第2章 夢への一歩

2-1 テレザの安静、シェラの奮起

 熊の討伐から一夜明けた。太陽もすっきりと目覚め、街が人で賑わい出す頃。


「『獣が村を襲撃。馬1頭が死に、村人に3名の負傷者を出す。村からの依頼を受けて錬鉄Ⅰ級4名からなるパーティが討伐に向かったが、1名が瀕死の重傷、1名が森の中へと連れ去られ、壊滅。帰還した2名の証言から件の獣は通常のフォレストベアではなく、魔物ウォーグリズリーとの混血、交雑熊ハイブリッドベアであることが発覚』……っと」



 ギルドの休憩室で、さらさらとフィーナがペンを走らせる。書いているのは、今回の交雑熊ハイブリッドベアによる被害の報告書だ。その様子を見守るのは、実際に交雑熊と交戦した7人。時折彼らに当時の状況を尋ね、より詳細な報告書にしていく。



「『付近の森で依頼を遂行していた麗銀級と緑青級の2人組との遭遇が予想されたため、麗銀級3名からなるパーティを急遽派遣した』……ここまでは私も把握しているんですが、実際に討伐した流れをお願いできますか?」



 視線と質問を振られたテレザが答える。



「まず、遭遇したのは私達2人ね。モリキノコの群生地に到着したんだけど、そこで奴を発見したの」


「ふむふむ」


「で、私が対峙してる間に、この子にギルドへ連絡してもらおうと思ったんだけど――」


「そこに、俺たちが駆けつけたってわけです」



 テレザの左隣に座っていた、オーガスタスがずいっと身を乗り出した。縦横に広い彼にそうされるとテレザとしては物理的に肩身が狭いのだが、渾身のキメ顔から行動の理由は察せたので何も言わないでおいてやる。



「……はい、それで」



 慣れているのか、熱苦しい視線をフィーナは軽く受け流した。がっくりと脱力したオーガスタスへのフォローは……カミラの苦笑いを見るに必要なさそうだ。



「あとは私に代わって、3人が討伐してくれたわ。怪我人は誰も……」



 どさくさに紛れて負傷の話を流そうとしたテレザを、カミラが遮る。



「いいえ、テレザ殿は熊に瀕死の重傷を負わせ、代償に怪我を悪化させています。虚偽報告はいけません」


「ぐっ」


「分かりました、ノラ先生に報告します。それでシェラさん、大丈夫ですか……?」



 心配そうにフィーナが見つめる先には、先ほどから椅子の上でぷるぷると震えているシェラの姿があった。



「お、お気遣いなく……。全身が、筋肉痛なだけなので……」



 引きつった笑顔のシェラが、大したことではないとアピールする。朝一からシェラに違和感を覚えていたテレザは、納得したように苦笑いを漏らした。



「馬車の中から動きが変だと思ったら、そういうことね」


「朝一番は緊張で何も感じなかったんですけど。ギルドへ帰れると思ったら、バキバキーって……」


「そういうことですか……。シェラさんのことも一応、伝えておきます。湿布くらいなら出してもらえるでしょうから」


「あはは……。ご心配、おかけします……」



 フィーナの気遣いが逆に辛い。体力をつけよう、とシェラは誓った。



「えー、では最後に……『モリキノコの群生地に、予測通り交雑熊が出現。居合わせた麗銀級1名が熊に重傷を負わせるも、自身も負傷。その後救援に入った麗銀級3名により、完全に討伐された。今後、間違った情報で依頼を出さぬよう、対策が求められる』報告書はこのような感じですが、いかがでしょう」



 書き上がった報告書をフィーナが見せる。彼女の顔立ちを表すように端整な文字で、内容的にも特に不備は見当たらなかった。7人が頷くのを見て、フィーナは満足そうに解散を宣言する。



「ではこれでマスターに提出させていただきます。緊急事態でしたが、お疲れ様でした。あ、お医者さんが来るまで、お2人はこの部屋から出ちゃダメですよ?」



 怪我人のテレザと貧弱なシェラに待機を命じ、ふんわりと笑ってフィーナは通常業務へと戻っていった。



「じゃ、俺たちも行くか。名指しの依頼が来てるかもしれん」



 オーガスタスたち3人も多忙の身だ、さっと立ち上がる。



「そうしよう。……君たちは、どうする?」



 カミラが、2人の男幻導士を気にかける。その言葉は今日の予定などではなくもっと先、幻導士エレメンターとしての身の振り方を聞いていた。ピクっと反応した生き残りの2人のうち、パーティリーダーだった屈強な男が声を絞り出す。



