第6章 酣(たけなわ)、そして

6-1 放つは拳、勝ち残る

 予期せぬ食事会から休息日を挟み、翌々日。ついに準決勝が行われる。この日も、乾燥したこの地域らしい快晴だ。観客席は満席、どころか少しでも雰囲気を味わおうと闘技場コロセウムの周辺をぐるりと人波が渦巻いていた。



「これまでも大勢で賑わってましたけど、今日は特にすごいですね……」



 観客席の最上段、貴賓席に座ったシェラがきょろきょろと辺りを見渡す。その様子をノエルが楽しそうに見ていた。



「やはり年に1度の祭典ですから、注目度が違いますよ。とはいえ、この時期は外部から観光気分でやってくる人も増えます。トラブルの対応にも追われますがね」


「裏方では、やっぱり大変なんですね……」


「ああ、毎晩毎晩遅くまで会議やらでな。気が滅入るぜ」


「……あなたはそういう時寝てるでしょう、棟梁?」



 したり顔で頷くナガラジャを、ノエルはチクリと刺す。が、ひと際歓声が大きくなったことで選手が入場してきたのを悟り、視線を闘技台リングに戻した。



「どうか、無事に勝ってくださいね……」



 シェラが胸の前で両手を組む。それに対してナガラジャはテレザの表情を見て、笑顔を浮かべる。ノエルも同意見のようでだ。



「今日に限っては心配いらねえよ、良い面構えしてる」


「先日のやり取りが堪えましたかね?」


「さあな。けど、これなら安心して見てられるはずだぜ」



 2人のやり取りに、青白くなるほど固く握り合わせていたシェラの両指にも少し血の気が戻った。





「フー……」



 深く静かに息を吐き、テレザは気を鎮める。灼熱の太陽光が燦燦と注ぐ闘技台リング、そしてむっとする人の熱気に包まれた観客席とは対照的に、テレザの頭は冷たく冴え渡っている。今日の相手、ウィンファがどんな動きをしていたか、それに対して自分はどう動くべきか、試合開始の直前になってもくっきりとイメージ出来る。



「両者、元の位置!」



 開始位置に立つと集中力はいよいよ高まり、あれほどやかましかった歓声も――いや観客席そのものが意識の外へと追い出される。見据えるは目の前の相手、そして勝利への道筋だ。

 ウィンファも一層警戒を強め、ボウガンを持つ手に力がこもった。



「いざ尋常に―――はじめ!」


「『炎熱噴射フレアジェット』!」



 審判の合図と同時にテレザは駆け出し、その足元に小さな爆発が連続する。持前の脚力に加えて足元から炎を噴射し、それを推進力にして驚異的な加速を得る。


 飛び導具相手なら、最初は様子を窺ってくるだろう――そう予想していたウィンファは、その突進に焦って矢を放つ。が、引き金を引く際に力が入る「ガク引き」により狙いが逸れ、矢はテレザの肩当を掠るだけに終わる。


 高速で迫るテレザを相手に、それは致命的な失態となった。



「はぁあ!」


「ぐっ!」



 走り込んだ勢いそのまま、テレザが宙を舞っての蹴りを放つ。腕を前で交差させ何とか直撃は避けたが、吹き飛ばされて腕が悲鳴を上げた。骨折はしていないこと、ボウガンを取り落としていないことに安堵したのも束の間、ウィンファは追撃の気配を察知する。


 なりふり構わず地面を転がった。目の前に右拳が打ち下ろされ、土を固めた闘技台リングの床を容易に抉り取っていく。



「(あれがもし私の体だったら……)」



 ウィンファの背中はびっしょりと汗をかいているのに、試合前に感じていた暑さは一切ない。冷や汗だった。だが必死に避けたのは無駄ではない。舞い上がった土くれがテレザの顔を襲い、一瞬だがその足が止まる。


 その隙に間合いを離し、引き金を引く。



「喰らえっ『輝杭ブライトネスパイク』!」



 十八番の3連射で、狙うは顔、脇腹、膝。顔に当たれば致命傷、それを避けられても、確実に戦闘に支障をきたす箇所を狙った。付加術エンチャントによって精密さと威力を数倍にまで高められた矢は真っすぐに目標へと向かう。


パシッ ギィンッ



「……は?」



 ウィンファの声は、何が起きたか分からなかったからではない。


 何故そんなことができるのか。



「イメージ通りの軌道、速度ね」



 ボウガン使いとして戦ってきたウィンファ、これまで矢を避けられたり術式で防がれた経験は当然ある。

 だが、発射した幻素エレメントを纏った矢をなど、想像だにしていなかった。



「飛び道具の欠点はこれよね。投げ返されるってこと――『熱杭ヒートパイク』!」



 テレザがおもむろに矢を振りかぶり、幻素エレメントを乗せて投げつける。驚愕より先にウィンファの体は危機を察知、転がるように真横へ走る。少し離れた闘技台リングの床が爆発で吹き飛んだが、その威力に見とれている場合ではない。開幕と同様の術式で地面を蹴り、テレザが再び間合いを詰めてきている。闘技台リングの縁を必死で逃げ、矢を放つ。



「それは、あなたのスタイルじゃないでしょ?」



 だが本来の攻撃的な姿勢とはかけ離れた逃げ腰の射撃は、虚しく相手の背後へと通り抜けるだけ。易々と接近を許してしまった。



「とどめよっ!」



 テレザが紅蓮に輝く拳を振りかぶり、必殺を期して右ストレートを繰り出す。



「(やっと来た!)」



 回避しつつ、ウィンファはそれを待っていた。一見派手で強力な攻撃だが、その大振りゆえに付け入る隙がある。右に上体を捻り、懐へ潜る。そして相手の薄い鎧に銃口を押し付けるようにして引き金に指をかけた。



「これで、逆転――」



 そこで、ウィンファの時間が止まった。


 引き金は、引かれることなく。ウィンファの横を通過するはずの右拳もいつまで経ってもやって来ず。代わりにテレザの左フックが、カウンターのために踏み出したウィンファのこめかみを静かに叩いていた。



「想定通り。良い試合だったわ」



 打たれてから数瞬の後、ウィンファの時間が動き出す。


 まずボウガンが手からこぼれ落ち、地面が急速に近づいてくる。それが見えているのに、手は全く動かずそのまま地面へと崩れ落ちた。そして側頭部の激痛と全身に走る痺れ、激しい耳鳴りの中おぼろげに聞こえた相手の言葉から、ウィンファは自分が何をされたのかを悟った。


 大振りの右は囮、ウィンファが反撃に出てくるところを逆に読んで左フックのカウンター。テレザは圧倒的な優勢の中であえて分かりやすい隙を見せて誘った。逆転の1撃に賭けるしかないウィンファは、完全に術中にはまっていたのだ。



『カウンターが入って――即座に審判が両手を交差! ウィンファ選手も終盤粘りを見せたが、終わってみればテレザ選手、無傷の完勝! 優勝一番人気の看板に偽りなし!』



 詳細は聞こえないが、実況の断片に対して無性に腹が立つ。あれはウィンファの粘りなんかではない。テレザの意図通りに動かされていただけだ。



「……っ!」



 が、地面に苛立ちをぶつけようにも文字通り指一本動かせない。テレザは、敗北の悔しさを表現することすら許してくれなかった。ピクリともできないウィンファを見て、審判が担架を要請したらしい。少しずつ明瞭になってきた聴覚に足音、そして意識の有無を確認する声が届く。

 どうにか動く眼球と瞼で意識があることをアピールすると、まだ闘技台リングにいたテレザも安堵の表情を見せた。



「大丈夫?」


「……」



 大丈夫なわけないだろう。未だに全身の痺れが取れないので、目でそう答えてやる。とはいえ、あんなゴツい籠手で器用に優しく殴ったものだ。もし振り切られていたら、ウィンファは血剣宴グラディウスどころかこの世から脱落していただろう。



「想像通り動きも速かったし。腕利きね、あなた」



 嫌味か? もう耳はちゃんと聞こえてるんだぞ。ウィンファのそんな思いが届いたのか、テレザは慌てて否定した。



「嫌味じゃなくて。試合前にあなたの動きを想像して、そのイメージ通りに立ち回ったの。大体そのイメージって大げさになるんだけど、今回は綺麗にハマったから」


「……そう」



 やっと、それだけ絞り出した。テレザの発言はつまるところ、ウィンファの力量は完全に把握されていた、ということ。


 悪手を見逃さず攻めてくるが、こちらがしっかり逃げれば躱せる程度の攻撃しかしない。そして、こちらの良い攻撃を誘い出す。まるで指導碁だ。侮られていたわけではないようだが、悔しいことに変わりはなかった。


 やっと回復してきた口を動かす。



「私。まだ、強くなれそうだよ」


「当然。来年、また会えると良いわね」


「出るの?」


「今回、思いのほか楽しかったから。前向きに検討中」


「そっか……次は負けないよ」



 そう宣言するウィンファの表情に先ほどまでの苛立ちはなく、リベンジに燃える瞳が真っすぐにテレザを見据えていたのだった。

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