4-2 砕けた馬車、放浪の魔物

 カイン達3人にしばしの別れを告げ、シェラとテレザは馬車の乗り場でハイエスという御者と折衝をしていた。



「行き先は鉄血都市、ですか。このタイプだと、結構お代を頂きますよ?」


「構わないわ、乗り心地が1番。あ、そうだ。私たちが任務を終えるまで、鉄血都市の近くで待っててくれる?」


「3か月もですかい? んー、それは厳しい相談ですね……馬が飢えちまいますよ」


「はい。これだけあれば、宿場町にいられるでしょ?」



 流石に渋るハイエスに、分かっていると言わんばかり。テレザが銀貨を袋に5枚ほど入れて渡した。こういう経済的なところで幻導士エレメンターに憧れる者は後を絶たない。


 ちなみに金貨1枚は銀貨20枚、銀貨1枚は銅貨30枚、銅貨1枚は石貨せっか40枚という価値だ。一般の買い物などには銅貨・石貨が使われ、銀貨は宝飾品や一流職人の作った武具などの高級品、もしくは商人同士の大きな取引に使われることが多い。金貨に至っては生涯を通じて使う機会のない人間も結構いる。


 銀貨が5枚もあれば、3か月どころか半年は人も馬も十分暮らせる。テレザとしてはパッと渡せる金額だったが、ハイエスとシェラは目を丸くしていた。



「こいつは気前の良い! どうぞ、安全に目的地までお届けしますよ」



 お金さえ払ってもらえるならお安い御用です――ハイエスはそう言って、2人を馬車へと案内した。このハイエス、初めてシェラとテレザで依頼を受注したときと同じ御者だ。乗り心地が良かったので今回も指名してみたのだが、向こうも2人の顔を覚えていたらしい。



「毎度のお引き立て、誠にありがとうございます。んじゃ出発しますよ、走り出しはどうしたって揺れるんで、舌噛まないように!」



 言葉と共にゴトゴトと走り出した馬車は加速に従って安定し、ギルドのある街を抜けて街道に出る。砂利道でも揺らさないよう巧みに馬車を操りながら、ハイエスがテレザへ向かって話しかけた。



「お客さんみたいに金払いの良い方ばっかりなら、世の中もっと平和だと思うんですがねぇ」


「そう?世の中には金払いの良い危険な奴もいるのよ」



 金と酒しか評価できない鉄血都市の傭兵とか、金と女以外に興味のない鉄血都市の野盗とか、金以外に何の魅力もない鉄血都市の脂ぎった商人とか。

 世の中には、金だけは持たせてはいけなかった金だけは持っている人間が結構いるものだ。



「鉄血都市ねえ……噂じゃ荒くれ者が、毎日大声で怒鳴り合ってておっかねえとか聞きますが」


「まさか。そんなわけないじゃない」


「そ、そうですよね。今どきそんな動物じみた真似する奴なんていねぇでしょう、流石に」



 そんなほのぼのとした鉄血都市など逆に心配になる――という意味でテレザは答えたのだが、ハイエスには逆の意味に取られてしまったらしい。まあ、それが正常な反応だ。シェラが苦笑いしつつ、外れかけた会話の歯車をかみ合わせる。



