エレメンターズ ~幻に満ちた世界を歩く者達~

テルー

第0章 丘に咲く花

0-1 幻導士の仕事(テレザの場合)

「……貴様、我らの要求した村の娘とは違うようだが?」



 柔らかな日差しが注ぎ、緑の生い茂る小高い丘の上。本来ここを吹き抜ける風は爽快なはずだが、今は血生臭い空気、そして人知を超えた体躯が操る、流暢な人語に穢されている。

 『彼ら』の陣取るこの場所には何者も、踏み入っては来ない。人はもちろん、野生動物も、虫ですら本能的に避けている。



「そりゃ、渡さないために私達『幻導士エレメンター』がいるんでしょ? ハイオークさん」



 この女を除いて。


 女の挑戦的な言葉に呼応するように、後ろで束ねられた桃色の髪が眩しく揺れる。革鎧を着こみ、両手には籠手を装備している。ややつり上がった大きな目に長いまつ毛、シミもシワもない白肌はまだ少女の面影が色濃い。が……その纏う空気たるや『彼ら』――魔物たるオーク族にも負けず劣らずの物騒さ。



「それで? 貴様が代わりに、我らの下へ降るのか?」



 オークの目的は、近隣の村にいる若い娘。とはいえ、子が産める年齢でさえあればどこの村からでも構いはしないが。



「そんなわけないでしょ。私の……村からの要求はたった一つ。今すぐここから陣を引きなさい」



 直球すぎる返答に漏れ出た笑いをオークの群れの長、ハイオークはかみ殺せなかった。オークを前にこの啖呵を切れるのは非凡だ。狂っていると言っても良い。たった一人で乗り込んできただけはある、ということか。だがハイオークとて、要求を呑んでやる理由はない。



「無理だな」


「でしょうね……だから、こうしましょ」



 村に略奪に来たオーク達と、その村の悲鳴を聞きつけた幻導士。双方の利害は真っ向から食い違う。元より通るとも思っていなかったのだろう、女は不敵に笑った。



代表者同士私とあなたの一対一よ。で、勝った方が言い分を通す――なんて、どう?」


「……くっくっ……はーっはっはっ!」



 抑えきれず、今度は盛大に笑ってしまった。その巨体の哄笑に、草花が散らんばかりに揺れる。女が形の良い眉を寄せた。



「何よ、冗談言ったつもりはないわ」


「……名乗れ、強き女よ」


「それは、提案への同意と取って良いの?」


「構わん……ふっふ」



 まだ笑いの余韻が消えない。冗談ではないからこそ、面白い。この女本気だ、本気でハイオークと決闘し、勝てると思っている。これを面白いと言わず何と言おう。



「テレザ。テレザ・ナハトイェン。あなたは?」


「フンッ。これから殺す者に名乗る必要はあるまい」


「何よそれ。まあ、そこは文化の違いってことで。――じゃあ」



 始めましょうか。


 という女の言葉が、一陣の風となってハイオークの懐に吹き込んできた。



「ぬっ!?」



 ハイオークが反射的に腕を前で交差させると、女の握り込んだ拳がぶち当たる。到底人のものとは思えぬ威力に踏ん張り切れず、勢いよく草地を後方に滑った。



発火斧パイロアクス!」



 鋭い気合と共に、陽光とは異なる熱がハイオークの耳朶を揺さぶる。彼の頭上へ躍り出た女の踵が、紅蓮を伴ってハイオークの脳天へと振り下ろされていた。頭部の中で最も硬い生え際の部分――と言ってもハイオークの禿頭に生え際などないが、一般的な人間で言えば――で受け、衝撃の瞬間首をひねっていなしにかかる。それでも首から肩へと衝撃が駆け抜け、生半可な刃など弾き返すはずの分厚い皮膚が裂ける感触があった。



「ぐっ……!」



 呻きつつ、女の着地を狙った右手の薙ぎ払いは、大きくトンボを切った華奢な背中を掠めるに留まる。最初の拳を防御した左腕はまだ緩く熱を持ち、跡もくっきり残っていた。


 ハイオークは流血した箇所を揉むようにして出血が重傷でないことを確認しつつ、女――否、テレザを睨む。

 対するテレザは踵落としの手応えを確かめるようにプラプラと右足首を振り、ハイオークを睥睨していた。



「あんた、それ本当に素肌? 岩盤でも叩いたのかと思ったわ」


「その岩盤を叩き割ったのはどこのどいつだ? ……テレザ・ナハトイェン。貴様を侮ったこの非礼、貴様を全力で葬ることで詫びよう」



 ハイオークは背負った斧を抜き放つ。血と脂汚れがべっとりとこびりついた愛器は、これまで幾度も彼の道を切り開いてきた。



「そう言うなら、武器の手入れしなさいよって言いたいけど……」



 鋭刃でも鈍器でも、オーク準拠のサイズとパワーで振るえば、相手は文字通りひき肉だ。得物の切れ味など何の意味もない。



「さあ、本番だ。よもや怖気づくまい?」


「あなたこそ、退くなら今の内よ」



 テレザの目に、拳に炎が灯る。自らの命だけでなく村の存亡まで懸かっているというのに、彼女は楽し気に死闘へと臨む。その小さな体めがけ、ハイオークが斧を振り下ろした。刃が深々と地面を抉り、茶色と緑が混じって飛び散る。



