5-5 劇勝の蒼、汗と筋肉

 一向に衰えないヤンの攻勢に辟易したように、テレザがついに足を止めた。



「ったく。効かないってのはそういうことね……」


「覚悟は決まったか?」



 嘲りと同時に繰り出されたヤンの凶悪なつま先を肘で凌ぎ、間合いを空ける。逃げはこれで最後だ。



「あの子の手前、綺麗に勝ちたかったけど……私が甘かったわ」



 そうごちたテレザの表情は、焦燥と屈辱に歪んでいた先ほどから一転。ひどく穏やかで、血で血を洗う闘争の中で異彩を放つ。



「でも、あんたも不運ね。何かは知らないけど、相当身体に負担かけてるんでしょ」


「……?」


「灰も残さず滅すべし。仇なす者、その魂に至るまで――『蒼炎コバルトフレア』」



 静かな詠唱から、籠手の炎が揺らめく。それは、今までのどんな炎とも違う――吸い込まれそうなほど深く、蒼い炎だった。



『熱っ!? 突然闘技台リングが灼熱に包まれた! 一体何が起こっているのか! 審判が慌てて私の方へと駆けよって来て――何? 避難なんかしねえよバカ!』



 高熱にさらされながらも実況を続けるつもりらしい。見上げた根性だ。テレザはゆったりと相手に歩み寄りながら、手刀を構えた。



「私が相手じゃなけりゃ、勝てたのにね」


「色が変わったから何だよ。さっきまで俺の蹴りにビクビクしてた奴がよお!」



 黒焦げの皮膚と、異常な太さに発達した手足。もはや元が人間だったと言われても信じられないだろう。そんな状態になってもヤンは元気よく叫び、涎をまき散らしながら蹴りを繰り出した。



「……今の私には、触らないほうが身のためよ」



 シュッ


 マッチを擦るような軽い音がして、ヤンの足が

 テレザの籠手に皮膚の残骸が巻き付いて、脂の焦げる嫌な臭いと煙が立っている。



「なっ――」



 ヤンが驚愕し、バランスを崩して地面に尻もちをつく。傷口は真っ黒に焦げており、出血も一切なく溶断されていた。病属性幻素ディザーズエレメントの効果で痛みはないが、ショックで言葉も出ないまま、蒼い噴煙を見上げる。



「触らない方が良いって、そう言ったでしょ?」



 蒼炎を携えた手が、ヤンの顔の前にかざされる。彼女の切り札、『蒼炎コバルトフレア』。極限まで圧縮された炎属性幻素フレアエレメントは、触れずとも近くにいるだけで相手の存在を脅かす。

 高熱で顔の皮だけでなく目の奥の網膜までが焼け、元々おぼろげだったヤンの視界が完全にゼロになる。足を落とされて逃げられない、暴れようにも炎に当たれば手足が溶け落ちる。できない。

 ヤンは、テレザの顔が穏やかになったわけを今更悟った。彼女は既に、。何をされようが、彼女の炎はただ一方的に燃やし尽くすのみ。


 そんな相手に、テレザは最後通告を出した。



「さて、どこ触られたい?首から上なら一瞬で楽になるけど、お葬式で誰か分かんなくなっちゃう。あ、それは今もそうか」


「ひっ――」



 ヤンは怯えた声を出す。すぐそばに、いつやって来るかもわからない死が転がっている。しかも自分はそれを見ることも、感じ取ることすらできない。痛覚がないのが災いしてしまった。

 死はいつ来る? 次の瞬間か? それとも10秒後? 不安が一瞬で脳のキャパを超え、ついに大声で命乞いをした。



「降参っ、降参だ! 殺さないでくれ、頼む」


「賢明……なのかしらね」



 テレザの拳から炎が消え、闘技台リングには余熱が残るだけとなった。



「ぐっ……グェッ、ヴぅぅう!」



 戦いが終わった途端、病属性幻素ディザーズエレメントはただの病魔としてヤンの体を苛む。塗炭の苦しみにもがき始め、すぐに審判と医療班が駆けつけ、ヤンを担架に乗せて運びだした。……助かる見込みは薄そうだが。



