第8話 修行開始 臨獄の九処へ



 何の音もしなかった。

 落ちた先はさっきまでとは一転して、真っ白な世界だった。


 空もない。地面もない。

 白以外の色がない。


「ここは……」


「――ここは魔界」


 足元から声がした。

 そこには黒い鱗に赤い斑点がまだらについた、30㎝ほどしかない蛇が一匹いるだけだった。

 つまり、蛇がしゃべっている。


「……あんたは?」


「私はそなたを受け持つことになった、ただの蛇」


 蛇が俺を興味深そうに眺めている。


「ただの蛇? ……魔界なら、悪魔ではないのか」


 俺の言葉に、蛇はすっ、とその目を細めた。

 この蛇は瞼があるようだ。


「いかにも悪魔なり」


「なら、俺は本当に堕天したのだな」


 言いながら、俺は周りを見回す。

 地獄のような光景を想像していたが、見渡すかぎり真っ白とは。


「さて、ステータスを見るがよい」


 言われた通りに確認してみると、そこには新たに一つ、追加されているものがあった。



【悪魔貴公子】

 各ステータス値に8%加算



 堕天した時に言われた気がする。

 随分とありがたい祝福を頂戴したようだ。


「心より歓迎する。死角なき強者よ」


 その言葉にはっとする。

 俺はすぐにかがみこんで、蛇に向き合う。


「教えてくれ。俺のどこが強いと言うんだ」


 蛇はチロチロと舌を出した。

 だが爬虫類なだけに、その表情はさすがに読めない。


「そなたは我らの望みを叶える存在」


 蛇の声はくぐもっていて聞き取りづらいが、そう言ったように聞こえた。


「だからさ、最強ならなんで俺はこんなに――」


「そなたは女を助けたいと?」


 蛇が言葉を重ねる。

 いまいち、言葉の交流が成り立っていないのは、蛇だからだろうか。


 だが、新たに振ってきた話は、俺が一番訊ねたいことだった。


「そうだ。どうすればいい」


「苦難に耐える心構えは?」


「当たり前のことを聞くな」


 リーフロッテを助けるすべがあるなら、なんだってする。


「ではそなたにはこれから修行を受けてもらう」


「修行だと?」


「いかにも。我ら悪魔が日々鍛錬を重ねている『臨獄の九処』にて」


「……どこだっていいぜ、強くなれるのなら」


 俺が求めるのは、力。

 どんな苦労だろうと厭わない。


「そなたは悪魔となったゆえ、そこで鍛えることで新たな能力を獲得することができる」


「新たな、能力? 例えばどんなものだ」


「いけばわかる」


 まあ、言われる気がしていた。


「臨獄の九処は最初の三つが最も過酷だが、試練でいくら死んでも命をなくすことはない」


 聞けばHPが0になっても、復活リスポーンできるということらしい。


「処で修行を続けていくと、条件を満たした時点で出口が出現する。それは次の処へ移ってよいという合図でもある」


 出口が現れた時点で、その場の修行を終えたと理解していいという。

 なお、その名の通り修行する場所は九つあり、一度通過した処には戻れない。


「食事は一日に1回。鈴が鳴った時間。とにかく走れ。遅れて食べられない者から脱落していく」


 早く着いた者が食べ物を手にし、遅れた者は衰弱の一途を辿るという。

 さすが悪魔の世界というべきか。


「眠くなったら好きに寝るがよい。そして――」


「――待ってくれ」


 俺はさらに言葉を続けようとする蛇を遮って、口を開いた。


「本当にそれで、俺はリーフロッテを生き返らせることができるのか」


 悪魔たちの口車に乗せられて堕天しただけだとしたら、俺はまた失望の日々に逆戻りだ。

 しかし蛇は力強く頷いた。


「いかにも。当面先になるだろうが」


「なに?」


「すべての修行を終えるのに、おおよそ15年はかかろう」


 蛇はあっさりと告げた。


「な……」


 じゅ、十五年? 


「そんなに時が経ったら――」


「案ずることはない。我らにはそなたの世界の時を戻す力もあるゆえ」


「時を戻す……?」


 蛇が頷いた。


「鍛錬を終えたそなたを、かの世界に召喚された時点に戻す。あとはそなたの力で歴史を変え、女の死を食い止めよ。されば女は生き残らん」


「――あの時に戻れるのか!」


 飛びつかんばかりに歓喜した俺に、蛇が厳かに頷く。


「あとはそなた次第」


「……」


 無意識に、拳を握っていた。


「……本当だろうな」


「嘘はつかぬ」


 俺の口元には、堪えきれない笑みが浮かんでいた。


「ならどんな修行だってやってやるぜ」


 笑ったのは本当に久しぶりだった。

 同時に、あの男の口を歪めるように笑う顔が目に浮かんだ。


「よくぞ言った。では参ろう。我ら悪魔たちとて嫌悪する地獄へ。まず一番下の第九処からだ」


 突然、俺の視界が暗転した。





 ◇◇◇





 再び見知らぬ場所へと俺は放り込まれたようだった。

 そこは音のない、真っ暗な世界だった。


 どこまで広がっているのかすら見通せない。


「なんだ、ここは……」


 ここが言っていた第九処?