「っと! 中々速――」



 横にステップしてかわしたテレザに、間髪入れず右の爪先が飛んできた。この体格差でもらえば小石のごとくすっ飛んでいくだろう。それをテレザは下がるでもガードでもなく、下へと潜る。ならば踏み潰してくれる、と厚雲のような足裏が迫る。極限まで沈めたバネを一気に跳ね上げ、真下から拳を叩きつけた。


 ハイオークが後方へぐらつく。テレザの目線の高さまで下がってくるハイオークの頭。そこへ、ドンピシャリで右ストレートを合わせる。



「ぐぉ、お――!」



 ハイオークは背を反らし、残る左足で目一杯後ろへ跳ぶ。拳を鼻先に感じながら、地面を転がった。さらに追撃しようと突っ込んできたテレザに向け、不利な姿勢ながら斧を薙ぐ。


 ギリギリ、という音は鍔迫り合いか、奥歯を噛みしめる音か。


 体重差ざっと四倍以上。そんな矮躯の人間の拳に、ハイオークが必死の形相で抗う。端から見ればさぞかし滑稽だろう。



「貴様……本当に人間か?」



 テレザに対し、思わず漏らす。これまでも、まずまず強い人間ならいた。だが、本気になったハイオークを押し込んだ人間など目の前のテレザ以外にない。



「人間よ」



 テレザの答えは簡潔だった。彼女の視線は些かもブレることなく、ハイオークの目を見据え続ける。拳の炎よりもなお熱く、相手を煽るようにむき出しの闘争心をぶつける。

 こんなものじゃないだろう、お前はもっと強いのだろう? ハイオークに対し、そんな風に問いかけているようにさえ見えた。



「うぉぉおおお!!」



 その闘志、今は感謝もしよう。ハイオークは筋肉に力と、そんな想いを込めて腕を振るい、テレザを払いのける。テレザは空中で1回転して速度を殺し、綿毛のように着地。そして、ハイオークに獰猛な笑みを向ける。



「こっわ~い。あの体勢から押し負けるなんて、自信なくしちゃいそう」



 なんて口では言いながら、体は闘争かいらくに正直だ。既にテレザは、再びハイオークの間合いまで突進してきている。迎え撃つハイオークの振り下ろした斧が地を割り、踏みしめた足裏が草をめくり上げ、打ち下ろしの拳が花弁かべんを吹き散らす。


 が、



「くっ――ちょこまかと!」



 一撃必殺の嵐、その全てがテレザに当たらない。かすりもしない。


 原因は体格差を逆手に取っての小ささ・低さを活かしたテレザの立ち回りだ。ハイオークはついつい上から下へ振り下ろす攻撃が多くなる。一見恐ろしいようでその実、横に一歩動けば躱せるものでしかない。

 ハイオークにとっての強敵は、力で自らに伍する者だった。だから、小さき者への対処法など考えたことすらなかった。逆にテレザにとって、大きな者の相手は日常。何をされると嫌がるか、手に取るように分かる。

 テレザは右へ跳ね、左へ跳ぶ。足元の草原も相まってあたかもバッタを追いかける、幼気な虫取り少年のようにハイオークは翻弄され続ける。そして溜まり溜まった怒りと屈辱は、ついに限界に達した。



「これ、でっ! 終わりだぁあ!!」



 ハイオークは踏みつけを連発してテレザを後退させた直後、腕をいっぱいに伸ばしての横振りを繰り出した。


 風圧に草を巻き込みながら振るわれた斧は確かに、テレザの胴体の高さを駆け抜けた。


 捕らえたか? ハイオークは自問する。


 確かに、何かを引っかけた感触はある。


 チラリと、テレザの肩当が彼方へと吹っ飛んでいくのが見えた。


 遠くで小さく、それが草に埋もれる音が耳に届く。その音はハイオークの意識が、斧を振るった手応えから戻ったことを意味する。その空白、コンマ数秒。


 勝敗を分けるには、十分すぎる隙だった。


 空を切ったあみ、それを握る腕のさらに内側に白い炎が吹き上がる。テレザは跳んで逃げるだけのバッタではない、ハイオークへの有効打をちゃんと持っている。ハイオークは失態に今更ながら気づき、顔を歪めた。


 絶好の攻撃位置に、テレザが潜り込んでいる。



「花から出でて、天へと駆けよ――『灼熱槍プロミネンスピアー』!」



 テレザの貫手がハイオークの腹に叩きこまれ、爆ぜた。貫手はその細い手首が埋まるほど深く、内臓まで達していた。くぐもった爆発音に、熟れすぎた果実が潰れるような水音が混じる。

