第25話 強くて最初から ⑤
「さて、冥途の土産に見せてやるよ。今日のために用意してあった奴らだ」
キボンはにやっと笑うと、眉間に二本の指をあてて何かを念じ始めた。
やがて空からばさり、と翼をはためかせ、白く輝く天使がゆっくりと舞い降りてきた。
体長は三メートル程度の人型で、いずれも純白の鎧を身にまとい、槍を手に持っている。
肌は異様に白く、鼻が高く、人間離れした顔つきをしている。
それが腕を組んだ状態で、キボンの背後で浮いている。
その辺の天使とは、明らかに違った。
以前は表現しがたい畏れのようなものを感じ取って臆するのが関の山だったが、今は相手の纏う空気でおおよその強さがわかる。
「俺様の部下、
「そりゃ恐ろしいな」
俺は肩をすくめる。
今、俺を支配しているのは畏れではない。
ある種の失望だった。
まあ当然だろう。
キボンが118なら、こいつも……。
それを見たキボンが、こめかみに青筋を立てた。
「……なに余裕ぶっこいてんだてめぇ! ――ラグエル。軽く痛めつけろ!」
キボンの命令に従い、
天使の階級で言うと、こいつは上から5番目に属する上位天使である。
天使はいずれも近接物理攻撃、および魔法による遠距離攻撃を持つ万能タイプだが、上の階級に行けば行くほど、物理・魔法攻撃力が格段に高まっていく。
「ルゥゥ――!」
記憶の通りの出来事が起きようとしている。
しかしやってきたそれは、 予想以上に安っぽかった。
放たれた光の刃を、俺はただ右手でパリィする。
――パァァン!
弾いた途端、それは霧散した。
「こんなもんか……」
以前の俺はこの攻撃を受け、見えないうちに両膝を裂かれたのだった。
「こんなもんだったのか……」
言葉を、繰り返していた。
俺は自分に言っていたのかもしれない。
もっともっと、強大な魔法だと思っていた。
こんなもの、ダメージにすらならない。
「ま、まさか、耐えやがったのか」
キボンが驚きの声を発した、ちょうどその時。
待ちかねた、本当に待ちかねた瞬間が訪れた。
「やぁぁ――!」
金属音とともにキボンのそばで火花が散った。
その場に似つかわぬ、淑やかな花の香りが風にのってやってくる。
「……な、なんだてめぇは」
急襲されたキボンが呻くような声を上げて、飛びずさる。
俺の目の前に立つ人の、肩に下ろしたままの銀色の髪が風になびく。
「――我らの英雄様には、もはや指一本触れさせません」
リーフロッテだった。
彼女は俺を背後にかばって、凛と剣を構える。
キボンは一撃を受けた手が痺れたのか、剣の切っ先が下を向いている。
「………」
胸が、熱くなる。
「リーフロッテ……」
俺はとうとう、この場面に到達することができたのだ。
「お守りする立場でありながら持ち場を離れ、申し訳ございません。どうか平にご容赦を」
「………」
俺は否応なく乱れる呼吸を整えた。
もはや、歴史をなぞる必要はない。
「来てくれ『七つの大罪』」
まず俺は右手の小指に嵌めていた指輪に触れ、念じた。
すると指輪は紫の靄をまとい始める。
躍動を感じた俺はその指輪を外し、目の前の地面に放ると、視線をキボンに戻した。
「この野郎、NPCの割になかなかやるじゃねぇか。面白そうだ……決めた。代わりにてめえを料理してやる」
キボンがリーフロッテに向かって、二本の剣を向けるように構えた。
「リーフロッテ。俺に任せてくれ」
気持ちが昂り、震えた声。
そんな俺の言葉に、リーフロッテが振り向く。
彼女はあの時と同じ、悲しそうな笑顔を浮かべていた。
「イーラ様。そしてトムオ様。どうか、どうか私たちをお許しくださいませ」
そして、お別れです、と彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの声で付け加えた。
「リーフロッテとやら。天使どもは黙らせておいてやる。勇者の俺様と一対一だ。さあ来い」
キボンが喜々として、リーフロッテを見ている。
「リーフロッテ!」
「――今のうちに!」
逃げてください――と叫びながらリーフロッテが剣を抜こうとする。
俺はその柄と鞘を右手で押さえた。
「え!? ……ぬ、抜けない……!」
「行かせないぜ」
リーフロッテが驚いた表情のまま、俺を見る。
「い、イーラ様……?」
「約束しただろ。俺がリーフロッテを守る」
「はん! ――下がれクソ英雄。お前よりその女の方がよっぽど強そうだぞ?」
キボンが鼻で笑った。
「……イーラ様。あれが勇者キボンなのです。まだイーラ様では、あの男には」
リーフロッテが苦しそうに告げる。
「あんたがそう思うのは仕方がない。そうせざるを得なかったからだ」
俺はリーフロッテの前に立ち、彼女を背にかばった。
胸が言いようもないほどに熱くなる。
ずっと……ずっとこうしたかった。
「……い、イーラ様……?」
「いつになったら君を超えられるのだろうと、ずっと考えていた」
何年の月日が必要なのだろうと、考えない日はなかった。
修行中、キボンを意識しながらも、君を超えられただろうかと心のどこかでいつも自問していた。
