第22話 強くて最初から ②
木の湿ったようなにおいが、鼻をついている。
匂いの記憶で、ここが転移したあの小屋だと気づく。
ほっと胸を撫で下ろす。
歴史通り、移動できたようだ。
目を開けて、あたりを見回す。
〈【魔神ヴァラクの貫通眼】が発動します〉
真っ暗だったが、かつてと違い、俺の目に光が宿る。
すぐに視界がオレンジ色に染まり、暗闇が晴れていく。
(見える……)
見覚えのある小屋のなかで、30人ほどの兵士が立っている。
敵兵が混じっている可能性を疑ったが、どうやら大丈夫のようだ。
しかし。
窓の外で、人らしきものが動いたのが視界の隅に入った。
俺はすぐに窓に駆け寄り、その様子を探る。
(なんてことだ……)
敵国の兵らしき者が数名、周囲の茂みに巧妙に隠れている。
もうこの時点で、俺たちは見つかっていたのだ。
この流れは歴史に沿ったものだろう。
ならば、キボンは知っていてあのタイミングまで待ったということか。
なぜ、そんなことを?
(……そういえば)
キボンの言葉を、ふと思い出した。
――お前がどんだけのもんかと思って、今日まで待って召喚できるようにしておいたのによ。てんでお笑い種だぜ。
そうだ。奴は天使を呼び出した時、こう言っていた。
だとすれば、あいつのURスキル【聖なる護衛】で呼ぶ天使は、何日か空ける必要があるということか。
そこで、老年魔術師アストの詠唱が聞こえ始める。
明かりの魔法が生成され、頭上にぱっと明かりが灯った。
「召喚に応じてくださり、心より感謝いたします。二人の英雄様」
小屋の中にいた兵士やリーフロッテが、俺たちに向かって膝をついて畏まった。
「……え、英雄?」
俺とトムオは、顔を見合わせた。
馬鹿らしいが、やっておく。
驚いている俺たちを見て、リーフロッテが「突然で申し訳ありません」と一言添えて、俺たちがここに来た理由を説明し始める。
その話が終わるまでの流れに、一通り付き合うと、トムオが俺を見て言った。
「ていうか、イーラ、あんなデブだったのに、なんでムキムキになってんの」
大胸筋盛り上がってんじゃん、とトムオが指をさす。
「いや、元々痩せてたぜ」
「着ている服も違う。制服だっただろ? ……お前、本当にイーラか?」
「いや、気のせいだろ。俺、最初からパオを着てたぜ」
いくらなんでも、苦しい言い訳だ。
学校帰りに誰が中国服を着る。
あまりにどうでも良くて、こいつの存在をすっかり忘れていた。
だが騒いでいるのは所詮トムオひとり。
俺は平然として、大勢に影響がないように振る舞う。
◇◇◇
魔法の明かりが、室内を静かに照らしている。
アストが俺たち二人に、この付近について説明してくれている。
王国領地内だが、攻められていた城からは相当に離れ、見つかることはないだろうと自信ありげに言う。
引き継いで説明をし始めるリーフロッテを、俺は横から見つめた。
その瞳が碧だったことを、初めて知った。
(リーフロッテ……)
俺は彼女が生きている幸せを噛みしめ、心からあの悪魔たちに感謝した。
修行の成果を生かせる機会を与えられたのだから。
「どうかなさいましたか?」
不思議そうに瞬きしたリーフロッテが、歴史にない言葉を発する。
俺はまだ、彼女を見つめたままだった。
「この世界全体について教えてほしいと思っていた」
俺は咳払いしながら、方向を修正した。
「わかりましたイーラ様。まず概要からお伝えいたします」
リーフロッテは銀髪を右耳の下で一本に縛ると、ウィンドモラ王国についての説明を始めた。
俺は以前聞いた話ばかりであることを確認しながら、聞き流していく。
(リーフロッテ……)
彼女の言葉に頷きながら、俺は心の中でつぶやく。
見てくれよ。
俺、もう鈍重なデブじゃないんだぜ。
◆◆◆
木剣がぶつかり合う乾いた音が、鳴り響いている。
逃げ延びてから、3日。
歴史通り、順調に来ている。
「今の打ち込みは鋭いですね! さすがですよ」
ポニーテールにしたリーフロッテが、俺を褒めたたえる。
俺は歴史通りに彼女の訓練を受けている。
「やぁ――!」
「いい踏み込みですよ! もっと腰で打つようにすると、力が乗って威力が増します」
「なるほど」
俺は言われた通りに剣を扱うふりをした。
◇◇◇
赤い夕陽が、生い茂る木々から木漏れている。
はじまりの時から二週間 。
とうとうあの日である。
俺は訓練中何度も手を止めて、強張ってくる表情を緩める必要があった。
どうかされたのですか、と心配するリーフロッテを、俺は気にしなくていいとだけ繰り返す。
訓練を終え、パオとシャツを脱ぎ、ざらざらした布で、汗を拭くふりをする。
これぐらいの訓練では、それほど汗は掻かない。
「イーラ様はきっと強くなります」
リーフロッテがいつかのように、俺に語り掛けてきた。
「……そうかな」
俺は、その澄んだ笑顔を見返す。
「まだレベル5ということでしたけれど、信じられない身のこなし」
リーフロッテが、さすが英雄様ですね、頼もしいです、と俺を上目遣いに見た。
「買いかぶりすぎだぜ」
「もしかしたら、フードファイターと言う職業は、前衛職なのかもしれませんね」
リーフロッテが俺に歩み寄り、頬に流れていた汗を拭ってくれると、ふわりといい香りがした。
まあ、ある意味当たっている。
俺は魔法とは縁がなかったしな。
「それにしても、ずいぶん強いんだな。全くついていける気がしない」
俺は肩をすくめながらリーフロッテを見た。
後何年修行すれば、この人と肩を並べられるようになるのだろう、と以前は思った記憶がある。
「……あ、私ですか?」
「他にいないだろ」
周りを見て、そうでした、と口を押さえてクスクス笑う。
「私などまだまだです。あの場にキボンが居なかったからお救いできたものの」
「そんなに強いのか」
俺は記憶の言葉を、ひたすらになぞる。
「……はい」
リーフロッテが真剣な表情になって、頷いた。
「レベルは1000を超えているそうです」
「……ああ。そうだったな」
俺の表情が一気に強張った。
リーフロッテが、そんな俺を見て不思議そうな顔をする。
「イーラ様、知っていたのですか?」
「いや、初耳だ。ちょっと驚いてな」
この数字を思い出さなかった日など、一日もない。
修行は終えたが、俺はまだ、その半分にも満たないのだ。
(それでも、やるしかない……)
俺は右の拳を痛いほどに握りしめた。
レベルが満たなくとも、必ず奴に一矢報いる。
是が非でもリーフロッテだけは、助ける。
「それだけではありません。キボンはURスキル【聖なる護衛】で、強力な天使を召喚できるのです」
リーフロッテが俯いて呟き、ポニーテールに手をやる。
ぱさり、と銀色の髪が降りて、彼女の肩に広がった。
「勇者とやらには――」
あんたでも敵わないのか、と歴史通り続けようとして、言葉が続かなくなった。
「………」
俺は髪をほどいたリーフロッテを見て、釘付けになっていたのだ。
その透き通る、楚々とした美に見惚れてしまっていた。
彼女は、これほどまでに美しかっただろうか。
「……イーラ様?」
リーフロッテが、小首をかしげる。
「……あぁ、済まない。勇者とやらには、あんたでも敵わないのか」
俺の歴史通りの言葉に、リーフロッテが困ったような顔で頷いた。
「戦ったことはありません。ですが戦っている姿を見たことがあります。まず無理だと思いました」
「とんでもないな……」
リーフロッテが顔を上げ、舌打ちする俺を見てくすっと笑った。
「そうですね……でもイーラ様ならきっと大丈夫です」
「………」
俺の中で何度も反芻したリーフロッテの言葉が始まっていた。
「大丈夫?」
「ええ。そんな気がするんです。このまま強くなればきっと」
「………」
胸が、どくん、どくんと打ち始めた。
俺は努めて冷静を心がけながら、言葉を紡ぐ。
「じゃあ勇者が来た時はさ」
「はい」
リーフロッテが穏やかに問い返す。
無意識に、俺の拳が震えた。
「俺が必ず、リーフロッテを守るからな」
笑って言おうと思ったのに、できなかった。
「……あら、本当ですか?」
「ああ、約束する。だからこれから、俺をもっと鍛え上げてくれ」
俺は深呼吸して笑顔を取り繕うと、リーフロッテに右手を差し出した。
握手を求めた手に、リーフロッテは前と同じく、両手できゅ、と握ってくれた。
彼女の手は、温かかった。
「はい。この命に代えましても、果たしてみせます」
「――命になど、代えさせない」
抑えきれないその想いが、弾けた。
「……え?」
リーフロッテが瞬きをする。
「……俺は、強くなれただろうか」
俺は彼女の手を、強く握り返した。
「イーラ……様?」
「あれからずっと努力してきたんだぜ。君を死なせない、ただその一心で」
「……えっ……」
呆然とした彼女の手から、力が抜け落ちた。
俺はその空色の瞳を見つめ、一歩近づく。
「絶対に死なせない」
――殺すな……その人を殺すなぁぁ!
――はい時間切れー! 死ね。
――やめろぉぉ――!
――ドッ。
あの時の悔しさがよみがえってきて、視界が滲んだ。
「……い、イーラ様?」
混乱したのか、戸惑い始めるリーフロッテ。
俺はそんな彼女に背を向ける。
必ず……必ず成し遂げて見せる。
たとえレベルが足りなかろうとも。
「……来たな」
そんな中、近づいてきた魔物の気配。
「――ご、ゴブリンです。下がっていてください」
取り乱しながらも、彼女は俺の背後で腰の鞘からすらりと剣を抜いたようだった。
「ギギッ」
ゴブリン3体にホブゴブリン1体だ。
変わっていない。
「……あれはホブゴブリンですね」
「だな。俺にやらせてくれ」
「わかりましたイーラ様。ですがホブゴブリンは私に」
リーフロッテが本物の
俺はそれには返事をしない。
「イーラ様。ホブゴブリンは私に」
「――いや、俺がやる」
ここは重要な流れだ。
一字一句、違えるつもりはない。
間違えれば、リーフロッテが水汲みに行くタイミングがずれてしまうのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます