1-2 初の依頼、緊張と異変
「ふぅぇ~……」
昼ごはんには、一般にまだ少し早い頃。
早めの腹ごしらえと装備の確認を済ませ、シェラとテレザの2人は依頼主の牧場を目指して馬車に乗り込んだ。詰めればあと8人ほどは座れそうなゆったりした座席、天井は綺麗に手入れされた幌。
駆け出しのシェラにはあまりに不釣り合いで、乗り込むときに浴びた周囲の視線たるやそれだけで疲労のため息が漏れるほどだった。
「近くに私がいるんだから、堂々としてりゃいいのに」
この馬車を所望したテレザはそう言って笑っているが、昨日まで農家の娘だった少女にそんな胆力が備わっているはずもなく。
「そうは言っても。駆け出しの中で、私だけこんな良い物に乗せてもらって良いんでしょうか……」
「良いのよ。そもそも、
「え? えーと……」
テレザにそうやって同意を求められても、安易にそうですねとか、それはどうなんでしょう、と言えるほどの
「ま、制度は制度だし? ありがたく使わせてもらいましょ」
元々答えを求めてもいなかったのか、テレザはそう言って会話を打ち切る。だが沈黙は沈黙で居心地が悪いようだ。幌をちらっと見上げ、すぐに次の話題を振ってきた。
「……この分だと、牧場に着くのは昼過ぎね。到着したら何をするか、覚えてる?」
出発前にテレザがシェラに教えた、
「えーと、まずは依頼主さんに挨拶をして。それから森に入る前に、痕跡のチェックを」
危険生物がいないという情報も、あくまで依頼が来た時点での話。生物は常に移動している。現地での確認を怠ると、あっさり死ぬことになる。
「よろしい。……それじゃ、折角良い馬車に乗れたし。私は寝るわ」
テレザは満足げに頷くと、足の装備類を外し始めた。あまりにテキパキとした動きに、シェラは目を丸くする。てっきり馬車の中でも、色々教えてくれるものだと思っていた。
「え? 寝ちゃうんですか?」
「いつ何が起こるか分からないもの。休めるときに休んどくのは幻導士の鉄則よ」
このまま現地に着いてしまったら、森に入るまでそう時間はない。森に入るまでのことは教わったが、森の中で注意することは、まだ教わっていない。それを不安に感じるシェラに、テレザはあくまでものんびりと答えた。
「それは、森に入るときに教えるわ。そもそも、最初から全部教えても、上手くいかないだろうしねー……ふわぁ」
テレザの口からいよいよ大きなあくびが飛び出す。そのまま座席に足まで乗せて横になり、シェラの向かい側を丸々占領してしまった。当然、素足もインナーも丸出しで。少々どころではなく眉をひそめたくなる光景である。女子力的に。
だがシェラの視線は、別の意味でテレザの足に釘付けになっていた。
「……やっぱり、逞しいんだなあ」
多くの野山を駆けてきたであろうそれはスラリとしなやかに伸び、だが頼りない印象は皆無だ。むしろ、余計な装飾を排した刀剣のような機能美すら感じさせる。
「……」
一方、とシェラはローブを端折って自らの足を見つめる。農作業の手伝いをしてはいたものの、鍬を振るって耕すような重労働の経験は少ない。同年代と比べて背丈は小さく、手足も細い。これを取り柄に稼ぐ道もあるにはあったと思うが……
と物思いに耽っていたシェラ。何やら視線を感じて顔を上げると――
「うわーほっそ。色も真っ白……羨ましいわー」
「ぴゃぁああ! な、なっ何見てるんですか!」
いつの間にか目を開いたテレザが、シェラの足を食い入るように見つめていた。シェラが悲鳴をあげてローブを戻すと、テレザは拗ねたように露骨に唇を尖らせる。
「ちぇー。タダじゃダメか……。じゃあ、はいっ」
そしてテレザはおもむろに銀貨を取り出し、「これで見せてくれるでしょ?」と言わんばかりのどや顔で渡してくる。
そういう話じゃない――! シェラは叫んだ。
「お金を出しても見せませんからね!? というか、起きてたんですか!?」
「目が覚めたのは、あなたが私の足を舐め回すように見てた辺りね」
「最初から全部じゃないですかー!」
どうやらテレザは横になって目を閉じただけで、別に寝てはいなかったらしい。
「そりゃ、あんな熱い視線を送られたら寝れないし。しかもいきなりローブをたくしあげるし……」