「あ、あはは……。えっと、ハイエスさんは、鉄血都市に行ったことはないんですか?」


「ないですねぇ。誰も行き先にしねぇんですよ。仕事柄、道は調べてますが」


「まあ行かない方が良いわよ、あんなとこ……」



 テレザがしみじみと腕を組むと、ハイエスがニヤっとする。下世話かもしれませんが、と興味を抑えきれない様子でテレザに聞いた。



「鉄血都市には行きたくねぇ、と依頼を断る幻導士もいるそうで。お客さん、よっぽど報酬積まれたんですか?」


「報酬もあるけど……あそことは昔、ちょっと関係があってね。断りにくいの」


「ほぉ? 鉄血都市のご出身で?」


「鉄血都市そのものじゃないけど、その近くの村よ」


「なら、是非場所を教えてくだせぇ。予定を変えて寄ることもできるかもしれませんよ」


「そうなんですか!? テレザさんの出身地、是非見てみたいです!」


「別に、何にもないわよ? ……地図のこの辺。寄れそう?」



 シェラにせがまれ、テレザは地図に印をつけてハイエスへと渡した。



「えー……ハイハイ、ここねぇ。大丈夫ですよ、任しといてください」



 地図を受け取ったハイエスはざっとルートを再計算、日程に特に問題が出ないことを確認する。馬車は快調に道を駆け、予定通り最初の宿場町に着いた。








「……意外と、野盗とかって出ないんですね」



 シェラの呟きが馬車の後方に流れていく。最初の宿場町を出てしばらく、今日もいたって平和な空模様と道中である。この分なら、予定よりも早く鉄血都市まで着けそうだ。



「まあ、野盗だって馬鹿じゃありません。基本的に、襲う相手は選ぶってもんです」


「襲う相手? こんな小さな馬車なら、狙いやすそうですけど……」



 ハイエスの答えに首をかしげるシェラ。テレザが静かに笑う。



「あなた、野盗には向いてないわね」


「む、向いてないことないです……!」


「向いてなくて良いですよ、お嬢さん。野盗が狙うのはね、商隊にくっついてる馬車なんです」


「どうしてですか? 商隊には護衛がいますよね……?」


「えぇ。ですが、野盗側の勝利とは何かしら金品を持って行くこと。護衛を倒すことじゃぁない」



 だから、標的は多い方が良い。馬車が集まれば、攻め込む場所が増える。護衛の防御網にも、必ず穴ができる――というハイエスの解説を、シェラは目から鱗という感じで聞き入っていた。テレザが補足する。



「その点、この馬車は最悪なのよ。小さいから積んでるものも大したことない。あと綺麗だから、狙われにくい」


「その通り。身なりの良い馬車には、身なりの良い人間が乗るもんです。でも身なりの良くて、少人数で行動するってぇと、ただのお金持ちじゃない」



 それは……? とハイエスが振り返った。そこまで来れば、まだまだ戦に疎いシェラにも容易に理解できる。



「階級の高い幻導士エレメンター……!」


「そ。この馬車は強い奴と戦う割に、実入りが少ないってこと。だから避ける」


「テレザさんが、虫除けみたいになってるんですね」


「ちょっと? 虫除けってあなたね」


「はっはっは、言い得て妙だ! まあだからって、警戒を怠るわけじゃねぇですが……おっと?」



 ハイエスが遠眼鏡を覗いた目をすがめ、地図を確認して迂回路を探す。だが生憎、この辺りに走りやすい道は今走っている1本しかなかった。



「この先、渋滞がありますね。ちと急いで、原因を見てみましょう」


「そうね。助けられるなら、早く助けてあげたほうが早いし」


「はい!」



 渋滞に追いつく。3人が馬車を降りると、そこにはバラバラにされた馬車の残骸と、積まれていた荷物が散乱していた。そして何かを引きずった跡が、街道から草むらの中へと続いている。

 御者と思われる男性は憔悴しきり、その横では商人だろうか。中年の男が横たわっていて、現場は騒然としている。



「怪我人は、お2人だけですか?」


「あんた達、幻導士エレメンターか! 怪我人は御者と、その客だけだ。頼む」


「はいっ!」



 シェラが治療術式で傷と痛みを癒す間、テレザは1番近くにいた初老の男に事情を聞く。



「何があったか、聞かせてもらえますか?」


「ああ。はっきり見えたわけじゃないが……」



 彼の話によると、前方を走っていた馬車に突如何かが飛びかかり、馬車を破壊したということだった。



「ワシらの目では、これ以上は」


「もう大丈夫だ、お嬢ちゃん。ありがとう……あとは、俺が話すよ」



 幸運にもごく軽傷で済んでいたらしく、デッセムと名乗った中年の商人は体験したことを語る。



「まず、横からガサガサと音がした。で、衝撃が来た。次の瞬間に馬車は壊されて、俺は外に放り出されたんだ。偶然荷物が上に被さって、俺は助かった。けど後ろで馬の、悲鳴っていうのか……とにかく、馬が襲われたみたいだ。怖かったけど、奴が馬を引きずっていくときにチラッと姿を見たら……灰色の毛に、黒い模様がある奴だったよ」


「馬車を壊して、馬を襲った。灰色に黒い模様の……足跡も詳しく見てみましょう」



 テレザが足跡を検分すると、やはり大型肉食獣の足跡が残されていた。だが奇妙なのは、そんな大型の動物はこの地区には生息していないことだ。シェラと顔を見合わせる。



「ここら一帯、草丈の低い草原でしょ? 潜める場所なんて殆どないわ」


「図鑑で見ても……この地区は、馬車を壊せるような大型の肉食獣の生息地にはなっていませんね」


「となると縄張りを持たない魔物――――『放浪者ワンダラー』ね」


「ま、魔物が……」



 人々の顔が青ざめる。幻導士として仕事をしていれば魔物の存在は依頼でよく目にするが、一般人はほぼ出会う機会などないから当然の反応だった。テレザは不安を煽る発言を反省しつつ、安心させる。



「大丈夫です。放浪者ワンダラーは、1頭だけで活動しています。そいつを私達で討伐すれば、安全に通行ができますから」



 階級票を身振り手振りで見せつけるように話すと、彼らの気持ちは幾分落ち着いたようだ。ここにいるのは殆どが商人のようで、ギルドとの関わりも深い分階級票の効果は絶大であった。



「で、でもよ。俺達、移動中だから魔物討伐を依頼する金なんて、持ってないよ……」



 デッセムが不安な顔をする。過去の経験から幻導士は金にうるさいと覚えているのだろう。だが、ここで事態を解決しないと困るのは2人も同様である。



「何でも良いからとっとと依頼してちょうだい」



 という本音を建前で入念に飾り付ける。チラッとシェラに同意を求めるように、できる限り慈悲深い表情を作る。シェラもシェラで、とびっきりの笑顔で可愛らしく言ってくれた。



「今困ってる人から報酬も何もないわ。……そうでしょ?」


「はいっ。もしも払いたくなったら、ギルドに私たち宛で、お願いします」



 おぉ……と、神話の天使を見たかのようにデッセムがシェラを見つめる。こうまで強烈に良心に訴えかけられれば、彼らは相場以上の額を払ってくれるかもしれない。


 引きずられた跡を追って2人が草むらの中に入ったとき、テレザはシェラに言った。



「あなた、中々良い性格してるわね」


「先輩からの教育の賜物です☆」



 ペロっと舌を出す。可愛い。


 馬は深手を負い、引きずられながらも激しく抵抗したらしい。千切れた鬣が草に引っかかっていたり、地面には蹄で引っ掻いたような跡もあった。きっと勇敢で良い馬だったのだろう。あの御者の憔悴ぶりも頷ける。



「……血の臭いがする。近いわね」


「私にはまだ分からないですけど……馬の抵抗は、弱まってますね」



 跡をさらに追っていくと、馬の抵抗した形跡よりも、血痕が大きく目立つようになる。いよいよ魔物の食事現場に近づいてきたことが窺えた。


 思い切って1度立ち上がり、様子を窺うことにする。


 シェラを伏せさせたまま、テレザが草むらからゆっくりと立ち上がって周囲を警戒する。血の臭いの方面を見ると……。



「いた……!」


「見つかったんですか?」



 あっさり見つかった。目撃情報にあった通り、灰色の体に黒いマーブル模様を持った獣が何かを一心不乱に貪っている。その背はあまりにも無警戒、完全に人間を舐め切っている。

 距離は15メートルほど、テレザの炎ならば射程距離ではあるが……。



「……距離を詰めるわ。あまり大規模に炎は出したくないから」



 もしこの草原で火事を起こしたら大事だ。再度しゃがみ、魔物のさらに近くへにじり寄る。血の臭いがいよいよ濃くなった、恐らく彼我の距離は5メートルもないだろう。



「……猛き炎天。花から出でて、天へと駆けよ――」



 静かに詠唱が紡がれ、右手に白熱を携えたテレザが飛び出す。



「――『灼熱槍(プロミネンスピアー)』!」



 食事中の乱入者に不機嫌な唸り声を上げた魔物が最期に見た光景は、己の視界を埋め尽くす熱き閃光だった。


 一撃で脳を焼き切られ、魔物は末期の痙攣すら許されずその場で即死する。シェラが大きく腕を振り、討伐をアピールした。被害者には気の毒だが、馬の死骸を確認してもらわねばならない。



「……ああ、俺の馬だ……っ、うぅっ!」



 愛馬の変わり果てた姿を見た御者はそれだけ言うと、その場にへたり込んで泣き出してしまった。御者にとって馬とは命にも代えがたい宝だ、どれほどショックなことだろう。



「襲ったのは、やはりマーブルウルフでした。この模様が特徴の、狼型の魔物です」



 群れならともかく、単体で馬を襲うとは。体長2メートル弱、魔物にしては小柄だが、奴らはやはり一般の生物とは次元の違う力を有している。だがその力を過信し、テレザの脅威に最期まで気づかなかったのが命取りとなった。



「ともかくこれで、脅威は去りました。……どうしますか?」



 テレザの問いに、デッセムは御者をチラリと見て答えた。



「俺は……御者、バンさんを連れて、宿場町に戻る。荷物はダメになっちまったけど、せっかく五体満足で生き延びたんだ。やり直せる」


「それならば、私の馬車に乗ると良い。詰めればあと2人くらい座れるし、私の予定は少々遅れたって問題ないから」


「ありがてえ! お言葉に甘えましょうよ、バンさん。ねえ!」


「……ああ。泣いても、こいつは帰ってこないもんな」



 初老の男の提案で、被害者の2人は一旦引き返すことになった。御者バンの目にも少しだが力が戻り、2人に向けて礼を言う。



「幻導士さん。仇討ってくれて、ありがとな。これから良いあいぼうを見つけて、沢山稼いで、死んだあいつに立派な墓を建てようと思う。だからさ、気が向いたら俺の――バンの馬車も、使ってくれよ。……じゃあな!」


「はい、必ず!」


「お達者で」



 少し重いぞ、と抗議を上げながら去っていく馬車を、シェラは笑顔で見送ってテレザに語り掛けた。



「人の繋がりって、素敵ですね」


「……そうね。でもその前に。あなたはハイエスさんに、申し開きがあるんじゃない?」



 テレザはシェラを肯定しつつも、背後に感じる視線は無視できない。



「?」



 不思議そうな顔をするシェラに、不満を隠さない声が届いた。



「全く……自分の馬車に乗っていながら浮気宣言ですかい?」



 まさに現在シェラ達の利用している馬車の御者、ハイエスがジトーっとした目を向けていた。シェラは先ほどの会話を思い出す。



『気が向いたら、この俺の――バンの馬車も使ってくれよ』


『はい、必ず!』



 確かに同業者としては見過ごせない発言であったかもしれない。慌てて弁解する。



「あ、あれは……その、言葉の綾です!」


「もっと酷くない? それ」


「全くです……」


「ち、違いますーっ!」



 愉快なやり取りをしつつ、馬車はこれまで通り走り出す。やや予定外の事故はあったが、今回の度は天候にも恵まれ、順調に道程を消化していき、3日後。


 馬車は鉄血都市に入る前日、テレザの出身地で最後の休憩を挟む。

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