第21話 強くて最初から ①
翌日。
俺は、地上に戻される準備に入った。
といっても俺がする準備は飯を食うくらい。
シカが持ってきてくれた焼豚ののったおかゆを平らげている。
さて、たくさんの悪魔たちが取り組んでくれている「地上に戻る準備」についてだが、俺を送り出すには大々的な儀式を行う必要があるそうで、昨日から綿密な準備が行われている。
特に時間を戻すところが簡単ではないそうだ。
前にも言った通り、俺はこれからリーフロッテが死していない頃に戻される。
そしてリーフロッテが死なないようにキボンと対峙し、その歴史を変えるのだ。
なお、地上の時間戻しの儀式は悪魔たちの
「地上は我らの世界に比べて、時の流れ方が至極ゆっくりなのじゃ」
ヴェルフェゴールが教えてくれる。
俺がこの世界で過ごした月日も地上では数日程度であり、まだ巻き戻しが可能な日数であるという。
地上の時間戻しを行うと、魔界との時間軸がずれてしまう気がしたが、気づかないほどわずかずつ地上の時間の流れが速まり、やがて元に戻るのだという。
具体的には一秒が0.95秒くらいになり、一日が短くなってその差分が埋められていくらしい。
よくわからないが、まあいい。
「最後に忠告しておこう。歴史を変えるにあたって、注意しなければならないことがある」
蛇がするすると俺の前に来て、口を開いた。
「注意?」
「変える歴史は最低限にしておけ。あまり大きく変えると、訪れるはずの未来が消えてしまう」
「……訪れるはずの、未来?」
蛇が言わんとしていることは、こういうことだった。
仮に俺が、あの城攻めに遭っている「最初の時」にうまく舞い戻れたとする。
だがそこで、早まって攻めてきたキボンの軍に逆襲したとしたら。
返り討ちに成功し、救える命も増えていいように思えるが、これはダメだ。
未来がその時点で変わってしまうからだ。
俺たちがそのまま城に居残ることができるようになったり、後のキボンたちの来襲が、全く違う形に変化してしまう。
つまり、予想できない未来になれば、想定外の場所でリーフロッテが殺される可能性が出てくるのだ。
ゴブリンたちの襲撃を受けた時のことも然り。
ホブゴブリンに殺されかけた俺はリーフロッテに八つ当たりするのが嫌で、一人にしてくれと彼女に告げた。
だから彼女は一人で水を汲みに行き、結果としてキボンたちの来襲に途中から参戦する格好になった。
もしちょっとした時間のずれでリーフロッテの帰りが遅れたりするだけでも、ひとりキボン軍に囲まれてしまい、彼女が殺されてしまう可能性もあるという。
そんな些細な出来事まで、丁寧に追わなければならないというのだ。
「なるほど」
「本当に助けたいのなら、その場面までじっと我慢するべきだ。そしてそこで初めて、大きく動け」
「肝に銘じておこう」
「それから、この指輪を授けよう」
蛇がどこからか取り出した指輪を加え、俺に差し出した。
ミノタウロスの指輪とは違い、中央の台座に嵌められた紫色の宝石が怪しく輝いている。
「これは?」
「我らを喚ぶ指輪」
「あんたたちを?」
いかにも、と蛇は頷いた。
「困った時に使うがよい。『七つの大罪』のひとりが、召喚に応じよう」
◇◇◇
複雑に描かれた魔法陣の中央に、俺は立っている。
周りを取り囲む悪魔たちの数たるや、何万という数だった。
魔界にこんなに悪魔がいたのか、と思うほど。
あー、とかうーとかの謎の叫び声の中で、「頼んだぞ」とか、「悪魔に栄光を」などと理解できる言葉が混じる。
彼らにとっても、キボンとの戦いは大きな影響があるのだと知った。
一度も会話をしなかったあの女の悪魔が、少し離れたところに立ち、俺を見ている。
聞けば、名はマモンというらしかった。
彼女は相変わらず冷えきった表情をしていたが、俺と目が合うと頬を赤らめて、目を逸らした。
「――では発動するぞ!」
老婆の悪魔ヴェルフェゴールが指揮を執って、転移を発動させ始めた。
足元の魔法陣に魔力が注がれ始めると、文字が赤や紫に光り、秘めた力を発揮し始める。
(いよいよだ)
手に汗が流れ、滴り落ちるほどだった。
鼓動が早くなっていくのは、どうしようもない。
(リーフロッテ……)
彼女の清楚な笑顔が、脳裏に浮かんでいる。
正直レベルはもっと上げたかったが、仕方がない。
命と引換えにでも、リーフロッテを救うぐらいはなんとしても成し遂げてやる。
「――待って」
俺の体が輝き始め、もう出発だ、という時、風鈴のような声が響いた。
あのマモンとかいう女の悪魔が、こちらに駆け寄ってきていた。
「もう止められぬ!」
ヴェルフェゴールがその手を複雑に動かしながら怒鳴る。
「どうして――!」
マモンが叫ぶ。
「どうしてあなたは、たった一人の女にそこまで――」
そこで彼女の声は途切れ、俺は転送された。
◇◇◇
暗視も効かない冷たい闇の世界を抜けること、数分。
地に降り立つと同時に、耳に飛び込んでくる、怒号。
「逃すなー!」
「殺せ! そいつの首をとれ!」
俺は静かに目を開けた。
近くの壁に穴が開いており、そこから吹き荒ぶ風が冷え切っていた。
隣にはポカンとした顔の、トムオが立っている。
俺は人知れずぐっと拳を握った。
そう、あの時の、あの場所だった。
予定通り、俺は「始まりの時」に戻ったのだ。
「え……?」
「なに……これ」
俺はひとまず、持っていたお椀を落とした。
当時持っていたのは財布だったが、今はそんなものはない。
歴史を変えすぎないよう、シカがくれた焼き豚おかゆのお椀を代わりに落としてみたのだ。
「え? お椀……? っていうか、誰お前!?」
驚愕しているトムオを無視し、俺は当時と変わらぬ様で驚きを取り繕い、辺りを見回す。
赤い絨毯の敷かれた、石造りの広々とした広間。
後ろには、例の玉座もある。
「召喚がなされました! お二人を全力でお守りして!」
その声に、はっとなった。
俺はその声の人物に目をやる。
凛として戦っている銀髪の女性。
彼女は敵2人と天使一体を相手に、剣を交えている。
(リーフロッテ……)
生きている。
彼女が、リーフロッテが。
目の前にいるというだけで、俺は目頭が熱くなった。
今度は死なせない。
――絶対に。
俺は無意識に彼女の傍に向かいかけて、動きを止めた。
歴史を大きく変えてはならないことを思い出したのだ。
(大丈夫だ。リーフロッテはここでは怪我をするだけのはず)
俺は湧き上がってくる衝動を抑え、周りを見る。
知っている歴史通り、俺たちを重鎧を着た人たちが背にかばおうとしている。
「英雄様、事情はのちほど説明します! 後ろの魔法陣に入ってください!」
リーフロッテが歴史通り、背を向けたまま叫び、再び敵と剣を切り結び始めた。
仲間の兵が、玉座の後ろに集まり始める。
「こっちです、はやく――」
俺を見て呼んだ兵士の腹に向かって、投槍が飛んでいっている。
「おい――」
叫んでいる兵士は、全く避ける素振りがない。
なんで躱さないのかわからない程度の攻撃だ。
(くそ)
動きたい衝動を、再び抑え込む。
ここはたったひとつでも、流れを変えてはならない。
最後に飛び込むリーフロッテが、転送に間に合わなくなる可能性があるからだ。
「ぶっ」
その兵士の腹に、投槍が突き刺さった。
別の兵士が駆け出し、捨て身で投槍を放った敵に切りかかっていく。
俺は唇を噛みしめ、次の行動に動く。
「――おい、行くぞ」
トムオに声をかけ、袖を引っ張る。
言われた通り、玉座の後ろまで走るのだ。
本当なら、こいつを助ける理由はない。
トムオはのちにキボン側に寝返って、今俺たちを助けてくれている味方を殺すのだから。
そうしないのは、ただ歴史を変えたくない、それだけの理由だ。
(次は)
この後、俺の記憶では、頭上を何かの武器が通り過ぎるはずだ。
周りを窺っていると、走り出した俺たちに気づいた敵兵のひとりが駆け寄ってきて、斧を横なぎにしてくる。
(こいつか)
こんな目の前の敵が、俺は見えていなかったのか。
反撃できるほどに超スローだが、歴史を変えないよう、屈むことにする。
「頭を低くして……サンハイ」
サンハイとかアホみたいだが、ずれると死ぬのでタイミングを合わせて、トムオと一緒に屈む。
それでもトムオは遅れる。
「遅いって」
「あう」
容赦なくトムオの頭を上からぐいと押さえた。
ことは死ぬか生きるかなので、遠慮している場合ではない。
ひゅん、という弱々しい風切り音が抜けたのを確認して、俺たち二人は目的の場所まで駆ける。
そのまま、味方の兵の中に紛れ込んだ。
ひとまずこれで難は去ったはずだ。
「トムオ」
「うぅっ」
振り返ると、歴史通りトムオが吐く。
俺はその頭をねじり、皆に無害な方向に吐かせた。
ちょうどその時、足元の魔法陣が輝き始めた。
そろそろ発動するようだ。
「リーフロッテ様!」
「リーフロッテ様、早く! もう起動します!」
「――今行きます!」
敵を引き連れたまま、最後にリーフロッテが俺たちのところに飛び込んでくる。
(……無茶なことを)
見ると彼女はここで5人の敵兵を抱えていた。
結果として短剣の負傷ひとつで済んでいたが、一歩間違えば命を落としてもおかしくないリスクをとっていたのだ。
――俺たちのために。
リーフロッテに一撃を加えようとする敵兵たちが、突っ込んでくる。
そのうちの一人がリーフロッテに追いついた。
「死ねぇぇぇ――!」
満面の笑みを浮かべて、リーフロッテの背中に短剣を突き立てようと振り下ろす。
(死なねえよ)
俺は魔法陣から出て、飛び込んでくるリーフロッテの横をすり抜けた。
「――えっ!?」
通り過ぎざまに、リーフロッテが俺に驚きの視線を向ける。
構わず、俺は彼女の背中に振り下ろされる短剣を素手で払った。
「ぬお!?」
これぐらいはいいだろう。
それだけを為して、俺はすぐに魔法陣に戻る。
「……今……?」
リーフロッテが目を瞬かせている。
「いや、動いてナイヨ」
怪しい外国人のように、両手を広げて見せる俺。
直後、目を開けていられないような強い光に包まれた。
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