6-3 焦がれ憧れ、勝負はもつれ

 それは20年ほど前。とある小さな村。



「どうした、そんなヤワでは幻導士エレメンターにはなれんぞ!」



 地面に這いつくばった少年に、厳しい声が飛ぶ。とうに体力は限界を迎え、激しく運動しているのに冷たい汗を背中にかいていた。とはいえ稽古中はいつものこと。無理矢理に視線を上げると、白く眩しい、太陽のような輝きがこちらを見下ろしていた。


 ――憎たらしい。


 その一心で立ち上がり、盾と槍を構える。相手も半身になって盾をこちらに向け、剣を体の後ろに溜めた。

 絶対に一撃入れてやる。



「おぉっ!」



 棒になった足に鞭打って突進し、顔目掛けて突きを繰り出す。向こうは剣だ、リーチでは少年が有利に立てる。ガッと音がして、相手の盾が攻撃を阻む。間髪入れずに放つ下段突きはサイドステップに空を切る。そのまま側面に回り込まれたが、ここまで読み通りだ。


 相手が反撃に転じようと剣を振りかぶる瞬間を待ち、素早く反転。



「せぁッ!」


「――っ!」



 渾身の力で胸を狙った。もう盾で受けたり、打ち合うような体力は残ってない。この一撃で決める!


 極限に達した疲労、相手に抱く情念、己が全てを込めた穂先は淀みなく相手へと吸い込まれ、派手な飛沫を上げた。



「がっ……!」



 しかし、苦悶に喘いだのは少年の方だ。胸に突き立てるつもりだった穂先は薄い水のベールに衝突して届かず、代わりに相手の剣が少年の肩口を打ち据えていた。刃を潰してあるとはいえ、あの勢いで振り下ろされれば骨折してもおかしくない。

 幸い打撲で済んでいる、と打たれた箇所の痛みから推察する。敗北に慣れ切ってしまっているようで自慢はできないが。



「ここまでにしよう。反省を忘れるなよ」



 相手が稽古の終了を宣言する。痛みと敗北感で立ち上がれないまま、精一杯の負け惜しみをぶつける。



「……幻素エレメント使って良いなんて聞いてねえぞ」


「武器への付加術エンチャントは互いに使っているだろう。あの程度の防御を破れなかった貴様の未熟だ」


「ぐっ。くそっ……」



 少年が悪態を最後に黙ったのを見て、相手はさっさと家の中へと姿を消した。空を見上げ、悔しさを噛みしめる。あいつはいつも強く、美しく、そして正しい。


 同じ家に生まれた姉と弟で、どうしてこうも差があるのか。あいつに負けていないのは、せいぜい背丈くらいだろう。そんな卑屈な感情しか浮かんでこない自分が情けなくなり、さらなる卑屈を呼ぶ。



「何でだよ……あいつばっかり良い所持ちやがって、ずるいだろ」



 そんな少年の僻みは、人知れず夕暮れの雲に吸い込まれていった。












 それは10年と少し前。依頼を終えた酒の席。オーガスタスが、パーティを組む白い騎士、カミラを咎めるように言った。



「お前、あいつのことどうしたいんだ」


「あいつ、とは?」


「とぼけんじゃねえよ。俺が聞いてなかったとでも思ってんのか」



 依頼前にパーティに入れてほしいと言ってきた、クラレンスというカミラの弟についてだった。オーガスタスは別に構わないと思っていたのだが、彼女は取り付く島もなく断り、追い返してしまった。



「……ならば、今更聞くまでもないだろう」



 カミラの口調は、酒が入っているとは思えないほど冷たい。それに反比例するように、オーガスタスの語気が熱を帯びる。



「お前には及ばないかもしれねえが、あいつも腕は上げてる。パーティに入れてやるくらい――」


「ダメだ。私から一本でも取ると、そういう条件だ。それには届いていなかった」


「……でも、あの言い方はねえだろ。『お前は必要ない』なんて、弟に使う言葉じゃねえぞ」


「私なりにあいつを思いやって突き放している。それともあいつが半端な腕で依頼に赴いて死ぬのを、私は黙って見ていれば良いのか?」



 あくまでも弟のためだ、というスタンスを崩さない女騎士に、大男が務めて声を抑えて囁いた。



「……お前が思いやってるのは弟じゃなく、『弟が死んで悲しむ自分』なんじゃねえのか?」


「何だと?」



 聞き捨てならない言葉に、カミラの眉が跳ね上がる。その辺のゴロツキが裸足で逃げだす眼光が向けられるが、オーガスタスは怯まず続けた。



「万が一うちのパーティに入れて死なれたら、お前は自分を責めるだろう。それが怖いから、弟を前線に出させたくない。そう考えればあのひでえ言葉も辻褄が――――」



 音と共に、机が大きく軋んだ。近くのウェイターが何事かと振り返り、厨房へと駆けこんでいく。美しい顔を般若と変え、カミラが卓上に拳を振り下ろしていた。



「黙って聞いていれば……!」


「何だよ、図星だったのか?」



 オーガスタスも引かず、正しく一触即発となる。そんな両者の鼻先に、風で巻き上げられたスープの飛沫が散る。



「うぉっ」


「むっ」



 2人して風の出所を見やると、やせぎすの男が座っている。このサイラスも、2人のパーティメンバーだ。だから最初からずっと席にはいたのだが、その存在感の薄さはともすれば反対側が透けて見えるのではないかと思えるほど。とんがり帽を目深に被っていて表情は読めないが、2人のやり取りを聞いていて、これ以上はやめろと言いたいのだろう。

 確かにここはギルドの酒場ではなく、一般の農民も利用する大衆酒場だ。既に周囲からは迷惑そうな視線が向けられている。



「……悪かった」


「私もだ。つい熱くなってしまったな」



 2人とも20代半ばを過ぎたいい大人だ、冷静になって反省する。



「けどよ。あいつのことが心配なら、きちんと言ってやらねえと歪んだままだぞ」


「分かっている、分かっているさ」



 再び溢れそうになる感情を押し流すように、酒を呷る。



「私だって、クラレンスに対して悪いと思ったことは何度となくある。だがその度、これが弟を守る道なのだと自分に言い聞かせてきたんだ……。今更、何と言ってやれば良い――」



 だが酒はカミラが心に纏っていた鎧を洗い流し、隠していた本音を露わにしたのだった。











 そして現在。


 クラン・セイベレー……本名をクラレンス・スウォードナイトは、闘技台リング上でオーガスタスを見据える。向こうがどう思っているかは知らないが、こちらには倒すべき理由がある。名を偽って知り合いだと分からなくしたのは、万が一にも戦う前に正体がばれ、妙な情が入らないようにするためだ。



「……この日のために、俺は」



 対するオーガスタスは、クラレンスのことをまさか知り合いだとは思っていない。名も違ううえに、雰囲気も装備も昔とは様変わりしている。最後に会ったのが10年以上も前では、いくら幼馴染の弟といえども気づかない。

 が、その視線に込められた並みならぬ感情には気づいていた。



「何者なんだ……?」



 その呟きは、開戦を告げる大歓声にかき消された。



「『巡風ワンダーウィンド』」



 クラレンスが風を纏って吶喊する。選考会で見せた盾殴りシールドバッシュで、先手を取りに来た。今は何者かなどどうでも良い、とオーガスタスも戦鎚バトルメイスを振るって応戦し、ぶつかり合う。



「くっ!」



 が、立ち遅れた分体勢が悪い。クラレンスが盾を大きく振り切ると、オーガスタスは数メートルも後退させられた。押し合いを制したクラレンスに、観客席から驚きと賞賛のどよめきが沸き起こる。


 猛攻は止まらない。重装備とは思えぬ機動力でオーガスタスに追いすがり、鋭い突きを連発する。こうした槍使いを相手取る際には突きの引き際に合わせて間合いを潰すのが正道だが、突きをかわすのに手一杯でそれどころではない。

 しかしながら防戦一方のオーガスタスはその槍捌きに対して脅威と同時に、どこか懐かしさも覚えていた。これほどの速度の穂先を捌けているのはその不思議な感覚のおかげでもある。そして脳裏で、埃をかぶっていた記憶と目の前の槍が繋がり始める。



「コイツ――」



 そう気づくと、攻撃パターンがだんだんと読めるようになっていく。顔を狙うと次は足を狙うことが多い。フェイントの際には踏み込んだ爪先の角度が変わる。


 何度目かの顔への突きを首を捻るだけで避け、ついに攻勢に転じる。盾で戦鎚バトルメイスを受け止めたクラレンスを、防戦の鬱憤を晴らすようなフルスイングで浮かせて戦線を押し返す。