「……ギブアップしてくれて良かった」



 闘技台リングから平然を装って退場し、周囲の人気を確認して籠手を外す。その内側から火傷で赤く腫れた肌が現れた。

 全身全霊で燃やす炎は、自身すら薪とする諸刃の剣。おいそれと使えるものではない。



「さ、あの子のお世話になりましょっか」



 とりあえず、勝ったのでよし。テレザは無理矢理気分を切り替えた。










 控室にて。テレザはシェラによる手当てを受けていた。


『さあ第2試合! 2戦続けての大物食い《ジャイアントキリング》に燃える挑戦者を、人気3番手の色男がどう受ける!?』



 第1試合の余熱をそのまま貰ったかのような実況の元気さに、軽く呆れる。



「いやーすごいわね。あの試合の後に普通に実況できるなんて」


「動かないでくださいっ」


「怒んないでよ、勝ったんだし良いでしょ?」


「心配する方の身にもなってくださいね?」



 案の定、シェラからは叱られた。確かに、試合前あれほど余裕をかましておいて怪我をするなどみっともないにも程があろう。しかしシェラは、軽度ならば火傷も打撲も問わず治療できるほど腕を上げていたらしい。頼もしいことだ。



「おう、お疲れさん。大変だったな……負けちまうんじゃないかと焦ったぜ」



 わざわざテレザに話しかけに観客席から移動してきたらしい。オーガスタスの声がした。本気で心配そうな声音に、首を竦めて返す。



「辛勝だわ……私もまだまだね」


「いや、ありゃ誰でもああなるさ。にしても、あの技にはたまげたぜ」


「そうでもないわ。制御にも持続にも難があるし……って、あんまり聞かないでくれる? 喋っちゃうでしょ」


「はっはっは! 意外と素直に喋ってくれるもんだな」



 オーガスタに釣られ、テレザにも笑みが広がる。ともかくこれで準決勝進出。あと2つ勝てば、報酬は満額の金貨50枚に達する。何に使おうか……と皮算用を立てる内、治療が終わった。



「はい、終わりましたっ」


「ありがと、シェラ」


「大事なさそうで何よりだ。じゃあ、観客席で観戦と洒落こむか」


「ええ、そうね……あら?」



 テレザが立ち上がった途端にわっと歓声が上がり、実況の叫び声が聞こえてきた。



『あー挑戦者、開始20秒でノックアウト! これが実力差だと言わんばかり、クラン選手悠然と闘技台リングを後にします!』


「もう終わったのか……クランなあ。あいつ、何か気になるんだが」



 オーガスタスがマジかよ、と言わんばかり肩を竦める。彼は勝ち進めば、準決勝でクランとぶつかる。少しでも動きを見ておきたかったのだろう。とはいえ、終わってしまったものは仕方がない。



「明日終われば、1日休みでしたよね?」



 シェラがぽつりと言う。



「そうね。私たちは中2日になるから、日程的には有利かも」


「どのみち準決勝と決勝は2日連続だ、そう変わりはねえよ。じゃあ、俺は明日に備えるわ」



 2人の猛者の反応はそれぞれ、自信に満ちてたものだった。



「明日は観客席から応援するわね」


「が、頑張ってくだ、さい……?」



 一応敵という立場ゆえ、繊細な少女の応援の言葉は疑問形になった。



「はっはっは! ありがとさん」



 豪快に笑ってオーガスタスが去っていく。2人も、試合が終わればここに用は無い。さっさと寝床に戻ろうとして、呼び止められた。



「丁度良かった。少し、良いですか」


「何の用よ、執務長」



 声の主はノエル。いつになく真剣な表情に、テレザも気だるい表情を引っ込める。



「先ほどのヤン選手について、話しておきたいのです。病属性幻素《ディザーズエレメントについて」


「何それ?」


「実は――」



 病属性幻素ディザーズエレメントについてノエルの話を聞いたテレザは、ふむふむと頷きながら戦いを振り返った。



「痛覚の遮断で私の炎を耐え、筋肉の増強で無理矢理体を動かしてた、と……絶対に精神論とかじゃないとは思ったけど、幻素エレメントだったのね。納得したわ」



 神妙な顔でノエルが謝罪する。



「申し訳ありません。まさかあんなものを持ち出す者がいるとは予想外で……未知の幻素ゆえ使用規制もかけておらず、危険な目に遭わせてしまいました」


「謝らないで。血剣宴グラディウスよ? 参加した段階で危険は承知。そんなことよりお風呂の使用規制を――」


「とにかく、彼の用いていた幻素に関しては以上です」



 どさくさに紛れて風呂の使用制限の撤廃を掛け合ってみたテレザだが、何事もなく流された。他のことを聞いてみる。



「……あのヤンって人、助かりそうなの?」


「分かりません。病属性幻素ディザーズエレメントの影響に加えて、肉体的な損傷も激しく……今のところは生きている、としか」


「そっか。……大分、躊躇なく焼いちゃったものね」


「それこそ、あなたが気に病む必要はありません。危険を承知で『最強』の栄誉を得たい――それが血剣宴グラディウスでしょう」



 先ほどの言葉をそのまま返された。鼻を鳴らすと、ノエルが最後にもう1度頭を下げる。



「あなたの働きで大会も大いに盛り上がり、本当に感謝しています。準決勝以降も、活躍をお祈りしています。それでは」


「な、何? どうしたの?」


「深い意味はありませんよ。そのまま感謝を伝えただけです」



 そう言ったノエルは普段の穏やかな笑顔に戻っている。踵を返した彼を見送り、テレザはシェラの顔をまじまじと見る。



「今のどう思う?」


「素直に受け取ったらダメなんですか……?」










 翌日。相変わらず雲一つない青空から真夏の日差しが照りつける。乾いた風が砂を噴き上げて観衆の熱気と交わり、闘技場コロセウムはじっとしているだけでも汗の噴き出るほどの暑さとなっていた。


 本日は準々決勝の2日目、いよいよ4強が出揃う。テレザとシェラは貴賓席でノエルの隣を確保し、試合開始を今か今かと待ちわびていた。汗でずり落ちる眼鏡を直しながら、ノエルが楽しそうに問いかける。



「さて、テレザさん。どんな試合になると思います?」


「んー……良い試合になるとは思う。でもどっちが勝つにしろ、その消耗度合いによっては決勝の相手が変わるかもね」


「ご自身の決勝進出は既に決まっている辺りが流石ですね……昨日のクランという騎士が、気になりますか?」



 運営側なので当然だが、ノエルはクランのことをある程度知っているようだった。



「そ。どこから見つけてきたわけ?」


「さあ? 私も、棟梁の人脈をすべて把握しているわけではありませんから」


「やっぱり、ここに住んでる人じゃないんですね」


「やっぱりとは、どういうことです? シェラさん」


「あっ。えっと……」


「良いのよシェラ、身なりの綺麗な奴が住むところじゃないのは本当なんだから」



 テレザが正直者シェラの頭を撫でると、ノエルは苦笑いした。



「まあ、今から試合をするオーガスタスさんの方が、よほどこの都市に相応しいのは否定しません」


「本人が聞いたら泣き崩れそうな評価ね」


「おや? 褒めているのですが……」



 他愛ない話をしていると、控室から闘技台リングへ続く通路の出入り口に人影が見えた。



『さあ準々決勝の後編、今日の2試合で4強が出揃うぜ!実況は昨日の火傷でまだケツが痛いこの俺だ!』


『引っ込めー!』


『お前は休んでて良いぞー』


『女の実況者出せよー』



 相変わらず元気な実況で会場に笑いと野次が起こる。だがこれが毎年恒例の儀式なのだろう、会場全体がいよいよ試合開始という雰囲気に変わった。



『よっし会場の皆も暖まったな? いやもう日差しでボンボンになってるか!? ともあれお待ちかね、熱く滾る漢たちの入場だ!』



 盛大な煽りと共に、両選手が闘技台リングで向かい合う。一方はオーガスタス、今日もドでかい戦槌バトルメイスを肩に担いでの入場だ。対するは選考を担当していた5人のうちの1人、分厚い大剣を背負ったこちらも巨漢。アーノルド・アレッセイという名の傭兵で、ノエル曰く鉄血都市でも屈指の力自慢らしい。


 パワーファイター同士、さらに扱う幻素まで同じ金属性元素メタルエレメント。互いに通じ合うものがあったのか、視線が交わると笑みがこぼれる。真夏に相応しい熱戦を予感させた。