そうやって、ただひたすらに努力し続けた魔界での時間。
『臨獄の九処』を終え、二度目にこの世界に降り立った、つい先日。
君を見て、すぐに俺は気づいた。
――君を超えていたことに。
「――もう死なせない」
俺の剛気に反応して、体が炎熱を放ち始める。
「……イーラ……様!?」
それに気づいたのか、リーフロッテが驚きの声を上げた。
俺は双剣を、すらりと抜き放つ。
漆黒の双剣が、禍々しく闇をまとう。
「そ、その剣は……!」
リーフロッテが、息を呑む。
「てめぇ……」
キボンが目を細めている。
俺の剣は斬るべき天使たちの存在を認識したのか、まとう闇が大きく脈打ち始めた。
「――勇者キボン。神はお前の味方だったな」
俺はいつぞやのキボンの言葉を確認する。
キボンは剣を持ったまま、両手を広げ、にやっと笑った。
「ああそうだ。よく知っているじゃないか。天は365日、俺に味方している」
それを聞いた俺は小さく笑った。
「見ての通り、俺に味方しているのはその『対極』だ」
「なに」
キボンの顔から、笑いが抜け落ちる。
俺は剣を交差するように構えると、背中に守る女性に向けて、静かに言った。
「――少し変わった所で修行してきた。君の望む英雄の姿とは違うかもしれないが、まあ許してくれ」
「………」
リーフロッテが、息を呑んだ。
◇◇◇
「さっきからごちゃごちゃぬかしやがって」
キボンが剣を広げるように構えた。
「さてキボン。今の俺のレベルはいくつに見える?」
俺は抑えていた力を自由にする。
あらゆる魔神の力が俺に集い、みなぎり始める。
「……なっ」
キボンが、じり、と後ずさった。
「――仕切り直しだ」
俺は、地を這うように跳躍した。
「うお!?」
眼前に立った俺に、慌てて右手の剣を突き出してくるキボン。
その剣を首だけで左に躱す。
「ぬあぁ!」
キボンがさらに左の剣を横なぎに振るうが、もうそこに俺はいない。
「――こっちだ」
「なにっ!?」
振り向いたキボンに、勢いよく頭突きを当てる。
メリっ、という音。
「ぶべっ!?」
キボンが吹き飛んだ。
そのままどぅ、と地に背中を打つ。
「て、てめぇ……!」
キボンの口から、折れた歯がぼろぼろと落ちる。
その顔はあらたに凹の形を作っていた。
「い、イーラ様……!?」
唖然とした声を発するリーフロッテ。
「――亀だな、勇者キボン」
「……て、てめぇ……! ふざけんなぁ――!」
口から流れる血を拭うと、キボンがいきり立って剣を振るってくる。
俺はその剣を躱しながら、キボンの動きを見極めていく。
「雑過ぎる」
現れた隙を逃さず、双剣を袈裟に振るう。
「――ごあぁぁ!?」
鎧ごと、その胸が十字に裂けて血が吹き出した。
「やりやがったなぁ!」
キボンが反射的に翼をはためかせる。
もちろん空に逃しはしない。
キボンの背にまわり、俺はさらにその翼を十字に斬り裂いた。
「な、あがっ……」
白い羽根が赤く染まって舞い散った。
わずかに舞い上がったキボンの体が、どさりと地に落ちる。
「す、すごい……イーラ様……!」
リーフロッテの嘆息が聞こえてくる。
這いつくばったキボンが、息も絶え絶えになりながら、俺を睨んでいる。
「……も、もう許ざねぇ! ――おい、ラグエル!」
キボンが名を呼ぶと、宙で静かに待機していた
「全力で殺せ! そして俺を癒――のぉ!?」
しかしその時だった。
横から黒い影が飛びかかり、
「……えっ……?」
リーフロッテが硬直する。
宙では、ガァァ、と
翼をばさばさと鳴らし、槍を捨て、掴まれた手を両手で剥がそうと悶絶している。
「――つまらない」
その黒い影は
ウォン、という、周囲に魔力が満ちる音。
直後、
そのまま見えない何かに押しつぶされるようにして、
「マモン……」
俺が先程指輪で召喚した『七つの大罪』は、美しき闇の乙女、【強欲】のマモンだった。
「――うえぇぇぇ!?」
配下をやられ、キボンがこの上なく恐怖に満ちた顔になる。
だがもうこいつに残された手だてはない。
「終わりだ。『金色の覇王』とやら」
俺は呆けつつあるキボンに向き合うと、トンファーを構える。
「お……お前の職業は何だ」
頬を流れる汗を拭いたキボンが、いつかのように剣先を俺に向ける。
その切っ先は、震えていた。
「雑魚の職業さ。話にならないんだろ?」
俺は剣を振り下ろした。
◇◇◇
「ありがとう、マモン」
俺は宙に佇む大悪魔を見上げた。
「………」
マモンは空中で腕を組むと、ぎろり、と誰かを睨む。
「………」
はっと息を呑む声。
睨まれたのは、リーフロッテだった。
リーフロッテが一歩後ずさる。
「……これが、お前の助けたかった女?」
マモンが顎をしゃくるようにして、俺に訊ねてくる。
「そうだ」
「私の方が美しい。私にしろ」
「……は?」
マモンはそう言い残すと、かき消すように居なくなった。
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