 ハイオークの背中から、白と紅の大輪が咲いた。見惚れるほど美しく鮮烈な花弁は、見る間に萎れて地面に落ちる。



「がっ……うぶっ――」



 それと同時、喀血しながらハイオークは膝を屈した。緑一色の草地に夥しい量の赤黒い血が、絵の具の缶をひっくり返したようにぶちまけられる。


 テレザはと言えば、貫手を打ち込んだ姿勢のまま、怪物の腹から飛び散った血をモロに浴びていた。返り血がその顔を、髪を、鎧をグロテスクに染めている。何かのスイッチが切れたのか、ハイオーク本人ですら気になる血の臭気を意に介することもなく、素直な感想が口をついて出てくる。



「オークの血って、赤いのね」


「……この状況で、出た感想がそれか」



 死の淵ながら、ハイオークは呆れを隠せない。その視線の先には、ボスが敗れたことに狼狽えるオークたちの姿があった。このままでは最悪の場合、テレザによって全員殺されてしまう。それに勝負に際して、約束を結んでいた。勝者の言い分を聞かねばならない。



「――退けぇい!!」



 ハイオークはあらん限りの大音声だいおんじょうで、撤退を命じる。最期の命令に涙を見せつつ、そそくさと丘を下って見えなくなった彼らの今後に幸運を祈るのは、都合が良すぎるだろうか。テレザがハイオークの声に驚く。



「びっくりした……まだ叫べるの? 即死してるわよ、普通」


「救命の見込みは、ないがな。頑丈さも、過ぎれば考えものだ……腹に大穴が空いても、死ねんというのはな」



 苦し気なハイオークの返しに、テレザは少し意外そうな顔をした。



「オークってすっごく頑丈だけど、再生力は貧弱なのね。まあ再生しなくて良いけど……何で?」


「そういう、進化を遂げた者が残ったようだ」


「ふぅん……」



 さして興味もなさそうなテレザの反応だった。貴様が聞いてきたんだろうと思うハイオークだが、もはや舌も回らない。頭も手足も、急激に重くなり始めている。血を失い過ぎてチリチリと明滅する視界の中、テレザの姿だけがはっきりと捉えられた。

 もう、幾許も無い――そんなハイオークの脳裏に一つ、思い浮かんだことがある。これだけは達さねば、死にきれない。



「……な、まえ」


「名前? ……教えてくれる気になった?」



 ハイオークが無言で頷く。もう声もろくに出ない、という様子にテレザはわざわざ近寄ってやる。戦いの中で、彼女はこの怪物に、何となく通じ合うものを感じていた。


 もしも人間とオークではなく……人間同士、何ならオーク同士で出会っていたなら、と。



「かん、しゃ。するぞ……」



 だが現実として彼らは人間と魔物で、今は互いの生死を賭けた戦いの最中。



「貴様の情けに!!」



 突如、ハイオークが斧を振り上げた。魂を削るような咆哮とともに、血をまき散らしながら。



「――!! かっ……えほっ」



 テレザが、血の混じった咳を吐く。


 今度こそ肉を裂き、骨を断った感触がハイオークに伝わる。全ての力を使い果たし、ハイオークはテレザの呻きを子守唄に、うつ伏せに倒れる。最期に見たのは、右の脇腹を抑えてこちらを恨めしく睨む、テレザの顔であった。


 テレザは、斬り裂かれた右の脇腹を思いっきり抑え悶える。



「くそ、油断したっ……!」



 まともに当たれば真っ二つだったが、テレザはすんでのところで即死を避けていた。しかし、出血は止まる気配がない。一気に意識が遠のいていく。

 最後の最後、何故不用意に歩み寄ってしまったのか。確かにあの闘争は甘美だったが、それで魔物に心を許すなど一生の……いや末代までの不覚だ。



「あんたねえ……!! ヒュー、~ッ……」



 物言わぬハイオークを憎々しげに見下ろすが、既に事切れた相手に当たっていても仕方がない。既に息が細くなってきている。助かる望みは薄いが、どうにか村まで戻ろうと、ふらふらと歩き出す。しかし動いた途端、出血量が一気に増える。これはもう確実に、村まで持たない。

 そう覚悟を決めた時。



「テレザーー!!」



 幻聴か? 聴きなれた、ここにはいないはずの声が聞こえる。途端、テレザの足がもつれた。柔らかい草地に体を預け、全身の力が抜けているのを実感する。まだ機能していた三半規管が何者かに仰向けにされたことを感知するが、既に視界は緞帳(どんちょう)が降り、人の顔はおろか空の色すら分からない。そんな中誰かが、テレザの名前を呼んでいる。



「死なないでよ、テレザ! ねえ、聞こえ――返――」



 必死の呼びかけが、徐々に遠くなっていく。応答しようと動いた口からは声の代わりに血の塊が吐き出された。血の泡を吹き、テレザの意識は血の海に沈んでいく。

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