「おっしゃあ!」


「ちぃっ」



 自らの攻撃に対応され始めたクラレンスが警戒を強め、戦況はにらみ合いで膠着する。小休止の間に、オーガスタスが語り掛けた。



「その槍捌き……クラレンス。カミラの弟か?」


「ああ。だがそれが何だ、負けてくれるのか?」


「――っ」



 クラレンスは表情1つ変えず、ぶっきらぼうに肯定した。生意気ながらも真っすぐで可愛げのあった当時の面影など、どこを探しても見つからない。戸惑いを隠せないオーガスタスに、クラレンスは言葉を重ねる。



「俺は、あの姉を超えるためにここまで生きてきた。泥を啜り砂を噛み、石に齧り付いて……だがそのどれも、姉を倒せると思えば苦ではなかったよ」


「そこまで思い詰めて……」


「何で相談しなかったんだ、とでも言いたげだな」



 先回りされ、ぐっと言葉に詰まる。



「するはずないだろう、あんたに認められたって仕方ないからな。だが、あんたを倒せばあの姉も俺を認めざるをえまい」


「……お前にとって俺は、姉を超えるための踏み台ってことか?」


「そう取ってもらって結構だ。あんたに恨みはないが……悪く思わないでくれ」



 クラレンスの目の色が変わり、観客席まで届くほどの殺気が迸る。だがオーガスタスはため息をつき、言った。



「そういう意地っ張りは、姉ちゃんによく似てるぜ」


「――」


「で、俺を踏み台だってな。そんな風に思ってちゃ勝てねえよ。……決勝で会う約束もある、負けてやるわけにはいかねえ」


「黙れ!」



 クラレンスが先ほどに倍する勢いで襲い掛かる。穂先が分裂して見えるほどの連撃をオーガスタスは器用に避け、捌いて、時折強烈な反撃を見舞う。クラレンスも素晴らしい反応でその1撃を盾で凌ぎ、攻めを繋げる。

 力と技の激突はいつ終わるとも知れず、闘技場コロセウムからはいつしか歓声が消え、2人の男の剣戟の音がその場を支配する。



「埒が明かないか――とっておきだ、受け取れ!!」



 突如クラレンスが叫び、その全身に嵐が逆巻いた。



「ぬおっ」



 風圧に思わず飛び退いたオーガスタスに、竜巻と化したクラレンスの詠唱が届く。



「天駆ける気高き神よ。遍くを薙ぎ、打倒したまえ――『暴嵐怒涛フラッドゲイル』!!」



 詠唱が終わると、俄に頭上が陰る。かき集められた膨大な風属性幻素エアロエレメントが、闘技場周辺の天候に影響を与えたのだ。その身には、自らを頑として認めぬ姉への憎しみと憧れがない交ぜになった彼の心そのまま、膨大な乱気流が渦巻いている。



「行くぞ!!」



 クラレンスが槍を突き出す。それだけで、その数倍の太さの風の穂先が射出される。それを戦鎚バトルメイスで受けたオーガスタスだが、そのままずるずると闘技場リングの端に押しやられた。



「うぉぉお!!」



 どうにか頭上に跳ね上げた時には、既に台風の本体が目の前に迫っていた。



「この状態の一撃を受けきったのは、あんたが初めてだ」



 クラレンスが盾を横殴りに振るい、オーガスタスを跳ね飛ばす。盾が当たる直前辛うじて得物を滑り込ませたが、左肩は風で浅く切り裂かれている。その後も容赦なく突きが、盾が、蹴りが繰り出される。どれも直撃は避けるが、クラレンスの纏う嵐は容赦なくオーガスタスの体に傷を刻んでいった。


 堪らず大きく距離を空けるが、



「逃がさん!」




 竜巻がオーガスタスへと追いすがり、地面からその巨体を巻き上げようとする。転がって逃れた先に回り込み、槍を突き込む。戦鎚バトルメイスにぶち当たったのは偶然か、それともまだ狙って防御できているのか。


 クラレンスの振るう力は、オーガスタスですら強風で転がっていく小石のように見えるほどだった。


 気が付けば、オーガスタスから滴る汗に朱が混じっている。息は荒く浅く、限界が近い。クラレンスが視線は鋭いまま、皮肉交じりに賞賛を投げる。



「よく逃げるな、その図体で」


「……言っただろ、負けてやれねえって」


「強がるなよ。もうこの試合は俺の物だ、お前に打つ手はない」


「……お前こそ、強がりはよせ……晴れてきてるぜ」


「――」



 オーガスタスが指摘した通り、いつの間にか闘技場コロセウムを覆っていた雲は晴れ、元通り日差しが眩しく降り注いでいた。クラレンスの頬に一筋の汗が光る。まさかこの男……。



「ああ。最初から、俺の狙いはお前のガス欠だよ」



 クラレンスの力は絶大な分、消耗も激しい。オーガスタスは嵐から逃げ回りつつ、じっくりと力が弱まるのを待っていたようだ。



「姑息な……」


「俺だってこんな戦法を取りたくはなかったが、あの嵐はお手上げだぜ。だから、俺のターンになるまでどうにか耐えることにしたのさ」



 オーガスタスの言葉に、戦鎚バトルメイス。どよめきが観客席を走り抜け、クラレンスもまた目を疑った。オーガスタスはそれに構わず、詠唱する。



「鋭き武神よ。鍛え延ばせよ固め丸めよ、数多の武具を与えたまえ――『流転神器ブリューナク』!」



 詠唱の間にも戦鎚の形は崩れていき、やがて巨大な斧と穂先を持つ斧槍ハルバードとなる。金属性元素メタルエレメントで武器に干渉し、形状そのものを作り変えた……と思われる。



「何あれ。どうやってるの?」


「分からん。すげえ技術だってのは分かる」



 テレザとナガラジャも、目を見開いて未知の技術に見入ってしまう。これは、ただ武器の外側を強化するのとはわけが違う。武器を構成する幻素エレメントの配列を見極め、一旦分解した後、再び精密に並べ替える。幻導士エレメンターとして一定以上の領域にある者にとっては、想像するだに頭の痛い作業だ。



「行くぜ!」



 オーガスタスが攻勢に出る。


 突き出した尖端が風を切り、クラレンスのもとまで一息に伸びる。が、クラレンスもそれは想定していた。嵐の渦巻く盾で横っ面を叩き、軌道を変える。



「ふんっ。武器が変わった程度、恐れるに足りん――『巡風ワンダーウィンド』!」



 そう言うが早いか盾を構えて急加速。消耗しているとはいえ、この速度でまともにぶち当たればただでは済まない。が、駆けだしたクラレンスの耳の裏にチリッと不穏な気配。彼が左に1歩避けるのと、斧が猛スピードで視界の端を駆けていったのはほぼ同時。


 もしもあのまま突っ込んでいたら……と寒気がするが、おくびにも出さず次の手を打つ。



「器用なことだ……ならば」



 安易に近づくのは危険と判断、竜巻をけしかけて足元から崩す!



「もう、風も止み頃だ」



 オーガスタスが発した言葉は、風が唸る中で何故かはっきりと聞こえた。否、クラレンスの操る風が、確かに力を失ってきている。その証拠にオーガスタスは、先ほど逃げ回って回避した竜巻を、武器を振り回しただけで吹き散らしてみせる。



「まだだ!」



 疲労を自覚して重くなり始めた手足を奮い立たせ、クラレンスは得意のインファイトに賭ける。オーガスタスとて、間違いなく消耗しているのだ。押せば倒せる。



「あんたを倒して、あいつに俺を認めさせるんだ!」


「やってみなあ!」



 クラレンスの気迫に破顔一笑、オーガスタスが斧槍を、今度は双剣に変えて受けて立つ。


 壮絶な打ち合いが始まった。残る力を振り絞り、クラレンスが攻める。身に纏った暴風は力を失い、今や肌を優しくなでる程度。オーガスタスは攻撃に応じて双剣の長さや形状を瞬時に細かく変える。こちらの動きは知り尽くしていると言わんばかりだった。


 それでも止まらない。止まれない。槍を持つ右手が少しずつ言うことを聞かなくなってきたが、より腰を落とすことで安定させる。


 その攻勢を受け止めながら、オーガスタスは視界を歪ませんとこみ上げる熱い雫を必死に堪えていた。打ち合って分かる、どれほどの鍛錬を積んできたか。目を見て悟る、どれほど姉の背中に焦がれてきたか。


