5-4 欲に敗れ、勝利を患う

 血剣宴グラディウス3回戦、第一闘技場ファーストコロセウムの第1試合。


 テレザが開始から猛攻を仕掛け、選考上がりの女傭兵を圧倒していた。必死に凌ぐ女傭兵だったが、ついに懐に潜られて万事休す。


 ドスンッと重い音と共に足が浮き上がり、一瞬息が止まるほどの衝撃が女傭兵の全身を突き抜ける。



『えげつないのが腹に入ったー! 挑戦者たまらず闘技台リングにダウンして……あーっと審判が両手を交差、試合終了ー!』



 実況が声を張り上げる。テレザの放った拳が深々と鳩尾にめり込み、一撃で続行不能にした。



「……ごめん、結構強めに打ち込んじゃった」



 テレザが、息も絶え絶えの女傭兵に手を差し伸べる。選考上がりでありながら3回戦ベスト16まで見事に勝ち進んだものの、テレザの操る炎と体術には手も足も出ず彼女の大会は終わった。



「負けた敵に出された手を受けるようになったら、傭兵もオシマイさ。ありがと、あの騎士と言いあんたと言い、良い経験になったよ」



 女傭兵はそう言って、ふらつきながらも何とか独力で立ち上がり、惜しみない拍手を背に受けて去っていく。勇敢な敗者を見送ると、テレザの目の前にニュッとインタビュアーが出てきた。



『観衆の皆、勝利者インタビューの時間だ!――さて、勝利おめでとうございます。圧倒的な勝ち上がりで8強へと進んだわけですが、今の気持ちと今後の抱負を!』


「えーっと……まずは勝ててホッとしてる。次からは、上位陣との戦いになるだろうし、今から楽しみよ」



 観客席が湧きたつ。この鉄血都市では目に見える強さは勿論、女――しかも美人であることが人気に直結する。その点テレザは満点と言って良く、大いに支持を集めていた。



「ありがとうございました!以上、勝利インタビューでした!」



 テレザが歓声に手を振りながら退場すると、



「人気者だなぁ」



 ゲートに背を預けていたオーガスタスに声をかけられた。やっかむような口調ではあるが、彼もその愚直な戦法と筋肉で、男とはかくあるべしという硬派な層から大人気である。



「私とあなたは、人気の層が違うだけでしょ?」


「俺も、普通に人気になりてぇんだが……」



 ただし本人がそれに納得しているかはまた別の話。オーガスタスはため息交じりに話題を切り替えた。



「まあ何にせよ、8強進出おめでとさん。まだ暖気運転って感じだな?」


「ありがと。今日はそれなりに強くて良かったわ。暖気運転すらできない相手が続いてたからね」


「ハッ。流石に1番人気様は余裕が違うぜ」


「そっちは大変そうね、今日勝ったら、選考担当者と3連戦でしょ?」


「ああ。だがお前さんに当たるまで、負ける気はねぇぞ」



 控え室に戻りながらこんな会話をしていると、2人の正面から次の試合の出場者が歩いてきた。前評判通りにいけば、次でテレザと当たるはずの招待選手である。

 流石にお喋りを中断してすれ違うと、そいつから明確な殺意が飛んでくるのをテレザは感じた。オーガスタスと2人でなければ、この場で襲ってきたかもしれない。それほど危険な雰囲気を孕んだ視線だった。


 オーガスタスが驚いて、闘技台リングの方を振り返る。



「おいおい、すげえ目だったぞ今……お前、何か恨みを買うことでもしたのか?」


「知らない。ここでそんな事気にしてたら暮らしていけないし、何なら何もなくても襲われることだってあるから」


「とんでもねえ街だな本当に」


「あなたみたいな見た目の奴が沢山住んでるからこうなってるのよ?」


「人を見た目で判断するんじゃねえよ……」



 俺は荒くれ者じゃないんだ。心優しき大男オーガスタスは悲しい顔をして嘆く。










 3回戦も終わり、準々決勝が出揃ったその日の夜。竜のドラゴネストの自室にて、テレザはシェラと共に次の対戦相手の対策を練っていた。


 大会もいよいよ後半戦。日程は明日から準々決勝で2日間、休憩日を1日挟んで、準決勝と決勝でそれぞれ1日ずつを残すのみとなっている。


 選考を担当した5人とオーガスタスは前評判通りの実力を見せつけ、優勝者もこの中から出るというのがもっぱらの予想だ。

 残る2人の招待選手。1人は3回戦を激戦の末、格上と目された相手を喰って上がってきた若い男。もう1人はヤンという名のベテランの傭兵で、テレザに強烈な殺気を飛ばした男。


 が、テレザの目は半分閉じ、やる気のないことを存分に示している。



「んー……戦い方がすっごい原始的ね、こいつ」


「近づいて殴りつけるだけ、ですよね。それで勝てちゃうのですごいですけど」


「相手が弱かったんじゃないのー?」


「もうっ、真面目に考えてください! 次の対戦相手が3回戦で何したか忘れたんですか!?」



 シェラがむくれる。彼女はノエルと共に試合を観戦し、各選手のデータを集めていた。このヤンは3回戦で、対戦相手に再起不能の重傷を負わせている。心配も無理からぬことであった。

 

 だがテレザは変わらない調子で続ける。



「心配してくれるのは嬉しいけど、本当に負ける気はしないのよね……近づかなきゃ何もできないくせに、そう足が速いわけでもないんでしょ? 私なら、焼いて終わりそうだし」



 テレザは、自分の実力に圧倒的な自信を持っている。シェラから試合の情報を聞いたうえでなお、それが揺らぐことはなかった。



「明日もあるし、もう寝ましょ。対策を練り過ぎて翌朝寝不足じゃ本末転倒だし」


「……本当に、気を付けてくださいね」


「うん。心配してくれてありがと」


「怪我しても、私じゃ治しにくいのもありますから」


「分かってるって。今からあーだーこーだ考えても仕方ないから、おやすみ。……ね?」



 不安げに揺れる群青色の瞳をじっと見つめ、テレザは愛おしそうにその頬を撫でた。










 翌日。第二闘技場セカンドコロセウムにて。



『いよいよ血剣宴グラディウスも後半、準々決勝の始まりだ! 第1試合は昨日に続いて、桃髪の可愛くて憎いあいつがやって来た――選手入場!』



 実況の煽りに苦笑いしながらテレザが闘技台リングに入ると、会場がまるで勝利後のごとき盛り上がりを見せる。それに対してヤンはメリケンサックを手に、静かに闘技台リングへと上がった。その目はテレザを見据えたまま、瞬き1つない。


 実況による両選手の紹介する間、テレザは不意にヤンから話しかけられた。



「お前、優勝する気あるのか?」


「……は?」



 あまりにも答えが分かり切っていて、数秒ほど疑問だと気づけなかったほど不可解な疑問。当然こう答える。



「あるに決まってるでしょ」


「なら、何故相手を殺さない?」


「殺すまでもないでしょ。動きを奪えれば勝ち――」



 上体を逸らす。一気に踏み込んだヤンが、テレザの顔目掛けて拳を打ち込んできた。まだ試合開始前、当然違反行為である。



『ああーっと、これはいけない! すかさず審判が厳重注意します』



 客席からも大量のブーイングが飛ぶ。しかし本人はどこ吹く風、反省の色は見られない。その様子を再び審判に見咎められるが、テレザが口を挟んだ。



「良いわ、さっさと始めてちょうだい」


「よ、よろしいんですか?」


「競技者が良いって言ってるんだ、とっとと始めろグズ」


「っ。分かりました。では、両者、元の位置!」



 無礼者と拳は合わせず、テレザは開始位置に立つ。



「では、いざ尋常に――始め!」



 審判の手が振り下ろされると同時、テレザは珍しく炎を放って距離を取った。シェラの情報によれば、ヤンは接近戦しかしてこない。ならば距離を取って、炎で焼いていればいつかは力尽きる。



「――とでも思ってんだろ」



 ヤンの声を聞き、不意に耳鳴りのような嫌な感覚がテレザのこめかみに走る。咄嗟に後ろに大きく飛び退くと、



『ヤン選手炎の中に果敢に突っ込んだが、あと1歩届かず! 無理矢理接近した代償は大きそうだが、果たして大丈夫か!?』



 実況の言葉通り、払った代償は安くはない。治癒しているのかと思ったが、そんな様子もない。痛みはないのか? 訝るテレザに、ヤンはふてぶてしい笑いを見せた。



「良い勘だな」


「どういうつもりよ。死にそうになっても私の炎は加減できないわよ?」


「そんな期待はしてねえよ。ただ……お前の炎は効かねえ。今ので分かった」



 そんなバカな。現実にヤンの体は火傷だらけだ、決して軽傷ではない。あんな突撃に何の意味が――と、テレザに深く考える暇はなかった。



「オラ行くぞ!」


「ちっ!」



 テレザは最初と変わらず炎をばら撒き、距離を離し続ける。ヤンは炎の中を走り回って追いすがるが、立ち回りはやはりテレザの方が2枚も3枚も上手だ。決定的なピンチもなく、ただただヤンの体が焼け爛れていくだけ。



『あと1歩が遠いヤン選手! ローストされて変わり果ててしまったその姿、果たして勝機はあるのか!』



 リプレイのような攻防を繰り返した末、両者の動きが少し止まった。いや、テレザが思わず待ったをかけたのだ。



「……どうなってんのあんた、何で動けるわけ?」



 圧倒的に試合を支配しているはずなのに、その表情は随分険しい。傭兵の傷はとうに戦闘を継続できるものではないはずだ。炎を払い続けた拳は高熱に晒されて炭化している部分があるし、髪も焦げて酷い臭いが漂っている。顔も水膨れでパンパンに膨らんでいて、目がしっかり見えているかも怪しい。


 どんなからくりで動いているのか分からない。そして、動けるからと言って当たりもしない大振りを繰り返すのは何故だ?



「だから言ってんだろ。。こんな殺す気のない炎じゃ、俺はいつまで経っても倒せねえ」


「……?」


「分かんねえか? ならお前も、昨日の奴と同じ目に遭うぜ」



 そう言ってヤンは、再び馬鹿正直に突っ込んでくる。重傷の身で動き回る相手に些か以上の恐怖を抱きつつ、テレザは右にステップを踏んで突進の軌道から外れ――



「行くぞ――『狂犬マッドドッグ』」



 きれず、顔に若干の痛みを感じた。手をやると、やはり鼻から出血している。



『ヤン選手の左フックが浅くヒット! 人間離れの強さを見せてきたテレザ選手、血はちゃんと赤いんだな!』


「余計なお世話よ」



 実況にツッコミを入れながら、テレザは考える。今明らかに、ヤンの動きが良くなった。だが何故か分からない。あの傷で何故これまでより動けている?



「驚いてる暇はねえぞ!」



 狂った笑顔で顔をゆがめたヤンが大振りの右フックを放つ。テレザは敢えてかわさず、腕を交差してガードした。が、



「っ、重い……!」


「おらぁ!!」


「ぐっ!」



 構わず腕を振り切られ、こらえきれずに体勢を崩しながら後退させられた。さらに追撃の蹴りが、拳がめったやたらに繰り出される。どれもガードの上からでも肉を打つ重い一撃で、あっという間にテレザは防戦に立たされた。


 ただの付加術エンチャントでこうはなるまい、間違いなく他に何か、強力な術式の恩恵を受けている。



「オイオイ何してんだ、やべえぞ!」



 今日は試合のないオーガスタスが焦る。彼もまた、ヤンが突如強化された理由は分かっていない。どころか、この会場中でそれを知る者は、ヤン本人の他には殆どいなかった。



「あれを使ってまで勝ちたいと、そういうことですか……」


「あれ、とは?」



 試合を最早見ていられず、顔を伏せて涙目になっていたシェラが、今日も今日とて共に観戦していたノエルから興味深い言葉を聞く。



「彼を強化している術式、心当たりがあります。非常に希少、かつ危険な幻素エレメントでして、まともな頭をしていれば手を出したりはしませんが――その名を『病属性幻素ディザーズエレメント』。その身に宿した者を病に侵す代わり、驚異的な力を与える幻素です」



 病属性幻素ディザーズエレメントは通常の幻素エレメントとは異なり、人体に元から存在するものではない。後天的に体内に侵入することで、初めて幻素としての効果を見せる。

 無論、シェラにとっては初めて聞くものだった。



「病に、侵す……」


「そのままですよ。この幻素を取り込むと、様々な病の症状が起こります。そしてその深刻さに応じた力が与えられる。術者の体が幻素に屈服し、朽ち果てるまでね。昔、とある地域で流行った病を調べてみたらこれだった、なんてこともありました」



 2人の視線の先では、テレザがヤンに圧倒的な劣勢を強いられていた。ノエルの見立てでは、あのヤンにもたらされた恩恵は、筋肉の異常発達と痛覚の遮断と言ったところ。炎熱は感覚がないので中々効かず、得意の体術も筋力差で無理矢理覆される。テレザにとっては最悪の効能だ。


 回し蹴りを自ら飛んで威力を殺し、着地を狙った右フックが当たる瞬間、首をひねっていなす。テレザは卓越した技量で、どうにか致命打を避け続ける。

 打撃では仕留められないと思ったか、ヤンが掴みかかる。間一髪で剛腕をかわして炎の弾幕を張るもののヤンは炎を意に介さず直進、間合いを強引に詰めてきた。



「良い格好じゃねえか! ハッハーッ!」



 ラリアットから両腕で胸を庇い、また吹き飛ばされた。直撃ではないにも関わらず、テレザの手足にアザが浮き始め、ヤンは哄笑した。会場も番狂わせの予感で大いに沸き、流れは完全にヤンに味方していた。

 シェラがいよいよ焦った顔でノエルに尋ねた。



「で、でも病ってことは、当然体に負担がかかるんですよね?」


「テレザさんを圧倒するほどの力、その代償は凄まじいはず。ですが……彼の絶大な身体強化は幻素の恩恵によるもの。戦闘を続ける限り、朽ち果てることはない。かなり不利な状況ですね」



 ノエルは冷静に、絶望的な分析を述べた。ルール上、使用禁止にはしていなかったので咎めようもない。



「まさか、こんな危険物を持ち出す者がいようとは……というか、どこからどうやって手に入れたんでしょうか。効果以外は殆ど何もわかっていないのに」


「な、何とか止める方法はないんですか!?」



 ノエルは単純明快な答えを返した。



「幻素はあくまでも幻素。術者の体を完全に破壊すれば止まります」

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