第9話 激辛スープ
気が付くと頬をじりじりと日差しが焼いていた。
起き上がると、一体の悪魔が俺を睨みつけていた。
シカの顔をした、頭部以外は二息歩行の体つきをした悪魔だ。
彼を道連れにしてしまったらしい。
「すまん……あの理屈がわからなくて」
起き上がって、いの一番に謝罪する。
だが彼は会話できないようで、ひたすら俺を睨み、鋭い牙を見せて唸っている。
俺はもう一度鹿の悪魔に頭を下げると、立ち上がってあたりを見る。
木一本すらない禿げた荒野の中で、俺たちは四角く柵で囲われていた。
柵に巻きついた鋼からは、青白い光がバチバチと音を立ててスパークしている。
柵の先に、また鳥居のような門がある建物がぽつんと一件建っているのが見える。
あれが食堂か。
それを確証するように数体の悪魔が、競いながらそこへ走り込んでいった。
クリア組のようだった。
「ここでも死んだようだな」
声に振り向くと、柵の下をするすると滑るようにして、あの蛇がやってきた。
蛇を見てか、そばにいた悪魔たちが跳ねるように飛び退き、俺から離れた。
シカの悪魔も驚いた様子で、俺と蛇を交互に見ている。
「なにがどうなっている」
蛇はちろちろと舌を出した。
「臨獄の九処に対してはアドバイスはしかねる。だがこの食堂くらいは教えてやろう」
蛇はくるくるととぐろを巻くと、話し始めた。
どうやら食堂に向かう間に、3つの障害を乗り越える必要があるそうだ。
それを無事に乗り越え、食堂についた者だけが食事にありつける。
道中で死亡した者は俺が今いる囲いの中に移され、一律で40分のペナルティを受けるという。
40分後に解放され、食堂に入ることができるそうだが、もちろんそんな時間に行っても、ほとんど食べつくされてしまっているという。
「餓死は本当に死ぬ」
蛇の言葉に、耳を疑う。
「本当に? なら俺は」
蛇が頷いた。
「我ら悪魔は、この【臨獄の九処】で餓死する者を『淘汰されるべき存在』として扱い、救いの手は一切差し伸べない。女を助けたくば、自分で生き延びよ」
そう言い残して、蛇は去っていった。
(本当に死ぬ……)
それだけはなんとしても避けねばならない。
太っていたことを喜んでいいのかもしれない。
「しかし3つも障害があるのか……」
一つ目からつまずいたから全く予想がつかないが、あの一つ目すら、俺には相当難度が高いように感じられた。
俺はひとまず座り、柵が開く時を待つ。
目の前には紫色の砂が入った白い砂時計が置かれている。
おそらくこれが、俺たちが出られるまでの時間なのだろう。
囲いの中には俺を含めて12体の悪魔がいた。
(そろそろだな)
砂時計が落ちきると、エプロンをした巨体の馬の悪魔が食堂の方からやってきて、囲っていた柵の一部を外してくれた。
俺たちは一斉に走り、食堂に駆け込んだ。
中には縦長のテーブルや丸太椅子が置かれ、さながらひと時代前の食堂のようだ。
クリアした者で、もう食事をとっている者はいない。
脱落者の悪魔たちはきちんと列を作って並んでいた。
俺は前から9番目、太っていて足が遅い割には健闘した方だった。
ちなみに俺の後ろには、シカの悪魔が並んでいる。
手に石の皿を持って、バイキング形式で食事をとっていく。
肉や香辛料の香りが刺激になって、唾液が口の中に湧き上がってくる。
しかし、見ると料理が載せられていただろう大きな石の皿が20枚以上ずらりと並んでいるが、その上にはすでに何もなかった。
脱落組は大皿に残っている汁を必死におたまですくっている。
もちろん前の悪魔たちがすくうと、俺の分はない。
(全然食べるものがない……)
肩を落としながら進んでいくと、最後に、黒い窯に入ったおかゆが見えた。
これはそれでも、まだ残っている方だった。
前の方の悪魔が、皿にたっぷりと注いでいったから。
(よし……)
あれでも食べられれば随分違う。
そう期待して進むも、俺の前の前の悪魔が全部さらって、空っぽになった。
「………」
窯の前から、離れられない。
「今日の食事は売り切れだ。あと5分で閉める」
馬の悪魔が、未練たらしく居残る俺たちを追い払う。
俺が結局とれたのは、レタスのかけら一枚と、黒豆ひとつ、それに和えられていた汁のみだ。
「アアァオオオン――!」
俺の後ろに並んでいたシカの悪魔は大声で吠えて、悔しそうに涙を流す。
彼はほとんど何も、取れていなかった。
「……今日は済まなかった」
俺はそのシカ悪魔に、俺の皿を差し出した。
シカが驚いて、俺を見る。
「いいんだ。これっぽっちだが」
「………」
シカは俺の皿に顔を寄せると、舐めてすべてを食べた。
もちろん、食べられずに淘汰される可能性を忘れたわけではない。
だが他人を危険にさらすのは、俺はもうごめんだった。
結局口に入れられたのは、床に落ちて潰れていた豆ひとつと水だけだ。
