第24話 強くて最初から ④

 

 奴は木の上で、その太い幹に隠れている。

 白い翼が丸見えになっている。


 ……なにやってんだ、あいつは。


(……いや、新たな動きは慎もう)


 奴が格上であることを忘れてはならない。

 この時点のキボンは俺の腕を見ようとしているのだ。


 ワナに嵌めようとしている可能性もある。


 俺は転がって、木を背にする位置に向かう。


 歴史通り行動すれば、少なくとも俺は死なずにリーフロッテに逢えるのだ。


 動作はできるだけ力を抑えて行う。


「へへ」


 のそのそ動く俺に気づいたキボンが、背後を取ろうと木の上から飛び降りてくる。

 以前は寸止めしてきたが、今回もそうとは限らない。


 キボンの一撃を見据えて、振り下ろされる双剣の軌道を読みきる。


(袈裟と逆袈裟斬り――)


〈【魔神マルコシアスの脚力】が発動します〉


 力を発揮し、左に跳んで躱す。

 跳びながら反撃を入れられるタイミングだったが、歴史にそぐわぬよう、そのまま間合いを取る。


「おいおい、まるで亀じゃねぇか。なのにまぐれで躱すとか、やめてくんね?」


 キボンが奥歯を見せるほどに大口で高笑いをすると、回りの兵士たちも合唱するように笑いを重ねた。


 俺は眉を顰める。

 こいつもしかして……俺の動きが追えていない……?


 しかも、今の剣速……。

 ただ、手加減しているだけなのか?


「期待して、遠くからわざわざやってきたんだぜ? 英雄殿。いい所見せろよ」


 二本の剣の切っ先を肩の高さでまっすぐに向けるキボン。

 今度は俺が動くのを待っているようだ。


「おぁぁ」


 俺は以前のようにキボンに近づき、剣を加減した勢いで、袈裟斬りに振り下ろす。

 当時を思い出し、動きは歩くスピードを基準にする。


 ガアァン。


「……だからふざけてんのかって言ってんだよ」


 歴史通り、キボンは俺の一撃を片手の剣で受けてくれた。

 一瞬生じた鍔迫り合いでは、すぐに剣を引いた。


「はっ! 鍔迫り合いまで逃げやがって!」


 周囲で見ている敵兵士が、どっと笑う。


(なぜだ)


 俺は首を傾げていた。

 今ので多少なりとも、奴の力を推し測ることができたのだ。


 おかしい。

 これではまるで……。


「おっと」


 考え込んでいて忘れていた。

 俺はここでよろけて体勢を崩さなければならなかったのだ。


「おやおや、それで力入れてんのかよお前」


 キボンが口元を歪めるように笑いながら、踏み込んでくる。


 歴史では次の一撃で俺の剣は弾き飛ばされ、近くの木に突き刺さるはずである。


 ――ギィン。


 剣と剣がぶつかり合う。


「あ」


 まずい、握りすぎていて、弾き飛ばなかった。


「うわっ」


 もう仕方ない。

 悲鳴を上げながら、とっさに俺は剣を後ろに投げた。

 俺の剣はくるくると回転して飛んでいく。


 ちょっと歴史と違う方向に飛んでしまったが、まあ大丈夫だろう。


「隙ありぃ」


 キボンは口元を歪めるようにして笑うと、俺の顔面に頭突きを入れようと近づいてくる。

 その顔はニヤけている。


〈――【大王アスモダイの黒曜砕き】が発動します〉


「――ごはっ!」


 キボンが仰け反り、そのまま鼻を押さえて後ろ向きに倒れた。

 奴の白い翼が、土にまみれる。


「あ」


 いかん。

 隙ありとか言うから、つい反射で本気の頭突きを返してしまった。


「――ぐあぁぁぁ!?」


 キボンは自分に起こった出来事に驚愕している。


「て、てめぇ! 何しやがる……」


 流れてくる鼻血を口で吹くようにして、キボンが叫んでいる。

 鼻はおろか、両方の頬骨までもが見事に陥没していて、今後の人生が悲しくなるほどに残念な顔になっている。


 当たり前だ。

 俺の頭突きは岩よりも硬い魔界の黒曜石を粉々にするのだから。


「――すまん。今のなしで」


「何ワケわからねぇこと言ってやがる!」


 キボンがさっと距離を置いてポーションを飲み干し、俺を睨んだ。

 鼻血は落ち着いたようだが、顔は潰れたままになっている。


 横から見ると、凹がはっきりとわかることだろう。

 だがまずい、これでは歴史が……。


「この野郎! おら、お前には見えねぇだろう!」


 二本の剣を左手でまとめて肩に担ぎ、懐から凝った装飾のナイフを取り出すと、全力でそれを投げつけてきた。


 よかった。

 歴史が自分で元に戻ろうとしている。


(躱せるか――)


 俺は腰を低くし、目を凝らす。


 俺の心によぎる恐怖心。

 前は全く見えなかった、奴のナイフ。


 最悪、体勢を崩してでもこれを――は?