「う゛っ……」
認めたくはないが、確かに妙な行動をしていたのはシェラも同じであった。思い返すと恥ずかしさが押し寄せ、真夏でもないのに一気に顔が熱くなる。
顔を手で覆って俯いたシェラに対し、テレザは苦笑しつつ落ち着かせる言葉をかける。
「ま、初めての依頼だからね。ましてや麗銀級の
テレザがそう言うと、まだ頬に赤みの残るシェラが指の間から瞳を覗かせる。その仕草を見れば見るほど、荒くれ者の多い
「……その、何て言うか心がふわふわして、落ち着かないです。この先
シェラが発したぼやき、それに隠された心理をテレザは何となくだが感じ取っていた。
「それは、私と比べてるからじゃない?」
「――!」
シェラの顔が手のひらを飛び出し、テレザと目が合う。どうやら指摘は正鵠を射たようだ。テレザとシェラはそこまで歳も離れていないため、つい比べてしまったのだろう。
だがそれは誤りだと、テレザは言い聞かせる。
「私はね、10歳になる前から、地元で幻導士まがいのことをしてたの。だから約10年、幻導士としてキャリアがある」
シェラは頭の中で計算し、テレザは人生の半分以上を幻導士として過ごしてきた、という事実に行き着く。
それはつまり、今日幻導士を始めたシェラと比較できるところなどない、ということで。
「色々と、私は特殊なのよ。シェラにはシェラの道がある。そしてそれを見定めるには、今はとにかく経験を積むことよ」
そもそも比べること自体がナンセンスだ、とテレザも主張した。
「そうなんですね……。うん、そうですね」
シェラは納得したように、何度も頷く。
「もう、開き直っちゃいます。今の私は、誰と比べることもできない駆け出しですから。今できること、やるべきことに、集中したいと思います。依頼をこなしていけば、テレザさんまでとはいきませんが、皆に認めてもらえるでしょうから」
「それが良いわ。じゃ、私は本当に寝るから」
シェラを笑顔で肯定すると、テレザは再度横になり、今度こそスピーと寝息が立ち始めた。
シェラは思い直す。そう、今から遥か上を見る必要などない。大事なのは幻導士としての土台、基礎的な実力をしっかり固めることだ。シェラは荷物の中から、
緊張、そして突然現れたテレザを注視するあまり今しがたまで存在を忘れていた。
「私はちょっと、勉強しよう」
「熱心じゃない」
「さっきの寝息は何だったんですか!?」
起きていた。いや起きたのか? テレザが再びシェラを跳びあがらせる。
「妙な物音がしたから。ページをめくる音だったのね」
「分かるんですか……?」
「何かあったら飛び起きちゃうの、職業病よ。ごめんなさいね、びっくりさせちゃって」
そう言って、テレザは再び寝息を立て始めた。……これで休まるのだろうか。
かくして、馬車は牧場へと到着した。
「やや、ありがてぇ! こんな美人2人、しかも片方は麗銀級の幻導士様とは!」
「いえ、麗銀とはいえ上がったばかりですから」
「素人でも、その若さで上がるのは異例だって分かりますぜ。不老長寿の
牧場主のいる小屋を訪ねると、恰幅の良い初老の男が、朗らかに2人を歓迎してくれた。が、集落の近況を語り始めるとその表情がみるみる曇る。
「……しっかし、最近の森は物騒で。ちょっと前までモリキノコを採りに行くなんざ朝飯前だったんですが。やれ狼に襲われただのゴブリンに出くわしただの、今じゃすっかり腰が引けちまって。隣の村では熊に襲われたとかで、エラい騒ぎになってます」
テレザが牧場主の心情を慮るように、うんうんと頷く。
「大変ですね……。ここ最近、各地で動物による被害が増えてるみたいです。魔物に本来の生息地を追われて、この地域に流れてきてるのかも」
「へぇ、そんなことが。こりゃしばらくは
小屋の中へと案内される。使われている材木はさして上等ではないが、人の手で建てられた温かみがあり、シェラには懐かしく思えるものだ。壁には牧場主が仕留めたものと思しき、フォレストディアの頭が剥製として飾られている。
「お待たせいたしました。平凡なコーヒーと、当牧場自慢のチーズでございます」
何となく視線の置き場に困ったシェラがその立派な角に見入っていると、牧場主がウェイターよろしくお盆を運んできた。そこに乗っているのはコーヒーと、ところどころに黒い粒の混じった白い塊。独特の匂いが鼻を刺激する。
牧場主はお盆から皿やカップを下ろしながら、そうそう、とシェラに尋ねた。
「持ってきておいてなんですが……シェラさんはまだ可愛らしいし、紅茶とクッキーの方が良かったですかな?」
「い、いえ! コーヒーもチーズも飲めます、お構いなく」
「……飲む? チーズを?」
「あっ」
緊張から意味不明な返しをしてしまう。訂正しようにも焦るシェラの唇は上滑りを繰り返し、会話が渋滞しかけた。
そんな様子を見かねたか、テレザがやや芝居がかった様子で牧場主に絡む。
「ちょっと牧場主さん? 『シェラはまだ』って、私はもう年増で可愛らしくないと?」
「もう、やめてくださいよぉ。テレザさんみてぇな方は美人だって言うんです!」
乗っかってくれた。おどけた笑いでテレザをとりなしながら、牧場主は2人の向かいに座る。まだ熱いうちにコーヒーを一口飲むと、香ばしさと苦みが喉を通り抜ける。チーズは牧場主自らが自慢するだけあり、甘みの中に絶妙な酸味が混じり、一口食べたら止まらない絶品。
世間話に興じているうちに、みるみるチーズはなくなっていった。
「ここのは初めて食べたけど、すごく美味しかったです。お土産に欲しいくらい」
「いやぁ、ありがたい。生産者冥利に尽きるってもんです」
テレザが手放しで絶賛し、牧場主が照れながら頭を掻く。この牧場の規模的に数が出ないのが惜しい、テレザに本気でそう思わせる味だった。シェラも美味で緊張がほぐれたか、いつの間にか笑顔が覗いている。
「んじゃ、仕事の話をしましょう」
満足そうに頷いていた牧場主が息を吐くと、顔が一気に真剣になる。来客には見せないだけで、生活は意外と切羽詰まっているのかもしれない。テレザが笑顔を引っ込め、シェラも慌てて姿勢を正す。
「自分が知っているモリキノコの採集場所と……余計な世話かもしれませんが、森の中の注意を」
牧場主から森の情報を教わり、2人は牧場から森へ向けて歩き出す。
「お気をつけて! チーズの仕込みしながら待ってますよ。どうか、ご無事で」
わざわざ小屋の外まで見送ってくれた牧場主の言葉に、
「チーズ、ありったけお願いします」
テレザは涼やかな、しかし引き締まった笑顔で。
「い、行ってきます!」
シェラは余裕がないなりに、精一杯大きな声で応えた。
牧場の敷地を出ると、テレザの表情も流石に変わる。油断なく辺りを見回し、物音や匂いにも神経を研ぎ澄ます。そうして安全だと判断すると、シェラに問いかけた。
「さ。いよいよ、お仕事本番よ。まず最初は?」
再度、テレザから基本を確認される。
「痕跡の確認、ですね」
「そう。ジグザグに歩きながら、足跡や糞を探すの」
テレザが実際に歩き始め、地面で気になったものを1つずつ確認する。シェラもそれを真似て、2人は慎重に森へと近づいて行った。
シェラたちが森に入る頃、ギルドの酒場にて。
「は、早くっ、医者を!!」
屈強な男の
フォレストベアの討伐に赴いた錬鉄Ⅰ級の4人パーティなのだが、ギルドに来たのは3人だけ。腕の中の女の肌は蝋のように白く、左のわき腹は分厚く鋭い何かで力任せに切り裂かれたようで、止血に使った布をしとどに濡らすほどの出血が見られる。
周囲騒然とする中、クエスト受注カウンターの奥から
「貸しな!」
容体を一目見て、医者は白衣が鮮血で染まるのも構わず女をひったくった。
「……こりゃひどいね。ここにあんたらの仕事はない、受付の嬢ちゃんの所に行きな。何があったか、報告する義務があるだろう」
言葉使いは医者と思えないが、その声音にトゲはない。
「あっ……ああ! 頼むぜ、ノラさん」
屈強な男は女を預け、眼鏡の幻導士と共に受付カウンターへと走っていく。ノラと呼ばれた医者は傷口に手を当て、治癒の術式を詠唱する。
「地に巡れる我らが神よ。穴を塞ぎ流れを堰き止め、平穏を
瞬間、彼女の足元から
が、女幻導士の出血量は既にかなりの量に達していた。脈拍も弱く、このままでは回復は厳しい。間髪入れず、次の詠唱に入る。
「地に巡れる我らが神よ。眠れる大熱を目覚めさせ、地に溢れさせたまえ――『
ドクンッ!
幻素が女幻導士の体内で強心作用を発揮し、女幻導士の身体が跳ねた。
弱っていた心臓の鼓動が回復し、止血効果と相まって女幻導士の容体を此岸へと引き戻す。ヒュー、ヒューと細く、今にも途切れそうだった呼吸音が止み、代わりに咳と独り言が漏れる。
「カハッ……ごほっごほっ。い、生きてる……?」
意識が戻った証拠だ。おおーっと周囲から喝采が上がったが、ノラは誇るでもなく指示を飛ばす。
「ええい、重傷者の周りで騒ぐんじゃないよバカども。この子に飲ませるから、薄めの塩水を誰か作ってきなっ。……酒じゃないよこのバカ!」
一方。女幻導士をノラに託した2人は、ギルドの奥でフィーナに事情を説明していた。まずはパーティのリーダーである、屈強な男が依頼の経過を説明する。リーダーとして話さなければという責任感と、パーティを半壊させられた恐怖の狭間で、彼の顔は今にも崩壊しそうに歪む。
「俺達はフォレストベアの討伐依頼を受注し、すぐに出発した。フォレストベアは以前にも討伐した経験があったし、今回もいつもと同じパーティだった」
フィーナは半ば答えを察しつつ、それでもリーダーに尋ねる。
「4人で受注されてましたよね。もう1人は……?」
感情を押しとどめてた堰が、この一言をきっかけに崩壊し始める。リーダーの声が湿り、かすれた。
「1人は、気絶させられて、森へ引きずられて……ッ」
「……そうですか。でしたら、急ぎ救援を送らなければいけません。何があったか、教えていただけますか」
我ながらずいぶんと酷なことを頼んでいるな、とフィーナは思う。しかし、これ以上の被害を出さないためには彼らの情報が不可欠なのだ。
そう心を押し殺して質問を続けていると、
「……あれは、フォレストベアじゃなかった」
リーダーから予想外の言葉が聞こえた。
「フォレストベアじゃなかった?」
思わずオウム返ししてしまうフィーナ。リーダーの証言は続く。
「大きさも体色も、フォレストベアに近かった。だが、あのパワーとスピードは絶対にウォーグリズリーのものだ」
決定的な情報を受け、フィーナの血相が変わる。
「
フォレストベアとウォーグリズリーの交雑種、
元々討伐の目安としては、フォレストベアは青銅から真鍮級が3名、ウォーグリズリーは赤銅級が3名とされている。
フォレストベアを討伐できたら一人前、ウォーグリズリーを討伐で一流の
「交雑熊の実力はウォーグリズリーよりも劣りますが、フォレストベアよりははるかに強い。錬鉄Ⅲ級が4名以上、というところでしょう」
フィーナが資料から実力を推定すると、今まで無言だった眼鏡の幻導士が我慢できなくなったというように、その拳を机に叩きつけた。
「爪の長い足跡に、遠目に見ても太い手足。今思えば、違和感はあったはずなんです。なのに、何もしなかった……僕の責任だ……ッ!」
どうやら彼は、
「自分を責めないでください。今は一刻も早く、交雑熊を討伐することこそが重要です。どこで交戦し、その後どこへ向かったかが分かれば、これ以上被害を出さずに済みます」
フィーナはその様子に心を痛めつつ、少しでも冷静にさせるような言葉を選ぶ。仲間よりも今後を考えさせれば、より多くの情報が出てくるかもしれない。
受付嬢になる時、いつかこうした事態に直面するとギルドマスターから言われた。地域の安全のために、失意の底に沈む人間からも情報を聞き出さなければならないと。その時が、今だ。
そんなフィーナの胸の内なぞ知らないだろうが、眼鏡の幻導士の目に少し力が戻る。大きく息をつき、頭を整理した彼はゆっくりと話す。
「えっと……村から、東に外れた森の中で遭遇したんです。顔に傷を負わせましたが、パーティは壊滅。交雑熊は1人を咥えて、森の中を、さらに東へ消えていきました」
フィーナは地図を広げる。依頼を出した村に丸を打ち、そこから証言に従い、東へと矢印を引っ張る。
「東へ……この方角で、交雑熊が足を止めそうな場所は……」
「ここだと思う」
フィーナが地図を見渡していると、リーダーがある地点を指差した。その目は赤く腫れているものの、せめてこれ以上の犠牲は出させまいとする決意が見て取れた。
「依頼地からそう遠くない、モリキノコの群生地だ。奴は傷を負っている、開けて平らな場所で休息する可能性が高い」
リーダーの予測にフィーナは努めて感情を抑え、マニュアル通りの答えを返した。
「……っ。分かりました。すぐに討伐隊の手配をします」
リーダーの男は頭を下げ、静かに言った。
「……仇を、よろしく頼む」
「はい。できる限り高位の幻導士に依頼を出します!」
フィーナは内心焦りつつ、他のギルド職員に情報を共有する。
まずい。
モリキノコの群生地には現在、駆け出しのシェラと、手負いのテレザが向かっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます