4-6 嵐の直前、肌の重なり

「ああっ!?何だとテメエ!今ここでぶっ殺してやろうか」



 派手に椅子が転がり、男が勢い良く立ち上がる。その顔には大きな傷があり、歴戦の猛者の風格を醸している。向かいに座っていた男も広い肩幅を揺らし、拳を構えた。どちらも大量に酒が入って既に足元はおぼつかず、そもそも相手の言葉すらも良く聞こえていなさそうに見える。



「そっちがやる気なら、良いぜ。付き合ってやるよ」



 その言葉に周囲から口笛が飛び、喧嘩を煽る。さながら闘技場のような熱気の中、男達は殴り合いを始めた。

 互いに素手で、防御も考えず拳を振るい続ける。原始人もドン引きの低次元な戦い。その様子そのものと、歓声を上げる野次馬を、夕飯を終えて竜のドラゴネストへ帰る途中のテレザとシェラは足を止めて見ていた。



「あれ、何か面白いんでしょうか…」


「知らなーい」



 テレザは適当に返し、いつまでも見ていたいものではないのでシェラの手を引く。道中、すれ違った連中が絡み付くような視線を2人に送ってくる。まあ、それは予想していたのだが……。


 見るからに貧弱で格好の獲物に見えるのだろう。シェラに突き刺さる視線は完全にケダモノのそれだ、中にはこの場で犯す気で近づいて来ようとした奴もいた。テレザがいなければ今日だけで何度襲われていることだろうか。



「……っ」



 ぎゅっ、とテレザの手を握るシェラ。男どもの情欲でギラついた目には当然気づいている。テレザがいる以上みすみす襲わせはしないが、そういう街だと説明はしていた。今さら怖い、帰りたいと言われても困る。



「もうすぐだから、耐えて」


「だ、大丈夫です」



 シェラの声は上ずっているが、強がれるなら良し。視線と時折繰り出されるいやらしい手を振り切って、昼間に作った部屋へと到着する。



「はー……」



 シェラは大きく息を吐いた。テレザは彼女を労いつつ、夜のお楽しみを提案する。



「お疲れ様、さっさとお風呂入って寝ましょう」


「お風呂?」



 シェラは聞き返した。当然だが、風呂などただの空き部屋に用意できるわけもない。しかしテレザはいやに自信満々だ。



「この部屋にはないけど、必ず建物内にあるわ」


「……?」



 首をかしげるシェラに対し、テレザは上を指差して笑う。



「棟梁の暮らす建物だし、あるでしょ。ほら、行くわよ」



 彼女の狙いは、棟梁の私室にあるであろう風呂。



「だ、ダメですよ勝手に入ったりしちゃ」


「何でよ。可愛い女子たちが入るなら、むしろご褒美でしょ」


「その自信はどこから来るんですかっ。それに、自分のお風呂が勝手に使われたらどう思いますか!?」


「え。極端に汚れてるとか臭いとかじゃなければ良いけど、別に」



 根本的に頭の作りが違った。シェラとしては許されないのだが、これは自分がおかしいのか? そんな風に考えながら、テレザにしがみついて……悲しいことにそのままずるずると床を引きずられていく。

 端から見れば、シェラがべったべたに甘えているようにしか見えなかった。



「おや、仲の良いことで。どちらへ?」



 じゃれ合っているうちに、ノエルと出会った。



「棟梁の部屋にお風呂を借りようと思ってね」


「ほう……」



 テレザが悪びれもせず言い放つ。何を言われるかと戦々恐々のシェラをよそに彼は少し考え、



「まあ、構わないでしょう。ただし部屋を散らかすのはやめてくださいね」



 そう言って案内し始める。……本人でもないくせに。テレザも流石に意外だったらしく、ノエルの腹を探るように言った。



「随分あっさり案内してくれるのね」


「まあ、私の部屋ではありませんので……あ、着きましたよ」



 適当に喋っているうちに、分厚い扉が目の前に見えた。鍵がかかっていたが、ノエルは当然のように合鍵で開ける。テレザが訝しむ。



「……何で合鍵なんて持ってるわけ?」


「棟梁の私室と言っても、実質管理しているのは私なんですよ。あの人は片付けとかそういう言葉を知らないようでして、気を抜くとすぐに重要書類がどこかに消える」


「書類仕事とかもあなたがやっ……ってうわーお」



 中に踏み入った3人の目に飛び込んできたのは、足の踏み場もないほど本やら紙やら武器やらが散乱した、悲惨な光景であった。大きな本棚がすっからかんになっているのが悲しみを誘う。



「棟梁はあくまでこの都市の象徴、実質的な事務仕事はすべて私です。だからこそ、こうして棟梁の部屋に踏み入ったりもできる。というかしないと仕事が進まないことがありまして」



 深々とため息をつきながら、ノエルが部屋の片付けを始める。



「私のことはお気になさらず。浴室へは、そちらからどうぞ」



 そう言われ、2人は浴室がある(と言われた。見えないけど)方に分け入って、それらしき扉を開ける。照明をつけると、広々とした浴槽がその姿を現す。早速お湯を満たし、外でついた汚れを洗い落とす。流石に棟梁のナガラジャ用だけあって、浴槽は2人で入浴してなお余る。テレザが足を思いっきり伸ばして蕩けた。



「はぁ~~最っ高……」


「気持ち良いですね、他人のお風呂ですけど……」


「もう良いじゃない、入っちゃったんだから気にしなくたって。にしてもホント、可愛いわねあなた……」



 そう言ってテレザが少女の方へすすーっと寄ってきた。指をわきわきと動かし、顔には「ぐへへへ」と音が立ちそうなゲスい笑いを浮かべている。当然シェラが引きつった顔になる。



「な、何ですか」


「お風呂で可愛い子と2人っきりとか、やることは1個しかないでしょ……!」



 テレザに飛びかかられ、シェラは逃げ出す間もなく抱きしめられる。上気した肌と肌が合わさり、何とも言えない感触が伝わった。脱出できないようにしっかりと足を絡められ、せめてもの抵抗とシェラが腕を振り上げられた拍子に、脇に右腕を滑り込まされた。完全に左腕の動きを殺される。


 背中に感じるテレザの腕は、思いのほか女性らしい柔らかさを持っている。猛獣をも打ち倒すあのパワーを生み出すのはやはり付加術エンチャントなのか――ではなく! 背中に回り込んだその腕がシェラの右脇まで届き、撫でまわし始めている。



「何をっ……」


「あら、こんなので終わると思ってるの?」



 テレザの左腕はまだ自由だ。シェラはバシャバシャと水音を立てて抵抗を試みるが、足と左腕を封じられたこの姿勢からできることなど高が知れているし、そもそも体力差は歴然。太ももを撫で回され、さらに臀部に刺激を送られると、羞恥とくすぐったさで思わず声が漏れてしまった。



「あぅっ。ダメ、です。外に人が――」


「いなければ、シても良い?」


「……いやです」


「そ。じゃあ、これだけにさせて」



 より一層強く、テレザに抱きしめられた。先ほどのようないやらしさはなく、姉が妹をを抱きしめるような。程よい温もりに身を任せていると、テレザが語りかけてきた。



「今日は本当に、お疲れ様。帰り道、散々だったでしょ」


「……」


「これから3か月、耐えられそう?」



 彼女なりにシェラを心配しているらしい。……もっと普通に心配してほしかった。



「……大丈夫です。きっと、お役に立ちます」



 はっきり言うと怖い。武器を見たいと言ったのも、もしかしたら怖さの現れなのかもしれない。それでもついて行きたいと言ったのはシェラ自身だ、1日で弱音を吐いたりはしない。はっきりと意志を伝える。



「安心してください、逃げたりしません」


「そっか……なら良かった。帰ってくるとき、すごい顔してたから不安だったの」



 髪を撫でられる。密着したまま上目で見てみたテレザの表情は、心底ほっとしていた。そんな彼女に、シェラは1つわがままを言う。



「でも……もう少し、抱きしめてもらってて良いですか?」



 まだ、外で浴びた視線がまとわりついてるような気がするから。



「ええ、どうぞ。好きなだけ甘えてちょうだい」



 テレザの胸に顔をうずめる……にはボリュームが物足りない。くっつく。



「……今すっごくイラっと来たんだけど」


「何の話ですか?」


「何でかしらね……」



 テレザの手がシェラの背中をそっと撫で、穢れを洗い流してくれる。その状態で5分ほど密着していただろうか、流石にお湯と体温でのぼせそうになり、2人で浴室から出る。



「おう、良いご身分だな」


「あら。おかえり、棟梁。ちゃんと片付けはしなきゃダメよ」



 出た先にはナガラジャが待ち構えていた。もはや我が家のように振舞うテレザだが、ナガラジャはそこについては特に何も言わず、持っていた書類を手渡した。



「とりあえず、これを渡しとく」



 テレザが紙を見ると、そこには数十人の参加希望者の名前、選考の日時、そして会場が記されていた。選考の日程は最速で明日の朝から、夕方までに5人と戦うことになっている。どうせ有象無象が相手だ、と適当に日程だけ確認する。ナガラジャが聞いた。



「何か質問はあるか?」


「特には……あ。選考のある日、ご飯はどうすれば良いの?」


「選考する側にはこっちで昼飯を出す。会場から離れられても困るからな」


「ならオッケー」


「よし。あ、それと――」



 ナガラジャはテレザをはっきり見て付け加えた。



「明日から風呂、使うんじゃねえぞ」


「えぇっ!? 何でよっ、ひどいじゃない!」


「どうして驚けるんだ!? ひどいのは勝手に使ったお前らだろ!?」



 風呂のことは忘れていなかったらしい。この後風呂の使用権について2時間以上に及ぶ話し合いの末、2人が風呂を使って良い時間帯が決められた。










 翌朝。


 しっかり湯舟に浸かったせいか、テレザの目覚めはスッキリとしていた。隣のソファではまだシェラがくぅくぅ、と可愛らしい寝息を立てている。まだ選考の集合時刻までに時間はあるし、ゆっくり寝かせてやろう。

 静かに立ち上がり、室内で軽い柔軟を行う。数日間馬車に乗り、鉄血都市に入ってからも大きな戦闘はしていない。いつもより余計に伸びておく。



「……ん、む~っ」


「んぅ……? はっ、もう時間ですか?」



 テレザが筋を伸ばして唸っていると、シェラが跳ね起きた。どうやら準備運動しているテレザの姿を見て、寝坊したと思っているらしい。笑って否定し、安心させてやる。



「平気よ平気。一応実戦だからね、眼が冴えちゃって準備運動してただけ」


「テレザさんでも、緊張するんですね……」


「緊張って言うか、興奮ね。依頼にあった戦いの時だもの、昂るわ」


「……私も何か、手が震えちゃってます……」


「ちょっと、緊張して治療できませんとかやめてよ? ま、起きたならご飯にしましょう」



 そう言ってテレザは、荷物の中から干し肉や干し芋、そしてパンを取り出す。朝早い時間帯では鉄血都市の飲食店は開いていないため、ゴロツキと店にいたくないなら、朝は自分たちで用意する必要がある。

 いつもの手順通り、水を張った鍋を自らの炎で熱しつつ適当に具材と調味料を放り込む。室内で平然と炎が使えるのも、炎属性幻素フレアエレメントの使い手ならではだ。徐々に火の通る具材たちを見つめながら、テレザは予防線を張った。



「昨日のお店みたいな味は期待しちゃダメよ?」


「わ、分かってますよ。これはこれで良い匂いです」


「そ? まあ人間、火が通ってて塩がかかってれば大体食べられるものね」



 鍋から取り分けて、ゆっくりと噛みしめる。昨日の絶品料理を知ってしまったから不満は出るものの、その辺のネズミだかを捕って雑に捌くよりよほど美味しい。何より温かい物は過度な高揚を抑えてくれる。一口つけたシェラの顔にも、少し色が戻ったように見える。



「何ていうか、これを食べると落ち着くようになってきました」


幻導士エレメンターとして慣れてきた証じゃないの?」


「そ、そうでしょうか……」



 えへへ、と照れるシェラにテレザは目を細める。本当に可愛い後輩を持ったものだ。まあその可愛い後輩を昨日酷い目に遭わせたわけだが。



「食べたら、会場で開始を待つ? それとも時間通り? 私はどっちでも良いけど」



 どうせあいつらは遅れてくるだろうけど。と思いつつテレザは聞いてみる。



「……会場で待ちたいです。人混みは避けたいっていうか」


「オッケー。じゃ、着替えて出ましょ。上着忘れないようにね、意外とここの朝は寒いから」



 シェラの答えを受けて早めに竜のドラゴネストを出ることにし、指定された試験会場を目指す。


 乾燥帯に広がる立地上、今日も今日とて鉄血都市は快晴である。その高い空を見上げ、挑戦者とどんな戦いをしようか、テレザは夢想する。挑戦者に見せ場を作るようナガラジャから言われたため、本気を出せなさそうなのが残念ではあるが。

 それでも、この間の密猟者どもよりマシな奴がいることを願おう。

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