「両者、元の位置!」



 拳をぶつけ合う挨拶の後、開始位置で構える。



「いざ尋常に――始めっ!」



 沈められた巨体がバネのように跳ね、2人は相手に向かって同時に武器を振りかぶる。



「おぉっ!」


「らぁっ!」



 真っ向勝負。


 鈍色の輝きを纏った武器が両者のちょうど中間でぶつかり、文字通り火花散る力比べとなった。渾身の力で押し込む両者に、見ている側も力がこもる。



「いきなり勝負所ね……!」


「ここで押し勝ったほうが優位に立ちますね」



 テレザが思わずそうこぼし、ノエルがそれを肯定した。



「そう、なんですか?」


「勝負には流れってのがあるわ。あの2人はお互いに真正面から力で押すタイプ。こういう力勝負で負けると、それだけで『相手より下』だと格付けされちゃうの」



 シェラにそう解説する間にも、力比べは互角のまま続行されている。引き技など使うことも、使われることも考えない。全身全霊全筋力を込めて押し続ける。

 力押しは両者の意地であり誇り《プライド》、引いたら敗けだ。



「……うらっ!」


「っしゃあ!」



 図ったように同時に武器を払い、両者とも飛び退いた。たった1合の攻防で既にびっしょりと汗をかいている。両雄譲らず、力勝負は引き分けとなった。



『……互角! 力は全くの互角だ! 果たしてこの勝負、どんな決着を見るのか!』



「流石に驚いたわ。オーガスタスと腕力で張り合うなんて」


「こちらのセリフですよ。アーノルドさんと、単純な腕力で伍するなど」



 観客たちは早くも立ち上がって声援を送っている。比較的冷静なテレザ達3人も、清々しいほどの力と力のぶつかり合いに高揚は隠せない。

 2人が再び真正面からぶつかる。今度は単純な力比べではなく、巨大な武器を自在に操って流れるような連撃。



『あ、当たらない!至近距離で振り回される即死の嵐、その全てを互いに当てさせない!』



 戦槌バトルメイスが胸板を掠め、大剣が脇腹を紙一重で通り過ぎる。顔を狙った大剣を鼻先で躱し、カウンターでカチ上げられた戦槌バトルメイスを剣を振り切った慣性で反転し避ける。

 激しい攻防の中で互いに呼吸を読み合い、攻撃にフェイントを織り交ぜながら必殺の一撃を虎視眈々と狙っていた。


 単純明快だったファーストコンタクトとは打って変わって息を呑む技術戦。両者が再び間合いを空けると、呼吸を忘れていた会場からため息が漏れた。ただのパワータイプではないことを存分に示してなお、両者にまだ目立った傷はない。



「中々やるじゃねぇか。俺の一撃を受け止める奴はそういないぞ」


「ギルドの幻導士エレメンター様も捨てたもんじゃねえな。俺と打ち合える奴は久々だ」



 互いに得難い好敵手を称えあう。しかし互角のまま続いている勝負だが、貴賓席の2人は、決着の気配を感じ取っていた。



「恐らく、次の攻防で決着ですね。これだけ際どい均衡、崩れるときは一瞬だ」


「あっつ……あの馬鹿デカい武器振り回して、よくここまで動くもんだわ」


「お2人は、どっちが勝つと思います?」


「……暑苦しい方、ですかね」


「武器持った方じゃないの?」


「分からないって、ことですね……」



 勝負の行方は、神のみぞ知る。


 暑さと緊張感で消耗が激しい。じりじりと間合いを計る両者の汗が地面に滴り、瞬時に蒸発していく。



「……ふー」



 一刻も早く試合を決めたいと逸る気持ちを、オーガスタスは武器を握り直し、息を吐くことで鎮める。そしてその気を吸収するように、戦槌バトルメイスがさらに厚みを増した。

 応えるようにアーノルドの大剣も輝きを放つ。得物を大上段に振りかぶり、同時に吼えた。



「「行くぞっ!!」」



 それ以上の言葉は不要。好敵手目掛け一直線に突進し、示し合わせたように全力で武器を振るう。


 衝突。そして一瞬の均衡の後、



「ぬおおああ!!」



 さらなる雄叫びと共に、オーガスタスがこの力勝負を制した。足を地面から引っこ抜かれ、アーノルドの分厚い体が宙を舞って闘技台リングを囲う砂地にダイブする。



『力と力の勝負で吹っ飛ばしたー! これは決まったかーー!?』



 実況の言葉は、嘘ではなかった。ゆっくりと歩み寄ったオーガスタスの目に、もう戦意はなく。また吹っ飛ばされたアーノルドも、意識はハッキリしているが起き上がろうとはしなかった。



「降参だ。全身全霊の打ち込みが跳ね返された……殴られるより効いたぜ」


「紙一重だったな。次は分からんさ」


「再挑戦……の前に、お前とは酒場で1杯やりてえな。イケるだろ?」


「はっはっは! 良いぜ、明日は休みだしな」



 2人の間でがっちりと握手が交わされると審判が両手を交差し、試合の終了を示した。



『今大会屈指の暑苦しいカード、勝ったのはオーガスタス選手! 今大会のベストバウトの1つであろう名勝負、盛大な拍手を送ってやろうぜ!』



 観客から拍手喝采が巻き起こり、2人が闘技台リングを後にした。

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