第7章 魔に魅入られた者達

7-1 揺らぐ辺境、動く都

 魔竜による鉄血都市への襲撃――その知らせはノエルの放った伝書家禽レターフォウルにより、テレザ達が辺境のギルドに戻るよりなお早く王宮に届いた。

 王国の象徴たる、磨き抜かれた白い壁が支配する謁見の間にて。今まさに王へと報告が届けられている。



「……ふむ、鉄血都市が魔竜に襲撃されたと。そして、棟梁のナガラジャが重傷か」


「はい。伝書によれば、あと1か月ほどは動けぬ容体。魔竜は鉄血都市を離脱後、王国南部の森林に移動したと思われる、とのことでございます」


「相分かった。魔竜の復活か……ご苦労、下がってよいぞ」


「はっ! 失礼致します」



 奏上した騎士を鷹揚な仕草で下がらせ、凶報を受けた国王のハイクツェルペ・ロードランは、まだ蓄えの乏しい口髭を撫でる。王としては若年の彼、少しでも貫禄が出るかと思い生やし始めたのだが……妻と娘からはおおいに不評を買っている。侍女たちの噂話に耳をそば立ててみても、やはり似合ってはいないらしい。



「やはり……」



 剃るか。今なら被害も小さく済む……などというハイクツェルペの思考は、側に控えていた老齢の男に筒抜けだったようだ。その男が纏う厚地のローブは、素人が見ても分かるほど強烈な木属性幻素ウッドエレメントが編みこまれており、襟元には白金級の階級章が燦然と輝いている。含み笑いをすると、口元を覆い隠すほどに立派な髭が重々しく揺れた。



「陛下。国も髭も、1日にしてはならず、でございます。伸び揃えば、不評の声も収まるでしょうや」


「ゲーゲンス。そなたに言われると説得力というか、何と言うかだな」


「ほっほっ。この老骨、伊達に40年も髭を蓄えておりませぬ。……して、魔竜の話でしたな」



 名をゲーゲンス・リジックス。齢80を超えてなお現役の幻導士エレメンターとして王宮に仕える、国内で知らぬ者などいない実力者である。知恵袋として、何より有事の際の懐刀として、先代の国王からも全幅の信頼を寄せられていた。ハイクツェルペもまた、彼を大いに頼っている。



「うむ。そなたの見解を聞きたい。余としては、今すぐ討伐隊を差し向けたいが、どうだ?」


「魔竜となると、歴史書の中の存在。よって、ギルド所属の幻導士エレメンターだけでは対処は難しい、と愚考いたします。このゲーゲンスめ、陛下のお考えに異論はございませぬ」


「そうか。ならば急ぎ、討伐隊の陣容を考えねば。先方は戦いの様子も伝えてくれた、少しでも勝率の高い者を――」



 ハイクツェルペの言葉の続きは、乱暴に開け放たれた謁見の間の扉に吸い込まれて消える。



「やれやれ……」



 ゲーゲンスの顔が曇った。

 誰何すいかするまでもない。謁見の間を幾重にも守護する騎士達を突破できる実力を持ち、かつ実行に移す者など、王宮にいる人間にたった1人だ。

 案の定、見覚えのある鎧姿がハイクツェルペに向かって歩いてきていた。鋭角なエッジに彩られた漆黒の甲冑を身に纏う長身の男。首には黄金級の階級票がかけられている。薄茶色の瞳は階級票に勝るとも劣らぬ輝きを放ち、黒く小さな瞳孔がその中でカタカタと揺れる。たてがみのように逆立った栗色の髪と相まって、激昂した獅子を思わせる風貌だった。


 ゲーゲンスが眉間を抑え、乱入者を怒り半分呆れ半分で睨む。



「何用か、ジークフリート。陛下の御前であるぞ、良い加減に礼節を――」


「『何用か』だと? 野暮なことを聞くなゲーゲンス。決まっている、魔竜の件だ」



 ジークフリートと呼ばれた男は言葉の後半を遮り、ハイクツェルペの座す玉座に大股で近づいた。ゲーゲンスの雰囲気がいよいよ剣呑になり、流石に玉座へと続く階段で足を止める。しかし男の表情は些かも変わらない。この距離ならばゲーゲンスがどんな攻撃をしてこようと捌ける。そんな自信が見え隠れしていた。