(……なんだこれ)


 ナイフが三輪車並みだ。

 骸骨兵士の矢より、遅い……。


 ナイフは俺の肩付近の神経を狙っている。

 急所だ。


 あまり歴史から外れすぎないよう、俺は急所をずらして、肩に受けることにした。


 〈【魔神バイモンの炎熱なる肉体】発動します〉


 かっ、と熱くなる俺の体。


「あ」


 肩の衣服は穴があいたものの、ナイフは俺の肩で弾かれ、ぽとり、と地面に落ちる。


「――ぐあぁ!?」


 だが事情が事情だ。

 俺は負傷を受けたかの如く、四つん這いになって苦悶した。


「やっぱ見えてねぇか……ゴミくずだなお前」


 キボンはあからさまに失望した表情を浮かべた。


「どら、しょうがねぇ。武器なしで戦ってやるよ――おら」


 剣を鞘に仕舞ったキボンが距離を詰めると、俺のみぞおちに膝蹴りを入れようとする。


 俺は肩を押さえながら、体を捻るだけで回避する。

 掴まれると、いろいろごまかしが難しくなるためだ。


「お? ――このやろう!」


 キボンが反対の脚のつま先で、俺を顎を蹴り上げようとする。


(ここで食らっておくか)


 当時はこの蹴りで、大きく吹き飛ばされた。


 俺は一瞬で脚と自身の顎の間に左手を挟み込み、急所を守りながらそれを身に受けてみる。


 ガッ、という音と衝撃。

 そもそも急所を外れている件。


(なんてことだ)


 威力も落ちているのか、体重は大きく減っているのにも関わらず、これでは飛んでいけない。


 仕方なく俺は同時に跳躍し、当時のように宙に浮いた形を作り上げた。


 俺は目を開けて地を確認し、体を捻って着地しようとする。

 下は普通の足場ではなく、日々暖をとるために木々から手に入れた薪や枝が山と積まれていた場所。


 以前と同じだ。


 俺は確か、ここで着地に失敗して派手に転び、奴らの大爆笑を買った。

 まあ今回はそこまでする必要はあるまい。


「お、あそこに落ちるぞ!」


 回りの敵兵たちがなにかを期待して、嬉々とする。


 〈――【魔神ブエルの五本足】が発動します〉


 研ぎ澄まされる、バランス感覚。

 俺は薪や枯れ枝が乱雑に折り重なる上に、すっ、と片足で降り立った。


 細い枯れ枝たちがギシ、としなり、俺を受け止める。


 俺が耐えてきたのは、回る滑車だ。

 比較になるはずがない。


「おい、嘘だろ!?」


「……立ちやがった……」


 キボンや周りにいた敵兵は舌打ちし、興が覚めたような顔をしている。

 俺は地に降り立って再びキボンに向き合うと、キボンが思い出したように、その顔に見下した笑いを張りつける。


「今のはともかく、あんな蹴りも躱せねえとは……どら、これは躱せるだろ、のろのろパンチだ」


 俺の動きに合わせるように、キボンが顔を狙って拳を繰り出してくる。


 これは本当に遅い。


 こいつ、信じられないほどに、油断しているようだ。

 今、その命を刈り取れそうなほどに。


(焦るな……)


 まだリーフロッテの身の保証はないのだ。

 予測できる未来になってから、動くのだ。


 俺はできるだけギリギリで躱している様を装う。


「お? 意外に躱しているじゃねぇか」


 そうしている間に、キボンの攻撃がだんだん速度を増す。


「おら、これはどうだ、あ?」


 〈 【魔神バルバトスの軽やかな心身】 が発動します〉


 矢躱し、矢掴みで磨いた能力が俺の動きに拍車をかける。


 キボンの攻撃は矢継ぎ早に繰り出される。

 俺は努めて、ギリギリを装って躱す。


 これなら骸骨兵士の矢の方が断然手厳しかった。


 〈【魔神ヴァブラの潜水力】が発動します〉


 長距離の潜水で鍛え上げた肺が、身のこなしを難なく維持する。


 やがて――。


「はぁっ、はぁっ……!」


 キボンが、肩で息をしていた。


「てめえ……! 当たりそうなくせにいつまで躱し続けて、やがるっ!」


「ぐあっ」


 少々やりすぎた感が出てきてしまったので、俺は急所を外した一撃を頬に受け、大げさに吹き飛んでみた。


 その時だった。

 奴が大変な事実を口にしたのは。


「はぁ、はぁ……くくく、どうだ? レベル118の俺様の攻撃は。あ?」


 額の汗をぬぐいながら、キボンが苦しそうに笑う。


「……は?」


 驚愕した俺は、立ち上がる途中で凍りついた。


「そうだ。ビビったか。え?」


 あまりのことに、めまいがしていた。


「……118……と言ったか」


 最後の力を振り絞って問い返す俺に、キボンは何を勘違いしたのか、喜々とし始めた。


「驚きすぎだぞ……英雄殿! アッハッハ!」


「………」


 俺は呆然と立ち尽くしていた。

 言葉が出ない。


「おら、なんとか言ってみろや! あぁ!」


 キボンが調子に乗り出した。


「……なんということだ」


 こんな衝撃的なことがあろうか。


 まさかの半分以下。

 俺の今までの努力は、いったい……。


 あんなに励んだ頂処、いらなかった説。


「察するに、お前30もいってないだろ? なら驚くのも無理はないな」


「………」


 確かにここまで衝撃を受けたのは、初めてだ。

 

「さて、冥途の土産に見せてやるよ。今日のために用意してあった奴らだ」


 キボンはにやっと笑うと、眉間に二本の指をあてて何かを念じ始めた。


 やがて空からばさり、と翼をはためかせ、白く輝く天使がゆっくりと舞い降りてきた。

 体長は3メートル程度の人型で、いずれも純白の鎧を身にまとい、槍を手に持っている。


 その肌は異様に白く、鼻が高く、人間離れした顔つきをしている。

 それが腕を組んだ状態で、キボンの背後で浮いている。



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