 、こんな所で勝たせてはいけない。もしここでクラレンスがオーガスタスに勝てば、カミラも実力を認めざるをえない。直接会ってもいないのにだ。



「――そこだ!」



 連綿と続く攻防の末、ついに集中力が切れる瞬間が訪れる。僅かに戻しの遅くなったクラレンスの槍を横から叩いて姿勢を崩し、オーガスタスは双剣を頭上で重ねる。

 真夏の陽光に溶かされるように2つの剣は瞬時に融合し、見慣れた戦鎚バトルメイスへと戻った。



「『大鎚砕破グランドバスター』!」



 雄たけびと共に振り下ろされた戦鎚バトルメイスに、クラレンスが盾をかざす。しかし不完全な姿勢の防御は易々と突破され、轟音と共に吹き飛ばされた彼は観客席の壁に勢いよく叩きつけられた。余波を受けた闘技台リングにも深さ30センチほどのクレーターが穿たれ、審判が即座に試合終了を宣告する。



「そこまで!」



 激闘の決着に、観客が今大会1番の盛り上がりを見せる。鳴りやまぬ拍手の中、オーガスタスはそれに応えるより先に、壁に背を預けるクラレンスのもとへ駆け寄った。



「大丈夫か?」


「……ああ。意識は、はっきりしている」


「なら良かった。思いっきり振り下ろして、悪かったな」



 ひとたび戦いを終えれば、いたって優しく面倒見も良い。そんなオーガスタスの気遣いをよそに、クラレンスは虚ろな声で呟いた。



「俺は……負けたんだな」


「……ああ。俺の勝ちだ」


「俺は強い奴と戦うと、必ず1番大事な場面で競り負ける。小さい頃からずっとそうだ」



 新しい術式を身に付けても、何も変わっていない。そう嘆くクラレンスに、これ以上道を違えてほしくない。そんな思いでオーガスタスは助言を送る。



「……お前は、相手を見てねえんだよ」


「何? そんなことはない、俺はあんたを大会通して観察して」


「そういう話じゃねえ。お前は目の前の相手を通して、どこにいるかも分からん姉ちゃんカミラを見てる。だから勝負所で競り負けるんだ」


「――」



 反論が止んだ。カミラへの執着が、クラレンスの強さでもあり弱さでもある。カミラの背中を追い続けたから、ここまでの身体能力と技術を身に付けた。だが裏を返せば、彼の目にはカミラ以外が映っていない。体と技が伯仲した時に、その心の未熟さが勝敗を分ける差になる。



「もっと視野を広く持て。カミラからの評価を求めるなとは言わねえ。が、お前はそんな狭い価値観に収まる器じゃねえだろ」


「それは……難しいな。ずっと、姉の評価を追ってきたんだ。あんたも知ってるだろう」


「勿論知ってるさ。だけどあんな強力な術式、俺はもとより、カミラだって使えねえぞ?見たらびっくりするはずだ」



 オーガスタスがそう言ってやるとクラレンスはしばらく考え込み、やがて意を決したように聞いてきた。



「……俺は、強かったのか?」


「ああ。俺が保証してやるとも。今のお前は、カミラに勝るとも劣らない実力者だ。だから、今度真剣でぶつかってみろ。認めさせたいとか、そういうのは抜きで。1人の幻導士エレメンターとして戦え。そうすりゃ、勝手に認めてもらえるさ」


「そうか……そうか」



 クラレンスの表情が、憑き物が落ちたように穏やかになる。他人からの評価を、初めて素直に受け入れた証だ。

 観客席からは未だ歓声と拍手、指笛が鳴り響き、晴れ渡る空へと吸い込まれていく。それは勝者への祝福であり、奮戦した敗者への労いであり、様々な色でもって熱闘の余韻色濃い闘技台リングを彩っていた。



「負けて、晴れやかな気分になったのは初めてだ。ここは、こんなにも鮮やかな場所だったのだな」


「……土と砂しかねえぞ?」


「比喩だ。俺にも声援が送られていたのに、一顧だにしていなかったということのな」



 クラレンスが立ち上がり、ぎこちないながらも声援に手を振り返す。一段と大きくなった歓声に目を細める彼は、大会後、拗れに拗れた姉弟関係を清算するのだが、それはまた別の話。


 血剣宴グラディウスもいよいよ佳境、テレザとオーガスタスによる決勝を残すのみとなった。

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