「……俺たちは、しばらく幻導士の仕事はやめだ。小さい頃からずっと4人一緒で、幻導士の昇級もそうだった。でもこいつの階級はこの先ずっと、錬鉄Ⅰ級から変わらねえ」



 リーダーの手には遺品として持ち帰られた、血染めの階級票が握りしめられていた。



「怪我が治ったから僕らだけ先へというのは、難しいです」



 隣に座る眼鏡の幻導士も声を震わせる。カミラはそれに頷き、優しく声をかけた。



「……そうか。まずはゆっくり休むと良い。もう1人の早い回復を祈っているよ」


「ああ、ありがとう」



 リーダーの男の礼を受けると、麗銀級の3人も酒場へと戻っていく。そしてすぐに、



「俺たちは仲間の容体を見てくるから、これで」


「お達者で」



 生き残りの2人も部屋から去っていった。その背中にシェラは何か言おうとして、結局口をつぐむ。


 かける言葉など、見つからなかった。



「……何て言ったら、良かったんでしょう」



 背後でドアが閉まったのを確認し、テレザにぽつりと聞いてみる。



「あの2人からしたら家族を失ったようなもんだろうし、私たちが掛ける慰めの言葉なんてないんじゃない?黙って見送ったのは正解だと思う」



 答えはきっぱり、なしということだった。テレザは続ける。



「不慮の死って、幻導士エレメンターの世界じゃ珍しくないわ。毎日誰かがそうなってる。次は私たちかもしれない」


「最初に安全確認を教えてくれたのは、そういうことだったんですね」


「ええ、危機を前もって察知できるようにって。流石に嗅覚や聴覚は急には身に付かないけど」


「それは……ひたすら生きて、慣れるしかない、ですか」


「そうね。でもまずは体力づくりからよ」


「ひゃんっ!」



 ペシっと背中を叩かれ、シェラの体に鈍い痛みが駆け抜けた。お返しに脇腹をつついてやろうかとも思ったが、ただひ弱なだけのシェラとは違って本物の怪我人なのでやめておく。


 ……それを分かっていて、反撃されないと思ってやっていそうなのはこの際気にすまい。



「何だい、随分と元気そうじゃないか。私だって暇じゃないんだよ」



 フィーナから連絡を受けた鉱妖人ドワーフの老医者、ノラが愚痴りながら入ってきた。



「受付の姉ちゃんから聞いてる。桃色の髪したあんたは脇腹だって?。そっちの新米は、ただの筋肉痛かい……湿布つけて寝てな! お代はいらないよ、こんな端金、貰ったって仕方ない」


「あ、ありがと、うっ! ございます……」



 湿布を押し付けられたシェラがぎくしゃくとした足取りで部屋を後にすると、ノラはテレザの患部をおもむろに触る。彼女の反応を見て渋面をさらに渋くした。



「あんた、良く我慢してたね」


「……そりゃどうも」


「褒めてないよバカ」



 テレザの首筋には、脂汗が滲んでいた。ノラは舌打ちし、服を脱がせる。年相応に優美な曲線を描き始めている体、その脇腹に黒く大きな痣ができていた。



「過去に受けた傷がぶり返したと思ってるみたいだが、違うよ。治りかけの組織を無意識に庇って、他の場所を痛めてる。……はっきり言って、土属性幻素ガイアエレメントの私じゃ復帰に相当時間がかかる」



 幻素エレメントにはそれぞれの特性に応じた得手不得手が存在する。

医療用の術式で例えれば、土属性幻素ガイアエレメントは裂傷には強いが、打撲や肉離れなどの内出血の治療には向かない。


 そして『重属性不活性の法則』という大原則がある。端的に言うと『1人が扱える幻素の属性は1つだけ』ということ。

 理由は、幻素に加護を授けた神々の力が1人の人間の中に1つしか存在できないためらしい。種族によって属性の傾向は偏りがあり、例えば鉱物や鍛冶に強い鉱妖人(ドワーフ)の幻導士には金属性、土属性幻素を扱う者が多く、森妖人エルフの幻導士ならば、住んでいる森に関連して水属性や木属性の使い手が多い。


 とはいえ個人の資質が最も大きく、夢に情熱を傾ける森妖人が炎属性を身に宿すこともままある。



「……この街の知り合いに、水属性幻素アクアエレメントに通じた医者がいる。この紹介状を持ってすぐ行きな」



 ノラは少し考えた後、そう言って封筒をテレザに手渡す。そして応急処置として包帯と湿布を胴体に巻きつける。その巻き方が強かったのか、テレザが抗議の声を上げた。



「もうちょっと優しく巻きなさいよ……ッ」


「うるさいね。ここまで悪化した傷に優しくもクソもないんだよ」


「どのくらいで復帰できそう?」



 この期に及んで復帰時期を聞いてくるとは、こいつにはマトモに治す気が無いのか。重傷であることを印象付けるため、ノラは少し長めに期限を切る。



「全治1か月。で、2週間はベッドの上で絶対安静くらいに思った方が良い」


「……結構かかるのね」


「かかって良いんだよ」



 ノラはかれこれ100余年医者をやっているが、その中で最も危ないのは今のテレザのように、治りかけの傷を抱えて依頼に出る者だ。長年の経験からそう伝えると、テレザも無茶をしていた自覚はあるのか、少ししおらしくなる。



「……はーい」


「分かったら、きちんと治しな。さっきの新米のお守りも任されてるんだろう。もう、手前1人の身体じゃないってことだ」



 沈黙したテレザに服を被せる。モソモソと袖を通したテレザはからかうように言った。



「意外と優しいのね、先生」


「ケッ。早く行きな!」



 ぶっきらぼうな言葉を背に受けて、テレザはギルドから紹介先の医者の所へと向かう。王都から離れた辺境とはいえ、幻導士ギルドがある街の中心地はそれなり以上に栄えている。

 客引きの声や荷車を引く音、鍛冶師が鉄を鍛える音。人々の生活が織りなす和音を聴きながら中心部を抜けてしばらく行くと、やや寂れた診療所が見えた。



「ごめんくださーい」


「……いらっしゃい」



 テレザが中に入ると、目の前に肉感的な森妖人エルフの美女が立っていた。圧倒的に盛り上がった双丘が成す深い谷間に、女性の理想像とも言うべき艶やかな曲線を描く下半身。同性であるテレザですら、むわっと匂い立つような色気を感じる。こんな医者がギルドで働いていたら男どもは仕事どころではあるまい。



「えっと、ギルドの医者から紹介状を――」


「……ん。ノラさんから、ね。……私はエリー・フォーサイス。……こっちで、服脱いで。仰向けに……中々重傷、ね」



 エリーと名乗ったその美女に紹介状を見せると、さっさとベッドに案内された。細く長い指でわき腹を繊細に撫で回され、痛みとくすぐったさでテレザが身を捩ると、エリーは妖艶に微笑んだ。



「……一気に、冷やすよ。――『氷冷アイシング』」


「~~ッ」



 指先から冷気が浸透すると、テレザの痛みは嘘のように消え、痣の色も薄くなったような気さえする。エリーは満足げに患部から手を離した。



「……うん。とりあえず、今日の処置はおしまい」


「もう終わり?」


「……まず、内出血を止めた。あとは経過を見つつ入院、ね?」


「……」


「……あなたの身体、色々ガタが来てる」



 テレザの状態は、どうやら本人が思う以上に良くないらしい。ノラに言われた言葉を思い出し、素直に従う。



「分かった。ここで、お世話になるわ」


「……お代は、今は良い。ギルドに請求するから、そっちで払って、ね――あら?」



 話がまとまったところで、再び出入り口のベルが鳴った。エリーが迎えると、金髪の可憐な少女が訪ねてきていた。



「あ、あの、シェラといいます。ここに、桃色の髪をしたテレザって女性が治療に来てるって」


「……お見舞い、ね。おいで」



 すいすいと案内されてシェラが病室に入ると、ベッドの上でテレザが着替えている最中だった。シェラは驚きつつも、鍛えられた肉体に思わず目を奪われ……ベッドからテレザにジトーっとした目を向けられる。



「着替え中を凝視されると流石に恥ずかしいんだけど……というかどうやってここ知ったのよ」


「あっあっ、ごめんなさい! ……ノラさんに聞いたんです。それ、重傷だって」



 やはり気にしていたか……シェラの視線は筋肉から、すぐに脇腹の痣に移っていた。だがシェラのせいではないし、シェラが気を揉んだところで治癒が早くなるわけでもない。新人に心配をかけるわけにはいかない、とテレザは別の話題に切り替えていく。



「私の自業自得よ、気にしないで。シェラこそ、明日以降ちゃんと依頼を受けられそう?」


「何とか、教えてもらったことを頼りに頑張ります。テレザさんは、しばらく動けないんですよね」



 テレザは2週間ほどは動けそうにないことを伝え、ついでにこれまでの無茶をした経験も話しておく。こうなってはいけない、と反面教師にしてもらおう。シェラは素直な性格で、困惑したり笑ったり、忙しくリアクションを取ってくれるのでテレザも話しやすい。思いがけず長話になってしまう。



「――ってことで、一旦リフレッシュさせてもらうわ。……何よその顔。無理に動いたりはしない、約束する」


「……安静にさせるから安心して、ね?」



 話し終えたテレザがそう約束し、エリーが保証した。シェラがギルドへ帰っていくと、エリーがくすくすと笑って話しかける。



「……仲が良いの、ね」


「向こうが勝手に懐いてるだけよ」


「……彼女のためにも、早く治さないと、ね?」



 シェラのために早く復帰したいというより、怪我をしていては指導者として示しがつかない。テレザがそう言うとエリーはゆったりと頷きを返した。



「……うん。そうね……じゃ、おやすみ」


「いや、まだ午前中なんだけど」


「……重傷者だから。寝て食べる以外、することないでしょ。お昼ご飯になったら起こすから、ね」



 そう言ったエリーは手近な椅子に座り、目を閉じた。……あんたが寝るのか。



「ちゃんと起こしてくれるんでしょうね」



 一言愚痴り、テレザも目を閉じる。もはや習性のようなもので、彼女は寝ようと思えばすぐに眠れる。久々にたっぷり惰眠を貪るとしよう。

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