水はともかく好きなだけ飲んでよく、持って行っていいと瓶ごと与えられた。
食事ののちは湯が湧き出ている温泉に連れられ、皆で順番に入った。
もちろん石鹸なんてものはなく、泥のようなものを体に塗って汚れを落とすのだった。
いい香りなんてするわけはないが、積まれた泥をこすりつけると、べとべとした汗がすっきりするから不思議だ。
さらにこの湯に浸かると、傷が癒える効果があるという。
まあ俺は100%生きているか、死んでいるかの二択だったので、関係ないが。
俺は再び、真っ暗な世界――第九処だろう――に戻された。
この気が狂いそうな場所で、謎も解けずに死に続けるのだ。
(どうせ落ちて刺さって死ぬのだ)
空腹でも関係ない。
これだけ突き出た腹があるわけだし。
◇◇◇
食事から戻ってきて暗闇と格闘したが、結局何も前進していない。
少し眠ったせいもあって、体感では二四時間経ったとは思えなかった。
二度目の食事の時間。
俺は再び食堂への疾走に加わった。
空腹での疾走は実に堪えるのだが、みんな同じだと言い聞かせて、全力で走る。
もちろん最初の障害で落ちて脱落者組に入るのだが、今日は誰も巻き込まないようにして落ちた。
しかし柵の中で脱落者を見ると、十二人で、今日も同じ顔ぶれである。
シカ悪魔もいた。
なんだよ、結局いるのかよ。
砂時計が落ちて柵が開けられ、再び走って並ぶ。
ドスドスドス。
「はぁはぁ」
重い体が恨めしい。
俺は今日も9番目だった。
つまり、足の速さが9番目ということだ。
ちなみに、俺の後ろにはやはりシカの悪魔だ。
会話は成り立たないが、もう愛着みたいなものも湧いてきた。
息がきれたまま並ぶ。
昨日と同じで、盛られていた料理の大皿には汁と少々の野菜が残るばかりである。
俺は十三番目の大皿に残った汁を少しだが取ることができた。
どうやら酸味が強いようで、前の八体の悪魔が嫌悪して取らなかったようだ。
固形物は豆三つのみ。
それでも取れただけよい。
そして、最後の窯のおかゆ。
俺の番になり、覗いてみると、スプーンひとさじくらいのおかゆが底に残っていた。
(汁がとれたからいいか)
俺はそれに気づかないふりをして、窯を素通りした。
わかっている。
弱肉強食の場なのだから、他人のことなど考えずにおかゆを全部とって、自分の栄養にするべきだと。
頭ではわかっているのだが、できないのが俺だ。
予想通り、俺の後ろのシカが窯に飛びつき、すべてをさらい、その場で食っていた。
こいつはおかゆが大好きらしい。
席につき、俺はとれたものをさっそく平らげた。
汁はちょうど酢豚の汁のような、甘しょっぱくて酸味のあるものだった。
「ごちそうさまでした」
それだけに体にはカロリーが入ったに違いないと言い聞かせて、俺は席を立った。
◇◇◇
その後も成長のない日がまる五日ほど続いた。
食事もカスほどしかあたらず、常に空腹でさすがの俺も痩せてきていた。
そうやって過ごした、七日目の食事。
いつも通り食事のレースに脱落し、九番目に並んだが、その日は激辛スープが辛すぎたらしく、数人分、奇跡的にも残っていた。
「おぉ」
俺は感動しながら、その真っ赤なスープを掬い、座る。
「うめー」
いや、魚介の旨味すごい出てるぞ。
これ、相当真剣に追求している味だ。
同じようにとることができた脱落組の面々がヒーヒー言いながら涙を流し、少しずつ呑んでいる横で、俺は早々に平らげた。
仮にも【
こんなものではへこたれない。
「至福だなぁ……」
なにはともあれ、この世界にきて、初めてのまともな食事だった。
「よーし、やるかー」
食後に空腹を感じないのは初めてだ。
風呂を終え、いつものように第九処に戻された時のことだった。
〈【
「は?」
なんか今、スキルを獲得した気がする。
メニューを開いて確認すると、やはりその名のスキルが追加されていた。
「【
俺は目をこすった。
今まで全く見えなかった暗闇だが、ほんの少しだけ、足元に敷かれたタイルが見える気がしたのだ。
「……」
再び目を凝らすと、やはりタイルがわかる。
地平線との境目が、というだけだが。
「俺、成長したのか……?」
一筋の光明が見えた気がして、俺は嬉しくなった。
だが、どうすればスキル獲得となるのだろう。
ただじっと、暗闇を見続ければいいのだろうか。
それとも一定数死んだから成長した?
それとも食べたから?
「いや、焦ることはない」
ともかく今の俺の過ごし方で成長しているのだ。
人間、水だけでも飲めていれば2-3週間は生き延びられる。
ただこれを繰り返せばいいんだ。
(絶対に生き抜いてやる)
このままやられっぱなしで、終わってなるものか。
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