「どこで聞いた?」



 礼を極限まで欠いているが、ジークフリートに悪意がないことはハイクツェルペとて分かっている。自儘すぎる振る舞いにも寛容に、ハイクツェルペは聞いた。



「さっき出てきた奴に、直接聞いた。随分と慌てて入っていったから、緊急事態だと思ってな。まさか魔竜とは思わなかったが」


「目ざといことだ。たった今、魔竜の討伐隊の陣容を考えていたところでな」


「良かったじゃないか。おあつらえ向きの奴が志願しに来たぞ」



 やはり、魔竜の討伐に参加すると言ってきた。このジークフリート・レイワンスは、王宮に仕える前から大物のみを狩る幻導士として有名だった。各地を放浪し、取り憑かれたように高難度の依頼ばかりを受け続ける姿から『冠位を食む者グランドイーター』と畏れられ、誰1人近づこうとしなかった彼を、ハイクツェルペが是非にと欲しがり声をかけた。



「あんたは俺を雇う時、こう言ったはずだ。『大物の討伐は優先的に回す。だから王宮に仕えろ』と。魔竜が大物じゃないのなら、一体何なんだ?」


「確かに、そう言ったな……」



 ジークフリートに凄まれ、ハイクツェルペは少々考える。下手に断り、へそを曲げられてもかなわない。



「良かろう。貴様に討伐隊を任せる。人員も、大した人数は連れて行くまい? 好きに見繕え」



 それ以上渋ることなく、すんなり許可を出すハイクツェルペ。そこへゲーゲンスが声を上げる。



「陛下! そんなあっさりと――」


「案ずるな、ゲーゲンスよ。余とて、何も考えず答えているわけではない」



 ハイクツェルペは自身の考えを開示し、ゲーゲンスを説得する。木々が生い茂る中での作戦となれば、大人数での行動は難しい。何より人数が増えれば、その分移動も遅くなる。翼を持つ魔竜はいつ飛び立つかも分からない。ならば求められるのは、少数精鋭による速攻だ、と主張した。



「事態は一刻を争う。数多の強敵を単身で仕留めてきたジークフリートこそ、適任ではないか?」



 決して安請け合いではない、とハイクツェルペは強調する。ゲーゲンスはそれを受け、反論の余地はないと考えたらしい。深々と頭を下げる。



「出過ぎたことを申しました。年甲斐もなく、頭に血が上っていたようです」


「フン。分かれば良い」



 話が決まると、ジークフリートが「余計な手間をかけさせるな」と言わんばかりに鼻を鳴らした。



「いや、ジークフリートよ。そなたがもっと穏当な手段を選んでいれば、ゲーゲンスとて頑なにはならなかったのだぞ?」


「知らんな。これが1番早いと思っただけだ」



 苦笑して嗜めるハイクツェルペに、ジークフリートは相変わらずぶっきらぼうに答えた。敬意の欠片もあったものではない。彼にとっては謁見の間も、ギルドの受付カウンターと変わらないようだ。


 だが、そんな彼であっても従ってもらわねばならぬ作法が1つだけある。


 ハイクツェルペは玉座から立ち上がり、ジークフリートの目前に立つ。立ち上がったハイクツェルペは190センチを超えるジークフリートよりやや低いものの、肩幅も広く中々立派な体格の持ち主。ゆったりした衣装で目立たないが、その下には多忙の合間を縫って鍛えている筋肉が隠されている。



「ジークフリートよ。任務に出る前のこれだけは、余とて譲れぬ」


「ああ……そうか。構わん」



 ハイクツェルペの雰囲気が変わった。それを察したジークフリートは、既に目的は達したこともあり、素直に跪いた。恭しくこうべを垂れたその姿はあたかも忠節溢れる騎士のようで、普段からこうであったなら……というゲーゲンスの嘆きが聞こえてきそうだ。

 これから行われるのは、重要な任務に際した任命式のようなものだ。王が代わっても、王宮に仕える者が変わっても、この儀式だけは連綿と受け継がれている。


 朗々としたハイクツェルペの声が謁見の間にこだました。王は自らの名と、激励の言葉を。



「ジークフリート・レイワンス。国王ハイクツェルペ・ロードランの名の下、貴殿に魔竜討伐の命を与える。必ずや勝利し、凱歌を響かせるのだ」


「我が剣、グラムに懸けて――王に勝利を、民に平和を、そして国に栄光を」



 そして任命される者は自らの得物と、王、民、国への誓いを口にする。王宮に来て最初に教わるのが、この儀式の文言や作法と言っても良い。


 宣誓を終えると、ジークフリートはさっさと立ち上がる。そのまま特に何も言うことなく、謁見の間から立ち去って行った。あまりの変わり身の早さに、ゲーゲンスがため息をつく。