 いったい何を鍛錬する場所なんだ?


 俺は武器でも与えられて、黙々とやってくる敵と戦う感じをイメージしていた。


「おい、誰かいるのか。武器くらいくれないのか」


 もちろん返事はなく、声が跳ね返ってくる感じもない。

 だだっぴろい空間のようだ。


(俺一人か)


 あたりを手で探ってみる。


 眼前に障害物はなさそうだ。

 四つん這いになり、足元を探ると、石畳は四角いタイルを敷き詰めて並べられているようだ。


(マーキングを残す方法もない……)


 アイテムボックスに入っていた白布を手元に取り出してみたが、やはり全く見えない。

 俺はどちらが進行方向なのかもわからないが、とりあえず正面と思われる方へと進んでみることにした。


 もちろん歩くことはしない。

 四つん這いで、慎重に進む。


 一歩、二歩、三歩。


 冷たい床を這って進んだ四歩目のことだった。

 手を置いていた床が、突然四角の形で光った。


「!?」


 続けて、周囲の床がガコン、と音を立てて、抜けた。


 頭が真っ白になる。


「おおぁぁ!?」


 突然の、落下。


 1秒、2秒、3秒――。


「ぐぶっ」


 息ができなくなるほどの壮絶な痛みが襲った。

 俺の全身を、何かがいくつも貫いていた。


 俺の意識はそのまますぐに、遠のいた。





 ◇◇◇





 気がつくと俺は、さっきと同じ真っ暗な世界に立っていた。

 さきほどはどうやら、何かに刺さって終わったようだ。


 復活リスポーンし、最初からということらしい。

 穴の開いたはずのローブは、元に戻っている。

 体に傷もない。


「うーむ」


 迂闊に進むと、さっきのような罠にはまる仕掛けということか。

 いったい何の修行なのか、どうすればクリアになるのかも想像がつかない。


(もしかしたら罠のタイルは、触った感じが違うとか?)


 そんな推測を立てて、慎重に手触りを確認しながら、進む。


 一歩、二歩、三歩。


(よし、手触りは変わりない)


 問題なく進めている。


 四歩、五歩、六歩……。


「うおっ」


 同じ手触りのタイルが、ぱあぁ、と光る。

 そして、手元が抜け落ちた。


 心臓が冷え切る感覚とともに、俺はまた落下した。





 ◇◇◇





「うーむ」


 全く進歩のないまま、もう軽く半日くらいは経っている気がする。


 落ちるたびに光るタイルの位置が変わるようで、覚えようがないのだ。


 ぎゅぅぅ、と腹が鳴った。


 考えあぐねていたところで、鈴の音が聞こえてきた。

 食事の時間のようだ。


(食事は一日に一回)


 ここでしっかり食べなければ後が続かない。

 扉でも開くのかと待っていると、俺は突然、強制転移させられたようだった。


「うっ」


 突然の明るい世界。

 目に光が刺さってきて悶絶した。


 ここには太陽のような空の天体から、温かい陽射しが差し込んでいるようだ。


 やっと慣れてきた目を凝らすと、そこにはたくさんの悪魔がいた。


 羊のような顔と角を持った奴や、人間とそう変わりない奴もいる。

 小柄で猫のような大きさの奴もいた。総勢百体以上。


「……!」


 そいつらが雄たけびのようなものを上げて、とある方向へと一斉に走り出した。

 はっとして、俺も動く。


(そうだ、走らなければ)


 食べ物にありつくのに、走って少しでも先に着かなければならない。


 俺は突き出た腹を揺らしながら、どすどすと彼らの後ろについて走る。

 だが足の速さが段違いだった。


(なんて速さだ)


 体重の問題以前に、脚力が違う気がした。


 全くついていけない。

 ごぼう抜きにされ、俺はほとんど最後尾になった。


 やがて鳥居のような門をくぐると、なんとそこはまた真っ暗な世界だった。

 ちょうど俺が修行している第九処のようなところだ。


 目が馴れていないはずなのに、悪魔たちはみな立ち止まることなく、そのまま駆け抜けていった。

 闇の中から、タタタ、という足音だけが聞こえてくる。


「え? お、おい」


 とりあえず俺も、まっすぐ駆け抜けようとする。

 ここは九処と違って、ただ暗いだけなのか。


 しかしすぐに俺の踏んだ足元のタイルが、ぱぁぁ、と光った。


 崩れ落ちる足元。


「おあぁ!?」


「ギュヒ」


 近くにいた悪魔を道連れにして、俺は落下した。

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