6-5 決すは雌雄、並び立つ
翌早朝、薄目を開けたシェラの耳に鋭い風切り音が届く。のっそり身を起こすと、テレザがシャドーを行っていた。うっすらと汗の滲むその顔は、シェラの目にも、テレザが想定するオーガスタスの姿が見えるのではと錯覚するほど真剣だ。
流石に炎は出ていないが、目にも止まらぬ速さで鉄拳が繰り出される。思わず見惚れていると、テレザは不意に顔をしかめ、弾かれるように後ろへ跳んだ。首を振りながら息を吐く彼女は、まるで敗北したかのように悔しさを露わにする。接近戦に疎いシェラからすれば100点満点で150点は付けられる動きだったが、どこか不満があったのだろうか。そう思っていると、目を覚ましたシェラにテレザが気づいた。
「起こしちゃった? ごめんなさい、熱が入り過ぎたかも」
「いえ、いつもの時間に起きただけですから。おはようございます」
「ん、おはよ」
互いに挨拶を交わし、先ほどのシャドーについて聞いてみる。
「……シャドー、すごく真剣でしたね。お邪魔じゃないですか?」
「大丈夫よ。真剣になるのは私でしょ、周囲は関係ないわ」
即答だった。大一番の直前になっても我が道を征く、そんなテレザを頼もしく思いながら、最も気になったことを尋ねる。
「最後に悔しそうだったのは、何でですか?」
「あー……あれはね、負けたの」
「負けた?」
「私の想像したオーガスタスに、私が負けたってこと」
「……?」
自分の想像した相手に負ける、という言葉の意味を捉えかねたシェラは頭をひねる。自分の想像力に対処できない、そんなことがあるんでしょうか――シェラが素直にそう聞くと、テレザはうんうんと頷いた。
「あるある。むしろ自分がどうやったら負けるか、それを確認するためのシャドーよ。これをやられると負けるなってことを、できる限り思い浮かべてから始めるの」
「負け方を確かめて、対処法を探るってことですか?」
「そうね。でも、今回の相手は武器の変形が厄介。想像してもキリがないわ」
「結局、そこはオーガスタスさん次第ですもんね……」
「まあキリがないからって、やらなくて良いわけじゃないけど」
むしろ想像しきれないほどの強敵ということだ。何かしら隠し技を持っていないとも限らない。徹底的に相手を研究し、勝利の可能性を高める。先日の慢心ぶりが嘘のような念の入れようであった。
「じゃあ、私は再開するわ。朝ご飯はパンと、鍋にスープがある。好きに食べて」
テレザは立ち上がり、シャドーを始める。最初は探るように
朝陽が連なる軒を越え、雲一つない青空を衝くように聳え立つ『
メインストリートに差し掛かっても、人影はほとんどない。それもそのはず、
「静かすぎて……何だか不気味ですね」
「嵐の前の静けさってやつよ。昼以降は死ぬほどうるさいから覚悟しときなさい」
「お2人とも、おはようございます!」
「おはようヒンギス。朝早くから、ご苦労様」
「おはようございますヒンギスさん」
「決勝、良い試合を期待していますよ」
「頑張るわ、ありがと」
流石に3か月も滞在していると、顔見知りにもなる。このヒンギスは、傭兵の父親を追って単身鉄血都市までやってきた剛の者だ。普段は傭兵ギルドの看板娘として働いているらしい。人当たりも良く愛嬌ある接客態度がノエルの目に留まり、運営スタッフに任命されたらしい。
「おはよう執務長。何してるの?」
「おはようございます、ノエルさん」
「おや? お早い到着ですね。人が来る前に、会場のコンディションを整えようと思ったのですが」
締め固めた
「部下に全部任せれば良いのに」
わざわざトップが雑務に動かなくても良いでしょ。そんなテレザの言葉に、ノエルは自分でも困った、と言いたげに笑って見せる。
「それはそうなんですが。私は自分で動いていないと、どうにも落ち着かない性分のようで――おっと、控室に来られたんですよね。中の掃除は終わっていますので、どうぞ」
「じゃあ遠慮なく。ありがと」
「あ、あの。私、ノエルさんと一緒に会場を見て回っても良いですか?」
シェラがそう言うと、ノエルは不意を衝かれたように彼女の顔を見る。てっきり試合開始まで、テレザの傍にいると思っていたから。
「私は構いませんが……何故です?」
「えーっと……会場の掃除なら、私でも手伝えるかなって」
「ふーん……ま、執務長が一緒なら大丈夫か。私も、別にいいわよ」
「おや、随分と信用していただけたようで。嬉しい限りです」
ノエルの余計な一言にテレザは舌打ちし、シェラをノエルに預けて控室に入っていく。するとすぐに室内から、シェラが朝聞いたのと同じ風切り音が聞こえ始めた。
「張り切ってらっしゃいますね、テレザさん」
「私が起きた時からあんな調子で……ちょっと、近づきがたいというか」
本人の手前言えなかったが、それがシェラの本音だった。普段通り振舞っているようで、テレザからは肌がヒリつくようなオーラが放たれていた。
「まあ、気が抜けているよりは良いでしょう。行きましょうか」
シェラとノエルは通路を歩き、ゴミを拾いながら
「今日の決勝、かなりハードなものになるでしょう。小さくとも、ヒビや傷を見つけたらすぐに報告をお願いします」
「分かりました」
「これで万が一壊れても、テレザさんとオーガスタスさんのせいにできますね」
「あのお2人だと本当に壊しそうで、笑えないですよ……」
シェラの冗談に言葉とは裏腹、ノエルの頬は緩む。先代の棟梁・ベラの時代に原型が生まれた『
「これであとは、試合結果を待つだけです」
最終日の今日も万全の準備で迎えられたという自負はある。シェラを連れて貴賓席に座った彼は、試合の開始を首を伸ばして待つのだった。
「よう、決勝頑張れよ」
シェラがノエルと
「おう。良い試合を期待してくれ」
「良い試合じゃなくていいから、勝ってくれよ。ベスト8の賞金、お前に賭けたんだからな?」
「……本気で言ってるのか?」
オーガスタスが真顔で聞き返す。もし本当ならベットは金貨5枚、銀貨換算で100枚ということになるが……傭兵の彼ならやりかねないと思えてしまう。
「はっは、そんな顔しなさんな。流石に全額じゃねえよ。けど、俺にとってもかなりの大金ってことは確かだ」
「ったく。んなこと言われたらプレッシャーじゃねえか」
「笑わせんな! 今更こんなのでつぶれるタマなんか持ってねえだろ」
バシッと太い腕がオーガスタスの背中を叩く。
「優勝したら、親父さんの店で奢ってやるよ。じゃあな」
「そりゃ、勝たねえとな。ありがとさん」
応援とは有り難いものだ。アーノルドと別れてしばらく歩き、
「……怪我は、もういいのか」
「あ、ああ。親切な奴らが治療に来てくれてな」
「そうか。……なら、いい」
お互いに距離を測りかね、それだけでぷっつりと会話が途切れる。ヒンギスがじれったそうにクラレンスの背中を押した。
「もークラレンスさんったら。あの男はいつ来るんだって、ソワソワしてたじゃないですか。もっと話したいこと、沢山あるんでしょ?」
「な、何だ急に。俺はただ、この男の怪我の具合が気になっただけだ」
「ほら、やっぱり心配してた!」
「心配などしていない!」
クラレンスが声を高くした拍子に、懐から何かがこぼれ落ちた。目を輝かせたヒンギスが拾い上げると、それは筒に入った
「おやおや~?」
「……じ、自分用だ。自分用」
「えぇ~? でも武器も鎧も装備せず、薬だけ持ち歩くなんて変ですよ。ね?」
「お? 確かに。そうだな」
ヒンギスの意図を汲み取り、オーガスタスも棒読みながら同調した。苦しい言い訳も、これ以上は続けられない。
「医療術者を連れている様子もなかったからな……薬屋に頼んでみたんだ。だから返せ」
「は~い♪」
白状したクラレンスは、満面の笑みを浮かべたヒンギスから薬をひったくり、オーガスタスに突き出す。
「知られた以上、受け取ってもらうぞ。格好がつかない」
「……そうかい、ありがとよ」
「ふふっ。良かったですねーちゃんと渡せて。オーガスタスさんが来るまで、ブツブツ言いながら会話のシミュレーションしてたんですよ」
「なっ聞こえていたのか!? やめろ! おいあんたも、今すぐ忘れろ!」
普段から叫び声の響く場所で、酔っぱらいの滑舌を聞き分けるヒンギスの耳はごまかせない。顔を真っ赤にして詰め寄るクラレンスに、オーガスタスは強さに隠されていた懐かしい面影を見る。忘れられるわけもなかった。
「じゃ、そろそろ行くわ。改めて、礼を言わせてもらうぜ」
「素晴らしい決勝を期待してますよ! ほら、クラレンスさんも!」
「……あっさり負けてくれるなよ。俺の評判も下がる」
「『あんたの負けるところは見たくない』と言ってます」
「変な訳をつけるな!」
ぎゃあぎゃあと言い合う2人から激励を受け取り、オーガスタスは意気揚々と屋内へ姿を消した。
『さあ全員、席にはついたな? ――準備は良いかぁ!!』
実況に呼応し、巨大な
『いよいよ
テレザとオーガスタスが通路から姿を現すと、爆竹に火を点けたように客席が鳴る。雨あられと降り注ぐ拍手の中、主役の2人はゆっくりと
『決勝のカードは、テレザ・ナハトイェン 対 オーガスタス・マッシベン! 歳も性別もバラッバラの2人、共通点はただ1つ――強いってことだ!』
待ちきれないと言わんばかり拍手がさらに大きくなり、すでに精一杯張っている実況の声がかき消えそうになる。審判が2人を窺い、中央に立つ。2人も開戦前の挨拶のために歩み寄った。
「勝たせてもらうぜ」
「調子良いみたいね」
「拳を合わせて――両者、元の位置!」
審判の声に、それぞれの手甲と籠手をぶつけ合わせる。カチンと音が鳴り、2人の心に火が点いた。同時に振り向き、合図を待つ。この瞬間だけは会場も黙る。
「いざ尋常に――始め!」
審判の手が上がる。歓声をゴングに、両者同時に駆けだした。
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