「全く。初めてここへ来たときから、あやつの態度、一向に改善が見られませんな……」


「あれでも最低限、余の下した命令は守っておる。強くは言えぬよ。我が道を譲らぬ、生粋の幻導士エレメンター……と言うのは、流石に聞こえが良すぎるか」


「確かに、幻導士エレメンターとして有能なのは紛れもない事実。痛し痒しとはこのことでございますなあ……」



 一気に元の静けさを取り戻した謁見の間に、再度ゲーゲンスのため息がこぼれた。












 テレザ達が帰ってくると、ギルド酒場は騒然としていた。そこここに怪我人が見られ、人々が忙しく往来している。街並みが破壊されていたりはしないが、何かしら魔竜の影響を受けていることは疑いようがない。そんな中、テレザは見知った顔を見つけて声をかけた。まずは、このギルドが置かれている状況を知りたい。



「フィーナ。久しぶり」


「あっ! テレザさんにシェラさん、オーガスタスさんも! 無事に帰ってこられたんですね。えっと、そちらは……?」



 クラレンスに視線を向けたフィーナは、何やら既視感を覚える。誰かに似ている、という引っ掛かりは、彼の名で一気に解消された。



「クラレンス・スオードナイトだ。姉のカミラが、このギルドで世話になっている」


「カミラさんの! 通りで、似てらっしゃるわけですね」


「……」



 受付嬢としてカミラを知る、フィーナからも似ていると評されたクラレンス。そんなに似ているか? と聞きたげだったが、今はそれどころではない。テレザはフィーナに現在の状況を問う。



「呼び止めてごめんなさい。ただ事じゃないみたいね」


「いえ、皆さんが戻られて何よりです。現状ですが、魔物や魔獣の数が異常に増えていて、その対応に追われている状況です」


「何ですって?」


「突如として、森から大量の魔物が出没するようになったんです。中には大型の魔獣も混じっていて……森へ近い集落の方には、既にこの街への避難を呼びかけています」



 地域住民が危機にさらされている事態に、オーガスタスが色を変える。



「そりゃまずい。すぐに俺達も向かわねえと」



 しかしフィーナは、あくまで慎重な意見を述べる。その顔には、自身で戦えないもどかしさが滲んでいた。



「いかにオーガスタスさんでも、今の森では何が起こるか分かりません。皆さんと足並みを合わせて森へ入っていただく方が良いかと思います」


「む……そう、ですか。くそっ、こんなことならもっと早く戻って来れば……!」



 歯がゆい思いを隠さないオーガスタスだが、たらればを言っていても仕方がない。テレザが諫める。



「誰も予想できない事態なんだから、仕方ないわ。実際、私達だけが森に入ってもできることには限度がある。何よりほぼ全員病み上がりだし、無理はできないわ」



 その通り、テレザとオーガスタスが血剣宴グラディウスで互いにつけ合った傷も完治はしていない。改めて考えると、4人の中で無傷と言えるのはクラレンスだけだった。ギルドに帰って来たは良いもののできることは多くない。


 暗い空気に支配されかけた時、それまで黙っていたシェラが使命感を口にした。



「それでも……私だって、もう体は動きます。何もしないわけにはいきません!」



 幻導士エレメンターと呼ぶにはあまりに華奢で、弱っちいくせに。その目だけは決意に燃えていた。後輩にこうまで言わせて、先輩が落ち込んでいるわけにはいかない。両の頬をパシッと叩き、テレザは気合を入れ直す。



「……そうね。できることから、始めましょう」



 一同は改めて、フィーナから現在の方針を聞くことにする。



 「ギルドの幻導士総出で、森での捜索・森から出てきた魔物の討伐・休憩をローテーションしつつ、24時間態勢を敷いています。が……魔物と渡り合えるのは一定以上の実力がある幻導士エレメンターだけ。負傷者も増え、徐々に人員が不足しはじめています」


「となると、私達もそのローテに組み込んでもらえば動きやすいか」


「はい、そうですね。……現在森に出ているパーティが帰ってきたら、編成を変えましょう」



 フィーナが編成を記した表を睨む。しかしその思案は再び開かれた酒場の扉、そして無遠慮に酒場内に踏み込む複数の足音に中断された。



「? どちら様でしょう……」

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