。その依頼、階級的に問題はないのですけれど」


「……何か他に受けてほしいのがあるってことね?」


「はい。実は、先ほどギルドに登録したばっかりの新人さんがいるんです。あなたのリハビリがてら、その子に付いて、指導をしてもらえないでしょうか」



 麗銀級ならば戦闘力、人格的にも問題はないだろう。しかも現在は完調ではなく、彼女宛の依頼も来ない。新人を指導してもらうまたとない好機、逃す手はない。



「構わないけど……教えられることがあるかは分からないわよ。他人に教えた経験はないし」


「フィールドに慣れるまで、一緒にいてくれるだけでも大丈夫ですから。丁度あの子ですよ。今依頼書を取ってこっちに歩い……て、きたところを酔っぱらいに絡まれて泣きそうになってる子です」


「あー……うん。分かった。とりあえず、生きて帰せるように努力するわ」



 優しい目になったテレザはフィーナにヒラヒラ手を振ると、シェラの元へと歩いていく。



「お取込み中失礼します」



 努めて穏便に済ませようと、テレザは全力で拳を振りかぶった。



「ぐおっ!?」


「ごはぁ!!」



 これはテレザの丁寧な挨拶を受けた酔っぱらいのリアクション。説得は成功、彼らは大人しく床に伸びてくれた。



「ぴゃあーっ!」



 これは目の前で繰り広げられたバイオレンスに対するシェラの奇声……悲鳴。



「あなたがさっき登録したっていう新人の……シェラさんね? 受付嬢のフィーナさんから、あなたを助けてあげて欲しいって言われたの。よろしく」


「え……? あ、はい。……え?」



 呆気にとられるシェラの手を引いて、テレザはカウンターに戻ってきた。椅子やらが転がる音に周囲が振り向いたが、酔っぱらいも喧嘩沙汰もここでは日常。「ああ、もう終わったのか」と、誰もそれ以上気にすることはない。



「パーティ人数、階級、依頼内容。この3つをカウンターで確認するのよ」


「ふぁ、はい。え、えと……2人パーティ。階級は、緑青と……麗銀!?」


「ええ。びっくりしますよね、分かります。ですが、階級の高い人に付いてもらった方が安全かと思いまして」


「は、はい。そうですね……でも、麗銀級かぁ……」



 テレザの何とも言えない表情をよそに、シェラは依頼書をカウンターに置く。幻導士としての第一歩を踏み出す彼女の表情は、未知への期待と緊張がない交ぜになり、引きつった笑顔になっていた。



「依頼内容は……モリキノコの採集、です」



 アドバイス通り森での経験を安全に積める依頼を受けてきたことに安堵し、フィーナは依頼内容を検める。



「依頼は、ここから1番近い牧場から。牧場周辺の森林でキノコを採集することが目的。危険生物も、特に確認されていませんね。受注を承認します」


「では……行ってきます」


「はい。お気をつけて!」

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